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Channel: ・連載―デキメン列伝! –ローチケ演劇宣言beta版
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デキメン列伝 第1回 上山竜治

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第1回】 上山竜治  RYUJI KAMIYAMA
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この道を与えていただいたんだなという、そんな感覚なんです


Writer’s view

第一回目で早くも、真打ち的なデキメンの登場です。来春開幕のミュージカル「レ・ミゼラブル」の革命に燃えるリーダー、アンジョルラス役(トリプルキャスト)に決まった上山竜治さん。初めて帝国劇場の舞台を踏む彼ですが、14歳でアイドルとしてデビュー、17歳の初舞台で芝居に出会います。「レミゼ」製作発表では、70人以上のキャストの中心に立ち、「民衆の歌」などの歌唱を披露。その姿からも感じられた俳優としての華、センターたる存在感――それを培った裏には挫折と、少年時代からの秘めた思いがあったのです。   

取材・文/武田吏都

 

――「レ・ミゼラブル」のアンジョルラス役は、上山さんのみ製作発表の場での発表というサプライズももちろんですが、上山さんがああした大型ミュージカルのオーディションを受けていたことにも驚きがありました。会見でも「(自分がこういう作品に出るのは)おこがましいと思っていた」と発言していましたが、ご本人が本格的な目標として定めているように私は感じていなかったので。もっと言うと、ストレートプレイ志向が強い方なのかなと思っていたのです。

上山 真正面からミュージカル志向ではないというか、そういうところは確かにあります。俗に言う、ミュージカルのいきなり歌いだす感にちょっと恥ずかしさや違和感みたいなものはありながら、それをどうやったらなくせるんだろうってことはずっと考えていました。英語だったら抑揚があって発声法も違うし、日常的に歌っているような、歌と台詞の境がない感覚で観られると思うんです。でも日本語は口を開かなくてもしゃべれるような平坦な発音で、そうして台詞をしゃべっている中で、どうやって歌につなげられるのかなあと。これまたおこがましいんですけど、日本のミュージカルって基本的にちょっとハンデのあるところから始まっているのかなとも思っていました。なので、ロンドンやブロードウェイとかラスベガスにも観に行って、違和感がある・ないの差はどこだろう?って考えたりして。だから好きなんでしょうね、ミュージカルが。好きだからこそ、じっくり突き詰めて考えなきゃと思ったんですよね。

 

――ミュージカルへの出演経験は豊富ですが、出る立場としてもそうした葛藤を抱えていた?

上山 もちろんありましたね。だから自分がどうすれば違和感なくできるんだろうっていうところは、作品に向き合うごとに毎回勝負でした。こうして境目をなくせばいいのかって思えたのが、鈴木裕美さんとの出会い。最初はストレートプレイの「宝塚BOYS」(‘13)だったんですけど、今年ミュージカル「ブラック メリーポピンズ」(’14)でも演出していただきました。裕美さんがいつもおっしゃるのは、そのキャラクターの感情が高ぶって、普通じゃない感情があふれ出る瞬間に歌いだすんだと。例えば「ふざけんな!」っていう叫びが歌になるみたいな。やっぱりそこまで気持ちを高ぶらせて、伏線や準備みたいなものがお芝居の中でしっかりと出来ていれば、つなぎ目なく違和感がないんだろうなって。あの時期に自分の中でミュージカルへの価値観に光が見えてきた感がありましたね。

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「ブラック メリーポピンズ」(’14)

 ――「レミゼ」のオーディションでも新たな気づきがあったのだとか。

上山 やっぱりミュージカルの歌ってちゃんとしっかり歌わなきゃいけないってイメージがあって、そこで自分の気持ちとの葛藤がすごくあったりしたんです。でも「レミゼ」のオーディションで演出家の方に見ていただいたとき、「そんなに歌わなくていい。もっとお芝居でやってくれ」というようなことを言われて、とにかくお芝居を重視してくれて。それまで僕はやっぱりメロディとかピッチとかをすごく気にしていたんですけど、そこも気にしなくていいと言ってくれて、そうすると逆にそれらが安定してきたりもして。「あ、こういうやり方でいいんだ」って気づいたし、いっぱい引き出してもらって、こういう演出家と一緒にやりたいって思ったのが、「レミゼ」に出たいと思った最初のきっかけでしたね。

 

N7450_01――オーディションに応募した段階ではなかったんですね(笑)。

上山 応募の段階では、「絶対やりたい!」ってよりは、自分がどこまで通用するのか、どこまで挑戦できるかっていうのが一番でした。

 

――東宝の大型ミュージカルのオーディションを受けたのは今回が初めて?

上山 6、7年前に1回だけ。そのときは「歌は関係なくお芝居で攻めてやろう、俺はお芝居しかできないし」っていうような感覚だったんですけど、もう全然ダメでした。

 

――それから結構な年月を経た後に、今回自ら応募するという行動に至った一番の理由はなんだったのでしょう?

上山 やっぱり“挑戦”っていうのが一番大きいんですけど。ただきっかけとしては……ものすごく根本から話すと、アイドルだった17歳の自分を拾ってくれて、俳優へのレールを敷いてくれたのが宮本亜門さんなんですね。

 

――スティーブン・ソンドハイム作詞・作曲×宮本亜門演出のミュージカル「INTO THE WOODS」(’04)のジャック役が上山さんの初舞台。4人組アイドルグループ「RUN&GUN」の一員だった上山さんが、オーディションで亜門さんに選ばれて出演されたんですよね。

上山 あの作品は人前でお芝居をする、舞台の楽しさを教えてくれたんですが、同時に僕にとって、歌へのトラウマみたいなものを感じてしまった作品でもあるんですよね。まあソンドハイムに17歳で向き合って、「なんだ、これは!」と(笑)。ワケわからないままに終わってしまい、俺はもう歌をやっちゃいけないんだって17歳のときに思ったんです。

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「INTO THE WOODS」(‘04)
撮影/谷古宇正彦  写真提供/新国立劇場

――その「INTO THE WOODS」を拝見してますが、そんな風におっしゃるような出来ではなかったですよ? 17歳の上山さんの名誉のために付け加えます(笑)。

上山 そうですかねえ。……あるとき、亜門さんが僕に一切ダメ出しをしなくなったんですよ。同じオーディションで選ばれた同じ年の神田沙也加さんが僕とペアみたいな役で出てて、彼女とか他のキャストのことはすごく褒めるんですけど。でも僕には何も言わずに伸ばしていく方法を採ったって、後から亜門さんはドキュメンタリー番組の中でおっしゃってて、だから愛情ではあったんですけど、17歳の僕としてはすごくショックで。僕はもう歌やミュージカルはやっちゃいけないと思ったりしながらも、亜門さんに「もう1回一緒にやろう」って言わしてやろうみたいな気持ちで、10年間ずっと頑張ってきたところがあります。それが、10年後に「メリリー・ウィー・ロール・アロング」(‘13)という同じくソンドハイムのミュージカルで呼んでもらったのが結構大きかったかもしれないですね。それもオーディションでした。挨拶のときも「『INTO THE WOODS』でお世話になりました」とか言わずに、はじめまして、ぐらいの感じで「カミヤマリュウジです。よろしくお願いします」から始めましたね。

 

――そして出演した「メリリー~」では亜門さんと何か印象的なエピソードはありましたか?

上山 「10年間、ほんとに大変な思いをして頑張ってきたんだね」って。そして、「もう1回必ずやろうね」って言っていただいたのが本当に大きかったです。泣きながら帰りましたもん。それらのことがあってトラウマみたいなものを克服できたんですね、きっと。今言ったようなことで、「宮本亜門、くそくらえ!」みたいな気持ちを(笑)エネルギーにしてきたような10年間なんですけど、同時に、芝居未経験だった僕に俳優へのレールを敷いてくれた亜門さんへの感謝はずっと常にありましたね。

 

――つまり「レミゼ」は、17歳以来の傷のようなものが癒えて新たな自信となった上での挑戦ということになりますね。役についてですが、最初からアンジョルラス志望でオーディションを受けた?

上山 そうです。その場で「マリウスの曲も歌ってみて」っていうのはありましたが、僕としてはアンジョルラス以外考えていなかったですね。22、3歳のときにロンドンで観てからずっと憧れの役ではあったので。「ABCカフェ」という曲の中の ♪ラマルクの死~ というアンジョルラスが歌うフレーズがあるんですが、あそこが作品全体としてもストーリーががらっと変わる、大きな渦巻きがぶわっと広がっていくような瞬間なんですよ。そこを司る大事な役どころという点に惹かれました。

上山アンジョルラス衣装写真、初公開!
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写真提供/東宝演劇部

――キャラクターという点ではどうですか? 私は上山さんの生来のリーダー気質や、時にクレイジーなまでの(笑)爆発力がアンジョルラスにぴったりだなと感じているのですが。

上山 周りからはそのリーダー気質とか、革命家っぽいよね、みたいなことは(笑)すごく言っていただきますね。やっぱり小さい頃から責任みたいなものを背負わせてもらってきたっていうのが大きいと思います。育った環境が母子家庭で僕しか男がいなかったから、家庭にいても自分が父親っていうか、引っ張っていかなきゃならないような部分はすごくあったんで。そしてRUN&GUNとしても14歳ぐらいから、最年少だったんですけどリーダーをやっていて、自分の中で重荷になるぐらい、責任みたいなものをムダに背負ってここまで来ました(笑)。キャラクターを掘り下げるのはまだまだこれからですが、今のところはヒーローにならず、人間くさいアンジョルラスでいたいなと思っていますね。

 

――「レ・ミゼラブル」は、上山さんにとってどんな思いのある作品ですか?
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上山 5、6年前にロンドンで観たんですけど、向こうでは最前列は3000~4000円ぐらいで安く観られるんですよね。それで一番前で観たら、すーごく感動して。作品の内容が素晴らしかったことはもとより、芝居も自然でしたし、歌も“歌い上げる”のではなく、芝居の一部となっていた。俳優がその役として、まさにそこに存在している、ということを感じられたことが一番の感動でした。最初に言ったようないろんな違和感がなく、魔法にかけられたような感覚に陥って。ここを目指せばいいんだなって思いました。

 

――目標を“ミュージカル”というジャンルに定めたということ?

上山 いいえ。ミュージカルをやるならああいったものを目指さなきゃいけないっていう指針ができたということです。僕は正直言ってブロードウェイより、断然ロンドン・ミュージカルが好きなんですけど、ロンドンでミュージカルを観ると、ストレートプレイを観た感覚になるんですよね。第一前提として自分は芝居の人間だと思っているし、芝居をずっと極めていきたいと思っています。その延長上にミュージカルがあるだけで、ミュージカルとストレートプレイを別物とはしていないですね。

 

――先日の製作発表で、カンパニー全員の中心に立っての歌唱披露(「ABCカフェ」~「民衆の歌」)がありました。あの場で新キャストとして発表されていきなり先頭に立って歌うという経験はいかがでしたか?

上山 ものすごく緊張しました。でもああいう場を与えていただいてほんとに有難かったです。個人練習はもちろんしていたんですが、全員と合わせるのは1回だけでした。でも周りのキャストの方たちは、「なんかわかんないことあったら聞いてねー」って感じですごく優しくて。歌い終わって、自分が今できることは全部やれたかなと思いました。いいところも悪いところも全て出せたというか。いや、全て出せたから、いいところも悪いところもはっきりしたという方が正しいかも。もちろん今すぐ本番の舞台に立てるような状態ではないですし、真摯に謙虚に、特に歌をコツコツしっかりとやっていかなきゃなと思っています。


製作発表(11月17日)歌唱披露動画 「ABCカフェ」~「民衆の歌」

 

――大役をつかみながら、まるで浮き足立っていない印象なのですが。

上山 はい、全然です。僕自身は受かってからも平常心で、思っていた以上に周り、特に母親が一番喜んでくれました(笑)。それで、「あ、ほんとにすごいことなんだなあ」というような感じで。「よっしゃー!」っていうよりは、この道に選ばれたというか、この道を与えていただいたんだなという、そんな感覚なんです。

 

――今年は上山さんにとって激動の年でした。RUN&GUN卒業に伴う事務所移籍、同じタイミングで改名(竜司→竜治)、そしてアンジョルラス役の獲得。特に14歳から所属していたグループからの卒業は非常に大きな出来事だったと思います。

上山 「INTO THE WOODS」で最初にお芝居に出会ってから、僕の中でアイドルコンプレックスが大きくなって、役者1本でやりたいという気持ちが強くなってきて。他のメンバーにもリーダー権限という感じで、「個人個人が役者をベースにやっていこう。それしか道はない!」と言い続けていましたね。それぞれが土台のようなものを作らずにただ人気を追い続けていては、その時々の環境の変化に、ただただ翻弄されるだけになるから。取り巻く環境がいろいろ変わっていった中で、自分が信じられるものはなんだろうって思ったとき、僕にとってそれは“芝居”で役者になることだったし、グループとしても役者グループにしていくことがベストだって思いました。

 

――8月末の上山さんの卒業イベント「4人組」でメンバーの宮下(雄也)さんが「(グループに)おっても続けられるやろと思った」と言ってましたよね。同じ気持ちのファンも多かったのではないかと思うのですが、やはり“アイドル”やグループの一員でなくなることは、上山さんにとって重要なことだった?

N7499上山 そうですね、うん。やっぱり僕は、2つのものは得られないと思っているので。
メンバーへの気持ちや愛情は、今でも何も変わらないです。家族みたいな存在だし、本当に感謝してるし。だからこそ、RUN&GUNとしてあそこにいたときには出来ないことを、やっぱり今の俺はやっていかないといけないと思っています。大きなステージで、メンバーといつか共演したいですね。

 

――激動の年の締めくくりとして、現所属事務所キューブの若手男優たちによるライブイベント「PRINCE LIVE~2014 Xmas~」出演が控えています。上山さんが舞台に立つのは8月の「ミリオンダラー・ヒストリー」以来なので、ファンもお待ちかねですね。

上山 完全に狙ってるっていうか、ちょっとふざけたタイトルですけど(笑)、客席のプリンセスたちを楽しませるために僕らプリンスたちが舞い踊ります!(笑) けしてナルシスト的なことじゃなくて、プリンセスたちのためにプリンスになるべく頑張ります、という意味合い。魅力や得意なこともみんなバラバラだから、毎日の稽古が刺激的です。僕は一番後輩ですが、年齢的には一番先輩なので、いい具合に若手の枠をはみ出してお客さんに楽しんでもらいたいですね。実はいち早く、「レミゼ」の曲も少し歌う予定です!

 

  デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
今ドラマでいろんな方と共演させていただいているんですけど、例えば向井理くんとか、顔が小さくて背が高くてほんとカッコよくて、僕からすると別次元の人みたいな感じですね。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
山田孝之くん。フットワーク軽くいろんなお仕事をしていて唯一無二。ああいう存在になりたい。

Q.あなたが考える「いい俳優」とは?
僕的な解釈ですが、“俳優”という字は「非人間であって優れている」と書きます。いい俳優とは……光と陰の両方を兼ね備えて、その両方をコントロールし、さらにそれを自由に表現できる人ですかね。自分はまだまだ勉強中です。

 

  マネージャーから見た「上山竜治」

アイドルとして14歳でデビューし、この芸能界で幾多の哀歓を経験してきた上山ですが、大きな決意のもと、いま新たな一歩を”俳優”として踏み出すために1からのスタートを切りました。殺陣、乗馬、ダンス、歌ほか様々な技術やライセンスを取得したりと、役者にまつわる物事に対して何事にも一生懸命取り組み、努力することを怠らない熱心な俳優です。
小器用な俳優ではなく、一つ一つの役を掘り下げて作り込み、納得できるところまで役と自分との擦り合わせをしていく、“役を生きる”役者になってほしい。彼はそれができる数少ない俳優だと、私は思っております。

(株式会社キューブ 担当マネージャー)

 


Profile
上山竜治 かみやま・りゅうじ
P00001384506_s1986年9月10日生まれ、東京都出身。O型。2000年よりダンスユニット、D.A.N.Kで活動し、2001年に4人組ユニット、RUN&GUNを結成(`14年に卒業)。03年、主演映画「ROUTE58」より俳優活動を開始し、04年、ミュージカル「INTO THE WOODS」で初舞台。幅広いスキルを生かしてストレートプレイ、ミュージカル問わず、舞台を中心に活躍中。現在、ドラマ「信長協奏曲」(CX)に竹中重矩役で出演中
【代表作】舞台 「ブラック メリーポピンズ」(’14年)、「冒険者たち〜The Gamba 9〜」主演(`13)、「L’OPERA ROCK MOZART」(’13年)、「エア・ギア vs.BACCHUS Super Range Remix」主演(`07年)
ドラマ 「押忍!!ふんどし部!」シーズン1・2(tvk) アニメ 「新テニスの王子様」(TX) ほか

【HP】http://www.cubeinc.co.jp/
【ブログ】「竜眼」http://profile.ameba.jp/ryuji-kamiyama/

+++ 今後の出演作 +++
PRINCE_scube presents PRINCE LIVE ~2014 Xmas~
公演期間:2014年12月24日(水)・25日(木)
会場:東京・CBGKシブゲキ!!
≫公式サイト:http://cubeinc.co.jp/stage/info/cube-prince-live.html

lesmiseミュージカル『レ・ミゼラブル』
公演期間:2015年4月17日(金)~6月1日(月)
※4月13日(月)~16(木)にプレビュー公演
会場:東京・帝国劇場
チケット一般発売日:【4月分】2月7日(土)【5・6月】2月14日(土)
≫チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.tohostage.com/lesmiserables/
全国公演スケジュール:6月名古屋 7月福岡 8月大阪 9月富山・静岡

 

 


デキメン列伝 第2回 上口耕平

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第2回】 上口耕平  KOHEI UEGUCHI
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“展開”を楽しんで、ポジティブな方向に持っていくのは得意です


Writer’s view

弾けるような表情でキレッキレに、心から楽しそうに踊るこの人がいると、大人数の群舞のシーンでも目を奪われずにいられません。2人目のデキメンとしてご登場いただいたのは“視線泥棒”上口耕平さん。ミュージカルファンには元気な若手としておなじみですが、昨年末の「聖☆明治座 るの祭典」への出演で、若手男優ファンにも“デキるお兄さん”として認識されたはず。エンターティナーとしてのこれまでの道のりと、知りたかったその笑顔と元気の秘密もたっぷり伺いました。

取材・文/武田吏都

 

――最近の出演作は昨年末の「聖☆明治座 るの祭典」(’14)。る・ひまわり製作のこのシリーズには初参加でしたが、出演してみていかがでしたか?

上口 史実とはまた異なる明智光秀役だったんですが、いつもはポジティブな楽しい役を演じさせていただくことが多いので、悪役と言いますか、ああいう捻じ曲がった性格の人間を演じるのは初めてですごく新鮮でした。正直悪くないな、やってて気持ちはいいなと思いました(笑)。役者としてひとつのイメージだけでなく、振れ幅大きく生きていきたいと思っているので、ある意味待っていたというか、そういう機会が与えられてありがたかったです。

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「聖☆明治座 るの祭典」(’14) 撮影/宮川舞子

 

――第二部のショーでは打って変わり、架空のアイドルユニット「バルト☆5」としてフリフリの衣裳で、キラキラのオーラを振りまいて(笑)。

上口 「CLUB SEVEN」(’12、’13)でああいう格好はしていたので、抵抗はなかったです(笑)。どっちかというと周りのメンバーの方が「こんな衣裳着たことないよー」みたいな感じだったんですけど、僕は意外となんの抵抗もなく、スルリと(笑)。

 

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「聖☆明治座 るの祭典」(’14) 撮影/宮川舞子

 

――この作品のキャストが発表されたとき、上口さんの参加に少し驚きました。常連メンバーの若手男優が多い印象のこのシリーズで、ほぼ唯一のミュージカル畑からの参戦という形でしたよね。ご本人としては、ちょっと違う畑の仕事というような感覚はなかったですか?

上口 やっぱり、新しい場所という感覚はありましたね。周りは皆さん顔見知りで何度も共演されてるという中で、ちょっと言い方悪いですけどアウェイというか。そして年齢的にも上の部類だったので、周りの年下の子たちからしても「このお兄さんはいったい何者なんだろう?」というスタートだったと思います。でも稽古を重ねるうちにみんな仲良くなって、最終的にはすごく仲間になりました。現場でも、普段ミュージカルの舞台に立たせてもらっている経験というかニオイを少しでも出せたら周りのみんなの刺激になるんじゃないかと思ったり、歌も歌い方によってはこんなに面白くなるんだよ、みたいなことを少しは伝えられたかと。

 

――稽古場では、ダンスや歌のリーダー的ポジションを?

上口 何かあったら任されるという感じではあったんですけど。ダンスはもともと一生懸命やっている方が多かったのでそれほどではなかったですけどね。

 

IMGP7635_01s――上口さんが年長格というのも珍しいですよね。これまでの現場ではむしろ、後輩キャラのイメージでした。

上口 そうなんですよ! それもすごく新鮮で。自分たちが同じ年代だった頃のことを思い出すと、今の子たち(笑)はアドリブ力とか機転が利くし、芝居に対してすごく真剣なところが刺激にもなりました。あと、すごく慕ってくれたんですよ。「コーヘイさん、コーヘイさん!」って来られて「お、おぅ……」っていうか(笑)、少しお兄ちゃんになった気持ちで、ちょっとかわいいなと思ってしまいました(笑)。

 

――結果、上口さんにとって新しいファンをたくさん獲得した作品になりました。

上口 ありがたいですね。やっぱりずっと続いてきたる・ひまわりさんの作品なので、その空気感を壊さずに、違う空気だけど作品のいいエッセンスになっているという立場でいたかったので。場違いという感じにはならずに受け入れていただいたのが、すごくうれしかったです。

 

――その「るの祭典」や「CLUB SEVEN」でも感じたことですが、特に群舞でのアピール力がものすごいですよね。つい目が行ってしまう、まさに“視線泥棒”で、テクニックだけではない何かがあるというか。

上口 ありがとうございます(笑)。僕はもともとダンスからスタートしている人間なんですけど、初めて舞台の上で踊った小学生のとき、今まで感じたことのないなんとも言えない快感があって。そのときに初めて「観て!」と思ったのを覚えています。なんか、理由なく。

 

――もともと目立ちたがり屋の子供だった?

上口 自分では全然覚えてないんですけど親戚の話によると、親戚が集まると勉強机にあるライトをスポットライトのように設置して自分に当てて、何か曲をかけろとアピールしてたと(笑)。で、歌ったり踊ったり、なんかパフォーマンスをするらしいんですが、親戚が見てないと泣いたという(笑)。それが3歳ぐらいの話ですね。

 

――そういう性格が高じて、現在の上口さんがあると(笑)。

上口 もう少しして、5、6歳から田舎のダンススタジオに通い始めて、それが本格的なスタートですね。ただ、目立ちたい、発信したいというのは昔から変わらずで、小学校も中学校も生徒会長で、校則を変えたりとかしていました(笑)。目立ちたいというよりは、発信したい、ですかね。例えば誰に頼まれたわけじゃないけど自分で新聞を発行してクラスのみんなに配ったり。内容は「宇宙船が校庭に!」みたいな嘘のニュースで、要は「これって面白くない?」って思ったら伝えたくてしょうがない。本気で漫画家を目指していた時期もありましたし、じーっとこもって何かをやることが好きな、ちょっとオタク気質でもあったりして。

 

――ただ、数ある“発信”のための表現の中で、一番しっくり来たのがダンスだったと。

IMGP7622s上口 ダンスとか、舞台の上で演じること。これも家族から聞いた話ですけど、リズム感みたいなものは小さい頃からわりとあったみたいです。何か曲をかけると普通の子供はそれに合わせてゆっくり体を揺らすような感じなんですけど、僕の場合はなんか小刻みにこう、震えていたらしくて(笑)。母親は最初、「この子、なんかヘンなのかな?」と思ったらしいんですけど(笑)、父親が「これはリズムを刻んでいるんじゃないか?」と言って、洋楽のファンキーな曲やロックを流したりしていたそうです。

 

――そういえば、「るの祭典」でもモノマネを披露していましたが、上口さんの人生に多大な影響を及ぼしているのがマイケル・ジャクソンですよね。

上口 そうですね、大きいです。出会いは、小学校1、2年くらいにダンススタジオの先生にたまたま見せてもらった「リメンバー・ザ・タイム」というPV。あれを観たときほんとに稲妻のような衝撃が走って、全てが変わりました。僕、和歌山のほんとに田舎育ちで、家の裏が山だったから木に登って遊んだりしてたんです。そんな環境だから、そういうアーティストみたいなことは誰もやっていないし誰も興味がないし、周りがサッカーとか野球をやっている中で、ダンスをやってる自分はちょっとヘンなヤツって感じだったんですね。だからいずれ辞めるものだと思っていたんですけど、そのPVを見て全てが変わって「これだ!」と。そう思いながらも“これ”って何なのかはよくわからなかったんですけど、世界観を発信する人、みたいなところに衝撃を受けたんだと思います。ダンスだけではなくて、あのPVには歌やお芝居の世界も入っていますから、全部含めてトータル的にダーン!ってきました。そこから毎日、学校から帰ってランドセル下ろしたらPVをスローで見て角度から何から全部マネして、一人で延々と「ダッ! ェアッ!」ってやってました(笑)。そこが原点でもはや日常だったので、「るの祭典」でやったネタなんかは僕にとってはモノマネでもなんでもないんですよ(笑)。そのマイケル・ジャクソンはもちろんですが、もう一人、サミー・デイヴィスJr.も最高に憧れるエンターティナーですね。

 

――そこからずっとダンスは継続しつつ、芸能界デビューは、2002年のドラマ「ごくせん」。大ヒットドラマの第一シリーズで、今振り返ると錚々たる顔ぶれが同級生役で出演していた作品でした。どんな思い出がありますか?

上口 男ばっかりでほとんどが10代だったので、「静かにしろ!」「テメーら、いい加減にしろよ!」って監督にしょっちゅう怒鳴られたり、ほんと男子校みたいでした。すごく楽しかったです。その中で、僕は一人だけ本当の高校生だったんですよ。一番年が近かったのが松山ケンイチくんで、(小栗)旬くんとかとも一緒にJRに乗って現場に通ったりしていた頃ですね。懐かしいです。

 

――歌ったり踊ったりせず演技のみ、かつ映像というのは、今の上口さんからすると意外なスタートだったような印象があります。でも今メインの活動の場である舞台も、初舞台は「絶対王様」という小劇場の劇団の作品なんですよね。

上口 今も昔も変わらないんですけど、絶対これしかやりません、みたいなことを決めてるわけではないんです。特に初めの頃は、いろいろやってみたいっていうので突っ走っていましたね。でも今もジャンル分けとか関係なく、ただ単にパフォーマンスし続けたいだけ、です。

 

――非常に印象的だったのでお伝えしたいのが「シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~」(‘14)のことで。ギャングの一味パブロとして役を演じているときも良かったのですが、本編終了後にキャストと観客全員が一緒に踊るというコーナーがありましたよね。あのとき、舞台上で身振りを観客に教えるインストラクターのような立場だった上口さんがとにかくすごくて。表情や体全体から「一緒に踊ろう!」っていう気持ちがビッシビシ伝わってきて、あそこにいた観客一人ひとりが「私だけに教えてくれている!」みたいな感覚になったはずなんですよ。上手く表現できませんけど(笑)。

上口 ありがとうございます(笑)。「一緒に楽しもうよ!」っていう気持ちが前面に出ていたのは確かなので、それを感じていただけたなら幸いです。

 

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「シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~」(’14)
写真提供/東宝演劇部

――最初のアピール力の話にも戻りますが、やっぱり常に全力なんですよね。とにかくそれが上口さんのパフォーマンスがこちらに伝わってくる一番の要因じゃないかと。

上口 全力、ですね。僕、劇場入りすると必ず、その劇場で一番遠い席に行くんですよ。「シスター・アクト」の帝国劇場だったら2階の一番端、「るの祭典」の明治座だったら3階の一番端に自分の足で行って、そこに座って舞台を眺めるというのをルールにしているんです。この端の席までエネルギーが飛ばない限りは舞台に立っちゃいけないなと思うので。とはいえ、それってすごく難しいことではあるんですけど、常にその目標を具体的に感じて、意識してはいるんです。

 

――そういえば「るの祭典」のお客さんの感想で、「上口さんが3階まで目線をくれた気がしてうれしかった」というのを見かけました。

上口 ハイ、3階まで見てます!(笑)

 

――そうだったんですね。そういう意味でも、やはり上口さんには“陽”で笑顔なイメージが強いです。性格的にもポジティブですか?

IMGP7682_01s上口 どうなんですかね……ポジティブというか、ポジティブにするのが得意というか。もともと明るいわけじゃなくて、どっちかというとネクラだと思うんですよね。家でじっとして面白いこと考えたりとか映像見て研究したりとか、そういう時間が落ち着くし好きなので。でもなぜかよくわからないですけど、子供の頃から次に何が起こるかっていう“展開”を楽しんで生きていきたいと思っていました。生きている上で辛いことがあろうが、それもひとつのストーリー。じゃあそれをどうクリアしてどうすればもっと楽しめるかなとか、その展開を1個1個噛み締めて楽しんでいく。辛いことを楽しむって言い方はヘンなんですけど、その次はきっと楽しいことがあるとか、そういうポジティブな方向に持っていくのは得意だし、そういうクセはあります。だから楽観的ともちょっと違うし、自分のことをそんなに明るい人間だとは思わないですけど、そういう風に楽しんで生きていきたいというのはあります。

 

――ご自身のヒストリーをたくさん語っていただきました。ありがとうございます! そして控えている最新舞台は、3月開幕のミュージカル「タイタニック」。役どころを教えてください。

上口 マルコーニ国際海上無線電信会社の無線係(笑)という長い前書きのある、無線通信士ハロルド・ブライドという役です。とても内気で人見知りでシャイな、これまた今まであまり演じたことがなくて、チャレンジしてみたかったような役なんですよ。それこそオタク気質と言いますか、無線通信にしか興味がない、みたいな。でも「無線通信をしているオレはめちゃくちゃカッコいい。その姿は誰よりも誇らしい!」っていう気持ちの強い人間なので、台本を読んでいても面白いんです。まだ稽古が始まっていないので大きなことは言えないんですが、いかようにも演じられる人間であるなというのが第一印象でした。ほんとにオタク気質でおとなしい空気が前面に出てしまう人なのか、ちょっと明るい要素がある程度匂っているんだけど実は……っていう人なのか、いろんな態度が想像できるがゆえに、演出のトム(・サザーランド)さんと話しながら作っていきたいですね。無線室の中と外でも人物の印象が少し違うんですよ。「本当のブライドはどっちだい?」っていう(笑)。もちろんどちらもブライドなんですけど、その幅が面白いなと思います。

タイタニック

――ブライドの見せ場をひとつ挙げていただくとするならば?

上口 機関士のバレット(藤岡正明)が恋人に贈るプロポーズの言葉をブライドが打つシーンがあるんですが、そこが2人の生き様が一番強く出るシーンというか。バレットが心の内を「プロポーズ」というナンバーで歌い上げて、ブライドもその愛の言葉を打てる喜びとこれを伝えるよということを「夜空を飛ぶ」というナンバーで同時に歌う。日々、伝令を延々と打ち続けるのも誇りある仕事なんですが、そのバレットの頼みは無線通信士の生きがいとも言える、幸せな瞬間だと思うんですよね。あそこは台本を読んでいても印象的で、その先待っている悲劇を全く感じさせない、幸せなシーンになっていると思います。

 

――タイタニック号に乗っていた人たちのように、死が濃厚であるけれども、それまでに多少の猶予がある場合、上口さんならどのようにその時間を過ごすと想像しますか?

上口 どうでしょうねえ……。うーん、想像でしかないので難しいですけど、やっぱりその場にいる子供をどうにか助けたいとは思うはず。何も知らずに怯えている子供たちがいて、そういう命をどうにか優先的に守れないかと。たぶん比較的冷静というか、あまり取り乱さないと思います。

 

――ただ絶望せず、何か先につなごうと。

上口 もちろん実際のところはわからないですけど、なんか、いろんな手段を考えると思います。さっき言ったように田舎育ちなので行動派と言いますか(笑)、「こっちから行けばそこに行けるんじゃない?」っていうようなことを試すんじゃないかなという想像はしちゃうんですけど。

 

――さて、今年で30歳となりますが、何か心境の変化はありますか?

上口 皆さんが言ってくださるほど自分の中では何も変わらないです。ただちょっと面白いのは、「タイタニック」の大阪での大千秋楽が4月5日で、その翌日の6日が誕生日なんですよ。だから20代の最後の最後まで舞台に立てるなんて、こんな幸せなことはないです。そこにも勝手に縁を感じさせていただいていますね。……タイタニック号とともに20代は終わり、30代の役者・上口耕平が次の日からまた出航していく! 完全に今、思いついたんですけど(笑)。

 

  デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
日本語日本文学科という日本語を研究する学科卒の観点で言うならば、どんどん意味が広がってイメージが薄れているなと。もともとは顔がカッコいい男前が“イケメン”だったんですけど、今は行動もイケメンって言ったりとか。例えば子供がお母さんのためにドアを開けてたまたまエスコートした形になっても「イケメンだね!」ってなりますよね。便利な言葉ですけど、本来の“イケメン”のイメージは薄れている気がします。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では橋本じゅんさん。舞台からビシビシッと来るエネルギーが憧れ。僕は関西人なので面白いっていうのは大前提でカッコいいと思うんですが、かつ色気があるっていう。
同世代では森山未來さん。いろんなことを幅広く柔軟にされている中で、表現者としての、周囲を納得させるこだわりを貫いている姿勢が素晴らしいし、素敵だなと思います。

Q.「いい俳優」とは?
生き様を想像させてくれる役者。何も説明していないんだけど、そこに存在する居方だったりちょっとした台詞だったりで、演じている役柄の生き様――こう生きてきたんだろうなとか、この先こう変わっていくんだろうなっていうのを想像させるっていうのが、いい俳優じゃないかと。

 

  マネージャーから見た「上口耕平」

見かけによらず、実はまっすぐな日本男児。明るく、誰に対しても優しいのですが、優しいことで自分の首を絞めていることが(笑)。
今はとにかく多くの出逢い、経験をさせたいと思っています。そのひとつひとつを大事に全力投球し、上口が感じたこと、得たことを話し合いながら、役者としても人としても成長していってほしい。そして得意のダンスを生かしながらも、芝居をしっかり勉強して、守備範囲の広い俳優になってほしいと思います。

(有限会社ジャンクション 鈴木マネージャー)

 


Profile
上口耕平 うえぐち・こうへい
1985年4月6日生まれ、和歌山県出身。A型。幼少期にダンスを始め、高校在学中に結成した2人組ダンスユニット「DEVAKINGS」でダンスアタック準優勝など、全国規模のコンテストに入賞。2002年、ドラマ「ごくせん」でデビュー。03年の初舞台以降は、主にミュージカルの舞台で活躍中。ミュージカル映画「蝶~ラスト・レッスン」に出演(6月~、映画配信サービス「LOAD SHOW」で配信開始)
【主な出演作】舞台/「聖☆明治座 るの祭典」(’14)、「Burst cake」(’14)、「道化の瞳」(’14)、「シスター・アクト~天使にラブ・ソングを~」(’14) 、「CLUB SEVEN 9th stage!」(’13)、「屋根の上のバイオリン弾き」(’13)、「シルバースプーンに映る月」(’13)、「ALTAR BOYZ」 (’12) ほか
【HP】http://www.junction99.com/
【ブログ】「上口耕平電波塔」 http://stylejunction.blog.shinobi.jp/
【Twitter】@kohei_ueguchi

+++ 今後の出演作 +++
タイタニック宣材s▶新演出版 ミュージカル「タイタニック」
公演期間:3月14日(土)~29(日)
会場:東京・Bunkamuraシアターコクーン
全国公演スケジュール:4月1日(水)~5(日)大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://titanic-musical.com/

 

▶「聖☆明治座 るの祭典」「る・コン」上映会
(※昨年末の公演をスクリーン上映。ゲスト出演者は決定次第、公式サイトで発表)
公演期間:3月14日(土) ※13:00開演「るの祭典」、17:00開演「る・コン」
会場:東京・豊洲pit ※大阪、名古屋、横浜あり
>>公式サイト http://le-himawari.co.jp/releases/view/00478

デキメン列伝 第3回 陳内 将

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第3回】 陳内 将  SHO JINNAI
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プレッシャーはあまり感じない人間です。
感じてる方が失礼だから


Writer’s view

“悪の華”とでも呼びたい、この人のダークな雰囲気がずっと気になっていました。カワイイ系や健全なヒーロー型が隆盛(と思える)の昨今の若手男優シーンでは得がたい個性を放つ陳内将さん。「あの憂いある表情の奥には何が?」と興味津々で臨んだ初取材でしたが、素顔の彼は、実はかわいらしい目を細めてよく笑う、知的で芝居好きの熱い青年! 自身の魅力にまるで無自覚だった彼が“俳優”という仕事に目覚めるまで、そしてその後のヒストリーをたっぷり聞きました。

取材・文/武田吏都

 

――2月8日まで舞台「悪」に出演されていて、2週間ほどで次の舞台「パスファインダー」に立ちます(大阪公演終了。3月から東京公演)。ヒトのクローン誕生をきっかけに人間の善悪をあぶり出した「悪」と、キャラメルボックス本公演であるハートフルなSF「パスファインダー」では作品のテイストがガラッと違いますね。2作品の稽古・本番を並行して行っていたそうですが、どんな経験でしたか?

陳内 自分の中でゴチャゴチャするかなと思っていたんですけど、テイストも周りの人たちも違うから、視覚とか聴覚とかそういうところから勝手に切り替われていたなと。トータルで1作品と考えるというか、「悪」が一幕で「パスファインダー」の稽古が二幕みたいな。そういう思考回路じゃないと、逆に切り替えるってなるとゴチャゴチャしちゃっただろうなと思います。

――確かに「悪」は結構ヘビーなお話でしたし、どっぷり浸かった状態から意図的に切り替えるのは大変そうだなと想像します。

陳内 「悪」は終わったばかりですけど(取材時)、疲れました(笑)。身も心もって感じでしたね。でも僕がやった週刊誌の記者の役は序盤はライトにやれるんで本番前は緊張しなくて、そういう意味ではすごく楽な気持ちで入れました。

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舞台「悪」(15年)

――昨年は3本の舞台「怪談・にせ皿屋敷」「ロボ・ロボ」「駆けぬける風のように」に出演されましたが、どの陳内さんも印象的でした。そして改めてハッとさせられたのが、陳内さんの美しさで。

陳内 ハハハ!! あら(照)。

 

――非常に目を引くので、パッとスカウトされたりして華々しいスタートを切った方なのかなと思いきや……。

陳内 違うんですよ(笑)。養成所(ワタナベエンターテイメントカレッジ)に通ってたんです。俳優という仕事に興味も全くなくて。僕、高校のとき進学校の寮生活でずーっとガリ勉だったんです。それが大学に入った途端、ハッピーで楽しすぎて毎日が日曜日みたいで(笑)、ここにいたら俺は腐っちゃうなと思ったんですよね。で、読んでた雑誌に養成所のオーディションが載ってて、写真だけでエントリーできると書いてあったので、友達と一緒に「エントリー完了!」って(笑)。大学1年の夏でした。そしたらその友達がオーディションの前日に「行かない」と言い始めて、じゃあ俺もやめようと思ってキャンセルの電話をしたら、怒られちゃって。「アンタの覚悟はそんなもんなの?」みたいなことを、電話の向こうの女の人に言われ(笑)。養成所の先生の一人だったんですけど。

 

――でもそこで事務的に処理されていたら今の陳内さんは……。

陳内 たぶん、違うことになってたのかなと思いますよね。で、養成所に入ったものの、役者志望でもなかったんです。「雑誌に載るような仕事しーよう」みたいな超軽いノリで(笑)、モデルコースにしようと思っていて。そしたら別の先生に「お芝居やってみない?」と言われ、断ったんですけど「向いてると思うよ」って言われて、「あ、そーすか?」って(笑)。だから今の僕の道を作ったのは、その養成所の先生2人なんですよね。

 

――実はすごく映画好きだったとか、そういうことは?

陳内 全然です。舞台も観たことなかったですし、映画館で観た映画も「ハリ-ポッター」と「クレヨンしんちゃん」しか(笑)。あ、学生のときにデートで「海猿」は観たかな。ほんとその程度です。寮ではテレビが1週間に1時間しか見られなかったから、ドラマも全然見ていないですし。

 

――じゃあ本当に言われるがまま。俳優を目指すことに、すぐ本気になれたんですか?

陳内 養成所での最初のお芝居のテストが、たしか2位だったんですよ。「なんで1位じゃないんだろ」と思って悔しくて。そこからです、お芝居にちゃんと興味を持ったのは。負けたくなくて頑張って。でも結局1回も1位は取れなかったけど。ただ“服装”はいつも満点でした(笑)。お芝居のテストなのに、私服を審査される“服装”って項目があったんですよ。

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――陳内さんといえばオシャレなことでも知られていますよね。陳内さんの場合、単に好きなだけではなくて、自己表現のひとつなのかなと感じたのですが。

陳内 あー、そうかもしれないですね。例えば、毎年流行りのスタイルとかあるじゃないですか。僕、そういう流行りにあえて流されず、自己流で表現したいという気持ちになるんです。

 

――それはファッションに限らない話?

陳内 そうかもしれないです。流行に乗っかるのが苦手っていうか、自分自身の中だけですが、恥ずかしくなります。

 

――話は戻りますが。受身のスタートではありましたが、本気になるスピードは速くて、やっぱり俳優に向いていたんですね。

陳内 スッと、「あ、これ面白いな」と思うようになりました。で、常に成績上位にはいたんですけど、1位は取れない。養成所はワタナベと名がついていても、もちろんみんなが事務所(ワタナベエンターテインメント)に入れるわけじゃないんです。ここで1位になれないのに、卒業してどこか事務所に入ってやっていけるのかなって焦りはずっと持ってました。周りには遊び感覚の人もいたけど、ここからちゃんと作っていこうって結構考えて、ビジョンをしっかり持っていたと思います。

 

――結果、ワタナベエンターテインメントに所属して、俳優として8年ほど経ちました。振り返ってみていかがですか?

陳内 もう8年経ったんだって思います。早いなあ。当時思い描いていたこととしては、23、4歳ぐらいでもっと売れてるって勝手に思ってました(笑)。でも地道にというか、ひとつひとつ作品を重ねてっていう今の生活にはすごく満足してますね。いろんな作品に出たいとか、いろんな人と出会いたいって欲はありますけど、現状に不満もないし過去を否定もしないですし。全部いい経験になってるなって思います。

 

――今おっしゃった23、4歳ぐらいって、「特命戦隊ゴーバスターズ」(12~13年)の頃ですよね。敵側のエンター役を演じて人気も知名度もグンと上がりましたが、最初はヒーロー側でオーディションを受けたそうですね? スタッフは陳内さんに“魔力”のようなものを感じて敵側にキャスティングしたとか。

陳内 これも自分ではよくわからないんですけど、21、2ぐらいのときから周りの方に「色気がある」と。東京に出てきてからずっと言われてるなぁと思ってはいたんですけど(笑)。
戦隊モノのオーディションってみんな、なりたい色の服を着てくるんですって。レッド狙いなら赤、ブルー狙いなら青みたいな。そうなんだーと思って、僕が着ていったのは赤の豹柄っていうよくわかんないヤツで、めっちゃ浮いてました(笑)。人見知りでオーディションとかすごい苦手だったし、周りがみんなキラキラしてる中でたぶんカンジ悪かったんですよ。「つまんねえな」みたいに見えていたと思うんですけど、監督に「好きなものはなんですか?」って聞かれて、「……甥っ子っす」って(笑)。「甥っ子がすごいかわいいんです」って言ったら、「キミ、そんな笑顔するんだね」って言われて、監督はそこですごく興味を持ったとおっしゃってましたけど(笑)。

 

――陰や悪の雰囲気を持っている(でも完全にワルになりきれない)というのが、陳内さんの大きな持ち味ではないかと思うのですが、そういう要素っていうのは、自分の素の部分にもあるもの?

陳内 上京したてぐらいのときは、自分の中から引き出しを開けて、つまり自分の中からじゃないと役は作れないみたいに思っていたんですけど、意外とイマジネーションで全部できるなって最近思うようになって。じゃあ無理して自分の引き出しを増やすという形だけにとらわれないで、目の前の現象に素直にリアクションしていけば、それがたぶん一番リアルなんだろうなという風に最近考えがシフトチェンジしてきました。

 

――そんな陳内さんの今までの役の中で意外だったのが、Dステ「十二夜」(13年)の道化フェステ役でした。いわゆる“道化”イメージがあまりなかったからだと思うんですが。

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Dステ14th「十二夜」(13年) ※右から3番目

陳内 でも僕自身、最初にホンを読んだときにこの役をやりたいって思いました。なぜか道化を主人公に、道化目線で読んじゃっていたんですよね。シェイクスピアって大事なことは道化にしゃべらせてるよなと思ったし、たぶんそれ以外の人物よりも魅力を感じたんだと思います。誰よりもよっぽど深い闇を抱えているんだけど、そこが言葉では描かれていなくて、お客さんにイメージを投げてるっていうか。喜劇だから周りは楽しくやっていましたけど、僕はその部分をすごく落とし込んでしまって、稽古自体も道化の目線で見ちゃってました。これも全部ただの虚像だ、ぐらいな(笑)。だから稽古も本番もまるで楽しくなかったですね。でも「楽しかったー!」って思えちゃうとフェステの目線と外れるんじゃないかと思うから、それが正解かなって思うんです。そういう意味では「悪」も、役的にキツいから楽しくなかった。終わった今も、まだちょっと苦さが残っている気がしますもん。終演後の飲み会は楽しかったですけど(笑)。

 

――そこまで入り込んだということですよね。逆に、「これは楽しかった!」という作品は?

陳内 「NOW LOADING」(10年)と「ロボ・ロボ」(14年)。「ロボ・ロボ」の僕の役・アナライザー(=ロボット)も、すごい切なかったんですよね。でも自分は機能停止しても、大事な相方のレコーダー(矢崎広)は無事に帰って行けたから、僕としてはハッピーエンドなんですよ。あ、その次の「駆けぬける風のように」(14年)もすごい楽しかったです。

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「ロボ・ロボ」(14年)

――「駆けぬける風のように」では沖田総司役でした。誰もが知る“薄幸の美剣士”ですが、沖田役と聞いたときはどう思われましたか?

陳内 なんで俺なんだろうって。年も年だし、もっと若いキラキラした子もいるだろうにと思って。でもその疑問は3秒ぐらいで消えて、来たらやるしかないと思いました。沖田は刀ができないとダメということで、ちゃんと殺陣のオーディションがあったんですよ。そこで評価していただいたみたいなので、じゃあ見た目や年で沖田じゃないよって思われても、刀では絶対見せられるなと思って。

 

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Dステ15th「駆けぬける風のように」(14年)

――いやいや、見た目も本当に美しい沖田でした! 「駆けぬける風のように」は成井豊(キャラメルボックス)さんを作・演出としてDステに迎える形でしたが、今度の「パスファインダー」では、陳内さんお一人がD-BOYSからキャラメルボックスに客演という形になりますね。

陳内 ほんとに優しい方ばっかりで皆さんアットホームな迎え方をしてくださるので、すんなり溶け込ませてもらってます。「駆けぬける風のように」でコラボする前から僕キャラメルボックスさん大好きで、よく観に行ってて。キャラメルボックスさんの作品はほんとハッピーで悪い人間が一人もいないから、すごくいい気分で終われるんですよね。

 

――「パスファインダー」は成井さんによる書き下ろしですが、演じる秋路(しゅうじ)は陳内さんへのあてがきですか?

陳内 舞台俳優の役です。タイムトラベルものなんですが、僕は1992年の人で、秋路が立つハコ(=劇場)は、1992年にキャラメルボックスさんが実際に使ったハコだったり。だから僕自身にあて書いたというより、キャラメルボックスさんの歴史とか成井さんの感情が僕の役に乗せられているという感じです。「わ、陳内のためのホンだ」って思われるお客さんも絶対いると思いますけど、必ずしもそうではないっていう。

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――ただ、そういうものが劇団員じゃなく客演の陳内さんの役に込められているという重みはありますよね。

陳内 うーん……僕たぶんあまりプレッシャー感じない人間なんですよね、最近は。「歴史ある作品で」とか口では言いますけど(笑)、意外と感じていない。感じてる方が失礼だから。この役をいただいたってことは、僕しかたぶんできないし。プレッシャーというより、“妥当”って考えます。傲慢な意味じゃなくて、「僕だからこの役なんだ。なるほど!」っていう。その方が素直に芝居に取り組めるんですよね。

 

――「駆けぬける風のように」を観たとき、成井演出のリズムがD-BOYSにもしっかり浸透していることに感心したんです。全員がキャラメルボックスの劇団員に見えたというか。2度目の成井演出になりますが、いかがですか?

陳内 大好きです。成井さんとはウマが合う(笑)。だから何を求められているかがわかるし、僕も成井さんに対して100分の100空けてますから、すぐそれを体現できる。ムダな人間関係がないっていうのかな、すごい楽しいです。

 

――この作品には時空を飛ぶ“クロノス・ジョウンター”という機械が登場しますが、陳内さんは未来と過去、どっちに行きたいですか?

陳内 過去に行きたい。そして自分に、「中学を卒業してそのまま上京しろ。そして役者をやりなさい」って言う。事務所に入ったのが20歳だったんですけど、もっと若いときからやっていたら、そのときにしかやれない役がやれたのになって思うんです。ほんっとにこれは、取り返せない後悔ですから。

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キャラメルボックス「パスファインダー」に秋路役で出演

――もう1本、6月に新国立劇場での「東海道四谷怪談」が決まっていますね。残念ながらまだ発表できないですが、意外な役に挑戦! 先ほどお聞きして驚きました。

陳内 別の役でオーディションを受けたんですけど、さっきもちょっと話した「色気がある」というのを演出の森(新太郎)さんに言っていただいて、まさかの役をいただきました。自分では一生やることない、ぐらいに思っていたんですけど。だから事務所の人と外部の方でも見方が違うし、僕の印象って今までほんとにいろいろ変わっていきました。

 

――内野聖陽さん、秋山菜津子さんといった実力派な方々との共演や、“新国立”のブランドというか、そういうプレッシャー……は感じない方なんでしたね(笑)。

陳内 周りはベテランの方ばかりだし、すっごい面白そうだと思っています。僕たぶんこのカンパニーで一番年下なんですね。だから一生懸命やればベテランの方々は絶対にかわいがってくれるだろうし、甘えられると思っちゃいました(笑)。もちろんお芝居の中での甘えの話ではないですよ。一生懸命やろう、としか今は思っていないです。

 

――D-BOYSという、劇団ではないけれども集団の一員であることについてはどう感じている?

陳内 最近は、全てがプラスに転じていると僕は思います。以前はグループにいることをどこかヘンなレッテルって思う瞬間もありましたね。「卒業して独り立ちできれば一人前ってこと?」みたいな。でも今は帰る場所にもなって、僕が舞台に出たときにグループの誰かが来ると「仲間が来てくれた」って素直に思えますし、他のヤツがやってるときも「観に行こう」ってなるし。みんな1役者としてやっていますけど、集団が自分の枠としてあることに、今は何もマイナスはないかなと思います。
今27歳なんですけど、この年になってやっといろいろ楽しくなってきたなって感覚がありますね。たぶん勝手な焦りとか自己主張欲とかそういうのがどんどん少なくなって、ちょうどいい肩の力の抜け具合なのかな。人間や物事にフラットに向き合おうって、なんか思うんです。

 

  デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
イケメンより「男前」って言ってほしいです! イケメンとは言われたくないな。九州男児だからか、どうも軽い単語に聞こえちゃって。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、「悪」で共演した高岡奏輔さん。芝居に対して本当に真摯な人。世間のイメージとはまるで違う性格とか、あんなふてぶてしい顔してるくせに繊細な演技をするとかもう、ギャップがありすぎて大好きです(笑)。
同世代では、「ロボ・ロボ」で共演した矢崎広くん。たまにLINEでやり取りするんですけどほんとに熱いんですよ、アイツ。考え方が僕とすごく似ているところがあるし。また一緒に芝居をやりたいと一番思っている役者さんです。

Q.「いい俳優」とは?
あまり多くを語らない人。姿勢で見える人の方が好きです。口で言っちゃうと簡単ですから。

 

  マネージャーから見た「陳内 将」

お芝居が大好きで一直線な人。大変なのはわかっていても休みになると不安になるらしく、基本「仕事入れてください」というスタンスで、お芝居に対してとても貪欲です。
末っ子なので本来甘えていくタイプではあったんですが、3年ほど担当してきた中で、徐々に変化してきました。特に影響が大きかったのは、Dステ以外の外部の舞台に久々に出演した昨年の「怪談・にせ皿屋敷」、そして「ロボ・ロボ」という流れがあってから、気持ちの面でもいろいろ変わった気がします。
この先は、舞台も映像もしっかりやっていろんな経験をさせていただきながら、様々な作品にお声掛けいただけるような俳優に育っていってほしいと思っています。

(株式会社ワタナベエンターテインメント 担当マネージャー)

 


Profile
陳内 将 じんない・しょう
ガチバンNG2写真s1988年1月16日生まれ、熊本県出身。O型。ワタナベエンターテイメントカレッジにて演技の勉強を始める。卒業後、所属事務所・ワタナベエンターテインメント内の若手俳優集団・D2のメンバーに(13年よりD-BOYSのメンバー)。08年の「ラストゲーム~最後の早慶戦~」で初舞台。12~13年、「特命戦隊ゴーバスターズ」のエンター役で注目される。主演映画「ガチバン NEW GENERATION2」が公開中。
【代表作】舞台/「悪」(15年)、Dステ「駆けぬける風のように」(14年)、「ロボ・ロボ」(14年)、Dステ「TRUMP」(13年)、ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン 柳沢慎也役(11年)
ドラマ/「刑事110キロ」(EX)、「スイッチガール!! 1&2」(CS・フジテレビ2)、「特命戦隊ゴーバスターズ」(EX) 映画/「青鬼」ほか

【HP】http://www.d-boys.com/
【ブログ】「Live in the present」http://ameblo.jp/sho-jinnai-we/

 

+++ 今後の出演舞台 +++
パスファインダー3人▶キャラメルボックス クロノス・ジョウンターの伝説
「パスファインダー」 ※「クロノス」との二本立て
公演期間:3/6(金)~22(日)
会場:東京・サンシャイン劇場
≫チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.caramelbox.com/stage/30th-1/

 

▶「東海道四谷怪談」
公演期間:6/10(水)~28(日)
会場:東京・新国立劇場 中劇場
チケット一般発売日:4/4(土)
≫チケット情報はこちら

他公演スケジュール:7月1日(水)・2(木) 兵庫・兵庫県立芸術文化センター
≫公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150601_003734.html

 

デキメン列伝 第4回 鳥越裕貴

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第4回】鳥越裕貴 YUKI TORIGOE
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“鳴子コール”はまさに、「全部ワイの力になる!」でした


Writer’s view

鳥越さんを初めて観たのは、舞台『弱虫ペダル』の鳴子章吉役。関西弁の元気キャラとその真っ赤な髪型は、鮮烈な印象を残しました。6作目となる最新作が熱狂のうち、先週末で終幕。数少ない全作出演者でもある鳥越さんに、この超人気舞台の裏側や作品に賭ける想いを聞きました。そして3月31日に24歳のバースデーを迎えたばかり! 前途洋洋、芝居をするのも観るのも大好きでいつもパワフルな彼が抱いている、俳優としての今後のビジョンも気になるところです。

取材・文/武田吏都

 

――鳥越さんを舞台『弱虫ペダル』(以下「ペダル」)の1作目(2012年)で初めて観たとき、「この赤い髪の子、何者!?」というのが率直な感想だったのですが、その前から舞台に多く立っていらっしゃるんですよね。勉強不足で失礼しました……。

鳥越 いえいえ(笑)。その2年前ぐらいからいろんな舞台に出させてもらっていました。1作目の「ペダル」に出演したときは経験も浅かったので、僕もみんなに「『誰や』って思われてんやろな……」と思いながら(笑)。この作品は本当に僕のターニングポイントになりました。

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舞台『弱虫ペダル』(2012年)より。1作目の鳴子章吉

――子役としてずっとやってこられた方なのかなと思ったんですよね。

鳥越 よくそう言われるんですけど、そんなことはないです(笑)。まだちゃんと始めてから5年ぐらいですし。

 

――デビューのきっかけは?

鳥越 18歳ぐらいのときに、母親が劇団ひまわりに履歴書を送って。大阪にいるときも勧められていたんですが、そのときは友達と遊ぶ方が楽しかったから「イヤや!」って抵抗していたんです。でも親の転勤で東京に来たときに、「せっかく東京おんのやからやりーや」と改めて言われて。

 

――お母様はどうしてそんなに勧めたんでしょうかね?

鳥越 僕が小さい頃から目立ちたがり屋で、「仮面ライダーになりたい」とか「ウルトラマンになりたい」とか言っていたので、そういうところを見ていたからじゃないですかね。僕自身もなんとなく毎日を過ごしていた時期だったし。最初は嫌々、レッスンに通い始めました。劇団ひまわりってアクションや殺陣、ダンスや日舞とか、いろんなレッスンがあるんですよ。最初は芝居には興味を持たず、そっちのレッスンにずっと通っていて。芝居は最初、適当にやっていたら先生に怒られて、「なんや、こんちくしょう!」と思って本気でやってみたら、それが面白かったんです(笑)。ひまわりのレッスンには1年半ぐらい、週5、6日通っていました。そのおかげで体の動かし方を学んだり、アクロバットができるようにもなったり。僕、結構飽きっぽいところがあるんです。影響されやすかったり、誘われたらやるみたいな感じでいろんな部活に入ったり。そんな中で、芝居だけはずっと続いているなぁと思いながら。

 

――デビューの作品は何になりますか?

鳥越 テレビにちょこっと出させてもらった後、「イナズマイレブン」(2010年)で初めて舞台に立ちました。最初は映像の仕事がやりたいと思っていたんですけど、そこで舞台の面白さを知って、今は舞台を中心にやらせていただいています。最近また少し映像作品もやらせてもらって、映像の面白さも知ったので、今いろんなことに興味がありますね。

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――じゃあほんとにキャリアはまだあまり長くはないんですよね。それにしては場数を踏んできたような感じのお芝居をされる印象があって。だから子役出身かと思ってしまったんですけど。

鳥越 それはたぶん周りの人のおかげだと思います。僕、結構先輩に甘えるタイプなんですけど、先輩たちが、僕らが芝居しやすい環境にしてくれるんです。頼れる存在でありつつ、時にはピシッと厳しくしていただいて。だから僕も尊敬の気持ちを持ちつつ、変に臆せずのびのびできるというか。芝居の上でも人間としても素敵な、そういう方たちの多い良い現場に以前から巡り会えていて、勉強させてもらうことが多かったです。そういう意味で、現場では慣れているように見えることもあるかもしれないですね(笑)。

 

――集団でいることへの苦手意識は全くなさそうですよね。

鳥越 全然イヤじゃないです。小さいときから友達も結構多くて、集団でいることの方が多かったし。女子とも仲良くて、女子同士のケンカに巻き込まれたり(笑)。「アイツらにこれ言ってきてよ!」と頼まれて「オレ、伝書鳩やないぞ!」とか言いながら、渡り廊下を走って行ったり来たりして(笑)。それもすごく楽しかったな~、なんて思いますけど。でも今考えたら卑怯なヤツだった気もします。虎の威を借りる狐?みたいな感じで、ターゲットになるようなことは避けて、ゴマすりも上手やったんで(笑)。空気を読む、みたいなことは知らず知らずに学んでいたのかなと。

 

――やはり器用なところがある気がします。

鳥越 それもよく言われるんですけど、自分では別にそういうわけでもないなと思うんですけどね。

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――そして、舞台『弱虫ペダル』についてですが。鳥越さんは荒北靖友役の鈴木拡樹さんとともに2人だけ、これまでの6作全てに出演し、シリーズを支え続けてきた方です。出演のきっかけはオーディション?

鳥越 いえ。以前からよくしていただいていたプロデューサーに、「関西人で、鳥に絶対合う役があるから!」と声を掛けていただきました。原作は、決まってから初めて読み始めました。普段、漫画をあまり読む方じゃないので。

 

――それ、ちょっと意外な感じがします。ゲームもしない?

鳥越 しないです。漫画もゲームもすぐ飽きちゃうんですよ。だから一般的に有名な作品ですら全然知らなくて(笑)。ただ、「弱虫ペダル」の原作はほんとにハマってしまって、「週刊少年チャンピオン」で毎週読み続けています。僕自身、「弱虫ペダル」という作品がほんとに好きなんです。漫画を読んでいて初めて泣きましたもん。舞台1作目の上演中、ちょうど連載が“鳴子劇場”(インターハイ3日目の鳴子章吉最大の見せ場)のとこだったんです。劇場に向かう電車の中でそこを読んでいたら、ぽつって涙が出てきて。「あかんあかん!」と慌てて閉じて(笑)、劇場に着いてからじっくり読みました。あれには自分でもびっくりしましたね。

 

――その1作目、立ち上げ当初は満員御礼ではなかったそうですが、2作目以降からチケット争奪戦が過熱し、ものすごい熱狂の中で迎えられることとなりました。当日券に、劇場キャパ以上の800人が並んだという話も聞きます。そういう状況を、キャストはどう受け止めていたのでしょう?

鳥越 お客さんの期待値が急激に上がっていったのは感じていました。いろんな舞台をやってきましたが、開演前にお客さんから大きな拍手をいただけるのはこの作品だけで。とにかくお客さんの熱量がすごくて、僕らが出てきた瞬間から泣いてる方もいて。だからプレッシャーもありますけど、全部いい流れでアドレナリンに変えているというか。来られない方がたくさんいらっしゃる中で、観に来てくれたお客さんにガッカリされないような芝居をして、1公演1公演全力で生きるという思考にはみんななっていると思います。作品がこれだけ大きくなっても、その人気に甘えるような人はいないですね。

 

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舞台『弱虫ペダル』インターハイ篇 The WINNER(2015年)

――舞台『弱虫ペダル』といえば、ロードレーサーのハンドルだけを持って走るというレースシーンの斬新さで話題を集めました。最初にこのアイデアが示されたとき、キャストたちの反応は?

鳥越 僕、その本稽古が始まる前のワークショップに参加していたんです。そこにいたのは、プロデューサーさんと演出の西田シャトナーさんと僕と馬場良馬くん(当時の巻島裕介役)。いま舞台でやっているハンドルだけのものも含め、ハンドルに棒がついたバージョンとか、タイヤとか、いろんな自転車の部品があって、「これをどうやって(ロードレーサーに)見せる?」というところからスタートして。だからそこが始まりだったと思います。馬場くんと2人で、一瞬ポカーンとなって、「……よし、やりましょう」と(笑)。馬場くん演じる巻島裕介という役は特殊な乗り方をする選手なので、シャトナーさんと馬場くんがいろいろ試している様子を見ていた瞬間、「あ、見えるな!」ってなったんです。それを経て、他のキャストのみんなにも伝わったんですが、そのときもやっぱり一同“ポカーン”ではありました(笑)。

 

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――この作品の稽古場は、キャストも非常に多く意見を出し合うそうですね。

鳥越 「だったらこういうアイディアはどうですか?」とか、いろんな意見がポンポン出る。それって稽古場ではなかなか見ない光景だなぁと思います。最近は僕らもシャトナーさんの演出を理解した上で提案させてもらえることが多いし、シャトナーさんも「役者がそう言うんやったら、それでいこうか!」という感じで、僕らの気持ちを汲んでくださるのが本当にうれしい。それでさらにいいシーンになっていったりすることがすごく多いですし。演出家とキャストがこんな風にやり取りできる関係性のカンパニーって、あまりないなと思いますね。

 

――鳥越さんが感じる、西田さんの演出の特色とは?

鳥越 シャトナーさんの作品は、お客さんに想像してもらうことを前提にした構成があると感じています。みんながその景色を思い浮かべるというのが大事な要素なので、そのための訓練をさせてもらいました。「鳥くん自身がもっと“想像”してくれ。じゃないと、お客さんに伝わらへんから」と、よく言われました。全般的に、“人間力”が大好きな方だと思っています。そしてシャトナーさんご自身が、子供のような自由な想像力を持つ人間なんだと思います(笑)。だから稽古場で聞く発想もすごく面白いし。稽古中にシャトナーさんが言った突拍子もないようなプランを「よし、1回試そう」ってなることがよくあるんですけど、実際にやってみたら爆笑しちゃうほど面白いんですよ。「面白すぎる」という理由でボツになる確率が高いんですけど(笑)。そうやっていろんなことを試行錯誤することで、僕自身もいろんな引き出しを持てたし、今までにない発想が出てくるようにもなりました。

 

――私は西田さんの演出は惑星ピスタチオ(1990年代に西田が座付作家・演出家を務めた劇団)で親しんでいた世代ですが、今またあの肉体重視の劇世界が鳥越さんたちの若い世代、そしてファンの若い女性たちにも支持されているのが興味深いです。

鳥越 改めて演劇の原点に戻れる作品なんだと思います。だから僕たち自身も、観てくださった方々も、「やっぱり演劇ってすごく面白いものなんだ」って感じられるんじゃないでしょうか。

 

――余談ですが、レース以外のシーンのとき、ハンドルのカーブした部分を二の腕にはめるというのをキャストがよくしてますよね? あれ、妙にカッコよくて好きなのですが(笑)。

鳥越 “まさしハンドル”ですね(笑)。普通に持って芝居するよりも、腕に収めた方がすっきりするんじゃないかと、大山真志くん(当時の田所迅役)が考案したんです。はめた時点で、走らずに役を演じることを“アクター”と呼びます。そういう、舞台『弱虫ペダル』特有の演出法がたくさんあって、一つ一つに名前がついています。冷静に考えたらハンドルを腕にはめてるってダサいはずなんですけど、なんかカッコよく見えてしまう。それも人間力のなせるワザなんですかね(笑)。

 

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――そして演じる鳴子章吉についてですが。個人的に、最初に鳥越さんを認識したのが鳴子役だったということもあるからか、鳥越さんと鳴子が一体化しているような感覚があって。

鳥越 僕自身、これだけ長く演じている役は初めてですし、僕の中でも鳴子が大きくなりすぎて自分自身を占領されないように気をつけています(笑)。でもやっぱりもう一人の自分というか、ものすごく愛着がありますね。自分自身に近い役だなとは、最初から僕も思っていて。だから役者として人として、僕も原作どおりに鳴子と一緒に成長できたらいいなっていうのはすごく思っていますね。

 

――鳴子の好きなところは?

鳥越 やっぱり友達想いで、人情の厚さに関しては「コイツすごいなぁ」と思ってしまいます。そして何より「自転車が好き!」ってところも。幼いときに苦労していて、周りから「チビ」と言われて……そこは僕も同じなんですけど(笑)、それでも全てをポジティブに変えられる子なんやなと思います。その負けん気がすごく好きです。で、なんだかんだ陰で努力して、勝負の時には絶対に“やる”男ですし。そこはほんとに見習いたいですね。

 

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――そして第6作、舞台『弱虫ペダル』インターハイ篇 The WINNER は、いよいよ勝者が決まるインターハイ3日目を描きました。電車で泣いてしまったという例の“鳴子劇場”もありましたが、最初に脚本を読んだときどう思いましたか?

鳥越 「ついに来たか!」という感じでしたね、ほんとに。だからプレッシャーもありましたけど、そこには絶対に負けたくなかったんで、気合が入りました。キャストみんなが言ってるんですけど、この舞台がここまで続くと思っていなくて、まさか3日目がやれるとは思っていなかったんです。だけど、もし僕が鳴子をずっと演じられるのであれば、「このシーンは絶対やりたい!」って思いがずっとありました。他のキャラクターにとっても重要なシーンが盛りだくさんで、もちろんいつも熱いんですけど、今回はよりいっそう熱があったと思います。

 

――劇中、“鳴子コール”がありましたよね。鳴子演じる鳥越さん自ら客席を煽って、観客全員で「鳴子! 鳴子!」と声援を贈るという場面です。

鳥越 原作は”総北(鳴子が在学する高校)コール”だったんですけど。あそこはシャトナーさんが、「舞台『弱虫ペダル』における鳴子の活躍的にも少し原作を飛び出して、舞台オリジナルの要素として、ここまでやっていいんじゃないか」と言ってくださったんです。実際に客席の皆さんが全力で声を出してくださってすごいパワーを感じたとき、「やっぱりシャトナーさんの演出はすごい!」と思いました。台詞でも言っているんですけど、「全部ワイの力になる!」って、ほんとそのとおりでした。初日に初めて、あの客席からの声の圧を受けたときはなんとも言えない気持ちになって、「ここで泣きそうになるのはだめだ!」と(笑)。実際、「まだイケるわ、回せるわ!」と思ったし、すごく気持ちが高まりました!

 

――もちろん役でやっていらっしゃるんですけど、ああして、大勢の観客に向かって自分で自分のコールを煽るという行為に物怖じしない感じが、鳥越さん自身とフィットしていてとても良かったです。やる人によっては、まるでハマらない場合もあるはずなので。

鳥越 僕自身、結構ズカズカ行っちゃうタイプの人間なので、そこはうまくハマっていた気がします。こないだシャトナーさんに言われたのが、「鳥くんか鳴子か、もうわからんわ!」って(笑)。その言葉、すごくうれしかったです。

 

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©渡辺航(週刊少年チャンピオン) 2008/弱虫ペダルGR製作委員会
©渡辺航(週刊少年チャンピオン) 2008/マーベラス、東宝、ディー・バイ・エル・クリエイション
舞台『弱虫ペダル』 公式HP:http://www.marv.jp/special/pedal/
公式ブログ:http://ameblo.jp/y-pedalstage/
Twitter:@y_pedalstage

 

――インハイ3日目を激走後は、ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」の稽古に入ります。この作品もまた、西田さんの演出なんですよね。

鳥越 妄想に基づいて芝居をする“ムッシュ・モウソワール”という架空の団体が、僕もそのメンバーなんですけど、初の来日公演を行うというテイで……。僕もまだそこまで詳しくはわからないんですけど、面白くなりそうってことだけはわかります(笑)。

 

――プレスリリースの鳥越さんの役の説明には「老いた市民のボケを若き貴族が拾う。別名炎のムッシュ。サルベージ貴族の末裔」とあり……ますます謎が深まりますが(笑)。周りも兼崎健太郎さん、平野良さん、宮下雄也さん、そしてお笑い芸人のオラキオ(弾丸ジャッキー)さんとデキメン揃い!

鳥越 なかなか面白い先輩ばかりなので、またここで成長できたらいいなと思っています。宮下雄也くんとは初めてなんですけど、大好きなんですよ。観客として観ていて、こんなに攻めてる人いないなと感じるような方だったので、楽しみですね。

 

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ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」

――鳥越さんは、観客としてもたくさん舞台を観ていますよね。1年に何本ぐらい観ますか?

鳥越 年間で数えたことはないんですけど、去年の11月に20本ぐらい観て、そのときは自分でも異常やなと思いました(笑)。でも刺激がないとダメだし、面白い作品はやっぱり観たいですからね。ジャンルは偏らず、最近は宝塚や歌舞伎も観に行きます。

 

――「あそこに自分が立ちたかった!」とか、観ていて嫉妬するようなことも?

鳥越 ありますね。同世代の方がすごくいい作品に出ていたりすると、「うわ、うらやましいな」って。でもそれで芝居への気持ちに拍車がかかって、自分も向上するというか。そこも、観に行く理由として結構あります。

 

――最近面白かった作品を3本挙げていただけますか?

鳥越 最近の一番は、モダンスイマーズの「悲しみよ、消えないでくれ」。「かたりべさん」というドラマで共演した生越千晴さんがモダンスイマーズの劇団員になったというので、「絶対行くわ!」って観に行ったんです。もともと蓬莱竜太(モダンスイマーズの作・演出)さんも好きなんですけど、ほんとに面白かったですね。音も照明もセットも役者も全部素敵で。特にでんでんさん! 「なんだ、あの人!」というか(笑)、とにかくすごかったです。同じく、キャリアを積み重ねた役者さんたちの肥やしみたいなものを堪能できたのが「海をゆく者」。主演の小日向(文世)さんはじめ皆さん素晴らしかったんですけど、僕は特に浅野和之さんが大好きで。あと、つい最近(村井)良大くんと玉ちゃん(玉城裕規)と一緒に観に行った「趣味の部屋」。脚本が面白くてまんまとやられたし、すごいスッキリしました。役者の皆さんが面白くて、中井貴一さんなんて、役者同士の褒め言葉で使うところの“バケモノ”です(笑)。

 

――プレイガイドのサイトで言うのもヘンなのですが、そんなにたくさん観ているとなると、お財布事情が心配になります(笑)。

鳥越 そうなんです(苦笑)。仕事で頑張った分はそこに割いてるというか。だから少しでも安くしたりとかいろんな情報を得たいので、会員登録したり。ローチケさんにも今度登録します!(笑) あと、25歳以下の割引がまだ使えるので、それがすごくありがたいですね。

 

  デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
僕はイケメンではないです、というところで(笑)。憧れの浅野和之さんみたいな俳優になれたらいいなって、目指しています!

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、やっぱり浅野和之さん。浅野さんにしかできないことをやっていて、「役なんだけど浅野さんだな」っていう、そのバランスが絶妙すぎて。体が利くし顔芸もすごいし、それこそ“人間力”じゃないけど、自分自身のいろんな部分を使って闘っているのが素敵だなと思います。
同世代では、僕の中ではやっぱり村井良大くんの存在が大きくて。「ペダル」の1作目で、「俺も同じ歳ぐらいのときはそんな感じだった。全然、焦らなくていいと思うよ」って言われたときに、なんかふっと抜けたものがありました。それ以来、この人の背中を見ています。

Q.「いい俳優」とは?
その人にしかできないことをやっているっていうのは価値のあることだなと最近思うようになりました。……僕にしかないものってなんだろう? 周りによく言われるのは「あんた元気やね」ってことなんですが。そこがとりえというか、今までやってきた自分の生き方なんだと思います。

 

  マネージャーから見た「鳥越裕貴」

どんなに多忙を極めても様々なジャンルの舞台や映画を観て学びを得ており、勉強熱心です。面白そうな作品がないか、常日頃からアンテナを張っているようです。
周囲の方々にとても恵まれているのですが、感謝の心を忘れずに、いつまでも人情の厚い人間でいてほしい。あらゆる機会を大切に受け止め、表現力に磨きをかけて、幅広く人物を演じられる俳優に、日々成長してほしいと思います。

(砂岡事務所 担当マネージャー)

 


Profile
鳥越裕貴 とりごえ・ゆうき
1991年3月31日生まれ、大阪府出身。B型。2010年、「イナズマイレブン」にて初舞台。舞台『弱虫ペダル』の鳴子章吉役で注目され、これまで上演されたシリーズ6作全てに出演。2014年、ヒロシマ8.6ドラマ「かたりべさん」でテレビドラマ初主演。
【代表作】舞台/舞台『弱虫ペダル』シリーズ(12年~)、「聖☆明治座 るの祭典」(2014年)、「Lenz~桜の中に隠れた烏~」(2014年)、「ハナレウシ」(2014年)、「うさぎレストラン」(2014年)、「Vitamin Z」(2012年)、「イナズマイレブン」(2010年) ドラマ/「かたりべさん」(NHK) ほか
【HP】 http://sunaoka.com/
【ブログ】 http://ameblo.jp/torigoe-yuki
【Twitter】 @Torippiyo2

 

+++ 今後の出演舞台 +++
データ1▶ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」
公演期間:5月5日(火・祝)~9(土)
会場:東京・渋谷区文化総合センター大和田 伝承ホール
≫公式サイト:http://monsieur-mausoir.com/

 

 

 

データ2▶水木英昭プロデュースvol.18「眠れぬ夜のホンキートンクブルース 第二章~飛躍~」
公演期間:5月30日(土)~6月7日(日)

会場:東京・紀伊國屋ホール
全国公演スケジュール:6月11日(木) 愛知・名古屋市青少年文化センター アートピアホール、6月13日(土) 福岡・西鉄ホール、6月16日(火)・17日(水) 大阪・エル・シアター、6月19日(金) 宮城・イズミティ21 小ホール
≫チケット情報はこちら
≫公式サイト: http://www.mizu-pro.com/

デキメン列伝 第5回 松田 凌

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第5回】松田 凌 RYO MATSUDA
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のらりくらりやっていても意味がない。
チャンスがあるなら飛びつきたい


Writer’s view

演技未経験のまま、2012年に人気シリーズ舞台の第一作で初舞台初主演を飾ったシンデレラ・ボーイ。他を“凌ぐ”ことを宿命づけられた(?)松田さんが驚異的なのは、その成長のスピードです。そして、作品ごとに異なる魅力を見せてくれること。演技力や持ち前の華に加え、近年の作品では艶っぽい色気や演劇人としての強靭さも発揮しています。底なしのポテンシャルを秘めた彼が、俳優としての勝負どころの舞台「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」に挑みます。

取材・文/武田吏都

 

――まだ俳優デビューから3年ほどというのが信じられないくらい濃密なキャリアを重ねていますが、今年前半は特に濃いお仕事が続いていますよね。

松田 2月頭に「URASUJI2015 綱渡り」が終わって、1ヵ月後に「遠ざかるネバーランド」があり、そのまた1ヵ月後がこの「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」で、その3週間後に「メサイア-翡翠ノ章-」があります。ほんと、濃いですよね(笑)。

 

――特に、人間の心理を深くえぐった「遠ざかるネバーランド」と「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」が連続するところに松田さんのタフさを感じます。以前取材させていただいたとき、「スケジュール的には厳しいけど、この2本はどうしてもやりたかった」と言っていましたよね。

松田 ドM感というか(笑)、自分を追い込む形になったんですけど。でも、他の誰にも渡したくないと思ったし、今年しかないと思ったんです。今取り組んでいる「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」で言うなら、もし10年後にお話をいただいていたらもっとイージーにできていたかもしれないし、逆にデビュー間もない頃にいただいていたら技量も心構えもなくてたぶんできていない。ちょうど真ん中のタイミングで、できる・できないの狭間でのチャレンジって、役者にとってものすごく成長できるかもしれない賭けなんですよ。負けるかもしれないけど、賭けなきゃ始まらない。役者として頭一つ二つ抜け出すための自信や表現方法を身につけるにはこれぐらいの負荷をかけないと。のらりくらりやっていても意味がないし、そのチャンスを与えてもらえるんだったら、僕は飛びつきたいから。

 

――そのアグレッシブさはどこから来るのだろう、と。頑張り続けてポキッと折れてしまうかもしれない不安のようなものを感じることはないですか?

松田 実は僕は折れちゃうタイプの人間で、昔は、折れたらほんとに終わってしまっていました。でも唯一そうならなかったのが、この役者という仕事で。いや折れてた瞬間もあったのかもしれないけど、麻痺してたのかも(笑)。僕の場合、デビューがデビューだったので、言ってみれば折れたスタートだったんですよ。その経験があったから、作品や役柄の大きさ、演出家さんによってどんだけ折られても、本当の意味で“折れた”感覚はなかったので。折れずにいたら1本ずつの線がいつの間にか太くなって束になっていた、みたいな。1度折れてからのスタートだったから、より強い芯が残ってくれているように思うんです。

 

――いま言っていた俳優デビュー作は、初舞台で初主演を務めたミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇。大人気のゲームが原作で今も続いている人気の舞台ですが、そのシリーズ第一作、しかもミュージカルに、演技未経験の松田さんが抜擢されました。きっかけはオーディション?

松田 実はウラで……ってよく聞く話だったりしますけど、僕の場合、ほんっとにオーディションです。技術も何もないのに、当時はバカみたいな根拠のない自信に満ち溢れていて(笑)、「俺を見ろ!」ぐらいな感じでオーディションを受けたんです。でもまさか受かるとは思っていないので(笑)、マネージャーさんから電話をもらったときは「これは夢だ……」って感覚でした。

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ミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇(2012年)
©アイディアファクトリー・デザインファクトリー/ミュージカル『薄桜鬼』製作委員会

 

――新人だけれども主演として作品に取り組む中で、その“根拠のない自信”とかいろいろなものが最初に折られていったんですね。

松田 結果論で言うと、「斎藤 一 篇」は最高の形で終われました。千秋楽がそれまでで一番やり切れて、だから僕にとっては悔いもないし。だけど、千秋楽一歩手前まではどうしようもない日々が続いていたと思います。思い出したくないぐらい、失敗の連続でした。同じところで間違ったり、思うお芝居ができなかったとき、本番中に楽屋まで駆け下りてボロボロ泣いていたときもあったし。ガキといっても二十歳の成人男性がですよ?(笑) なんかもう、常に苦しかった。自分を褒めるじゃないけど、よくやったなと今だから思えますね。

 

――そこからミュージカル『薄桜鬼』シリーズで斎藤一役を昨年まで演じ続けて、回を重ねるごとに成長した姿をまざまざと見せてきました。もっと言うと、その初舞台から2ヵ月後の舞台2作目「露出狂」を観たとき、「ものすごい成長している!」と感じて強く印象に残っています。成長が早いというか、1作ごとの変化がとても大きい方だなと。そのモチベーションを知りたいです。

松田 初めの頃、今よりもっと何もできない状況の中で、求められるものの高い役が続いていました。でも当時の自分では届かなくて、もう何回台本を投げ捨てたいと思ったか(苦笑)。実際、届いていないときもあったと思うんですけど、自分としてはギリギリ指1本はつかめるぐらいの感覚は常にあったんで。“ギリギリ”でずっとつなぎ合わせてきたんですよ。今もそう。僕の場合は、余裕がないのがいいんだと思います。高い壁を登りきったと思った瞬間に、次の壁がある。当然辛いし、その間隔はもうちょっと空いててもいいんじゃないかなと思うときもあるんですけど、もっと大きな壁に挑んで日本の芝居を引っ張っていっているような人たちなんて、僕なんかには想像もできないキツくてしんどいことをやっているはず。そういう若手俳優で言うと、例えば山田孝之さん、小栗旬さんとか。僕はそういう人たちが羨ましいし、その背中を追っているし。逆に言うと、僕のこの背中でさえ、羨んで見ている人たちがたくさんいるんだと思います。自分が笑っているとき、後ろで泣いている誰かが絶対にいるんですよね。斎藤一にしても「クロード~」の“彼”(役)にしても、「絶対にこの役を演じたかったのにお前に取られた」って泣いてる役者がいるかもしれない。そういう責任は、しっかりと感じなきゃいけないと思っています。

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――正直、もっとコツコツと成長したいと思うことはなかったですか?

松田 僕自身は事務所に所属したとき、じっくりとある程度の下積みを重ねて、そこからの勝負だと思っていたんです。でもミュージカル『薄桜鬼』のオーディションに受かって、チャンスをたまたまつかんで。だから遅いペースで進むのもひとつの人生だったと思うし、そしたらどうなっていたかわからないですけど、僕はこのやり方がベストだったし、そう信じたい! そうだったかもしれないっていうのはあっても、もうちょっと遅く成長したかったとか、もっとじっくりお芝居を突き詰めたかったって感覚は一切ないです。むしろ早かったから、「仮面ライダー鎧武/ガイム」の吉田メタルさんとか「遠ざかるネバーランド」の松村雄基さんとかといった大先輩とがっつりお芝居させていただけたり、この年では普通できないようなことを経験させてもらっているし。その立場になれる人間って一握りだと思うんですけど、そこに行きたくて必死にもがいてきた自信もあるので。

 

――その立場に見合う努力はしてきた、とはっきり言い切れるということですよね。

松田 そうですね。言えます。もしかしたらもっと早く走れたかもしれないけど……でも悔いはないです。

 

――そのストイックさとアグレッシブさに本当に感心します。

松田 なんの嘘もなく、僕この仕事が大好きで。だから仕事に対しては、真面目だと思います。休みがあってもうれしいけど、続くとやっぱりイヤで、関西の実家に帰っても3日で帰ってきちゃいたくなるタイプ。普通に生きることが一番の幸せだってわかっているんですけど、やっぱり刺激を求めちゃうんですよね(笑)。たぶん、最初に板(=舞台)の上に立ったとき、最初に画面に映った自分を見たときに変わったんだと思います。中毒なんですよね。「うわ、俺の居場所はここだ!」と思って、生きる道はここしかないと思いました。「クロード~」の稽古している今、特に感じているんですけど。僕なんかが言うとめっちゃ陳腐で薄っぺらい言葉になっちゃうのがイヤだけど、このためなら死ねるなって思えるのは、役者という仕事ですね。

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――今年前半の作品を少し振り返っていただけますか? まず「URASUJI2015 綱渡り」は、なんといっても松田さんが俳優を目指すきっかけになった舞台「URASUJI」シリーズの最新作に、デビューから3年足らずで出演できたという重みがありますよね。

松田 今年の始まりから濃かったですね。自分の人生を変えた作品というのもあるんですけど、やっぱり思っていたよりも上の景色に立ったなという感じです。めちゃくちゃいい役をいただき、ものすごく素敵な先輩方と一緒にやらせていただいて。でも稽古中は出鼻をくじかれたというか、僕の自信は今年始まって早々、すぐに折れちゃったんで(笑)。「もう1個2個階段上がりてぇんだろ? だったらそんな甘くねぇぞ」ってことを教えてもらいました。辛い経験だったってことじゃなくて、いい意味で自信を削いでもらえました。

 

――松田さん演じた新五郎には、ザ・スズナリの小空間には収まりきらないような華や色気、体のキレがあって素晴らしかったです。あの百戦錬磨のベテランに混じり、想像以上の健闘でした!

松田 「良かった」って言ってくださった人が多かったのはものすごくうれしいです。ただきれいごとに聞こえちゃうかもしれないけど、それは僕の力じゃなくてスタッフさんや一緒にやらせてもらった先輩の方々がとにかく素敵だったから、僕はそこに乗っかるだけだったんですよ。もうほんとに、皆さんがすごかった。「URASUJI」の世界ってすっげぇ泥臭いんです。とんでもなく華やかな世界を知っている人たちばかりだからこそ、泥臭くて人情があってハチャメチャな、あの異次元のエンターテインメントをやれるんですよね。その世界に入れただけで僕は幸せでした。

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「URASUJI  2015 綱渡り」(2015年)
撮影/ヒキノワカナ

――劇場がザ・スズナリだったというのもあるでしょうが、アングラが似合う泥臭さを松田さんに感じたのも新鮮な驚きでした。

松田 ああ、うれしい。僕、根がそうだから、心がなじんじゃうんだと思います。昔から観てきた舞台もそうだし、そういうのが好きなんですよね。

 

――以前、松田さんの口から好きだった劇団として「遊気舎」(前身を含めると1970年代より活動する関西小劇場界の草分け的存在。後藤ひろひとが過去に座長を務めた)の名前が出てきて、驚いた記憶があります。演劇好きの叔母様の影響だそうですが、23歳にして素晴らしい演劇センス!(笑)

松田 「遠ざかるネバーランド」で共演した平田敦子さんなんて、昔からずっと舞台で観てきた人だったので、会わせたら、叔母と母親がとにかく喜んで。そういう環境で育ったんです(笑)。

 

――その「遠ざかるネバーランド」でも根っこにあるアングラ気質みたいなものを感じて。主な要因はたぶん声なんですが、完全に“舞台人の声”を得ているのが頼もしいなと。ノドは強い方?

松田 「メサイア」のときかな、違う発声方法をして1回潰したことがあって、それ以来、気を遣うようになったんですけど。全く初めてだった「斎藤 一 篇」のときに潰さなかったのは自分でも不思議ですね。あんなに叫びまくって歌も歌っていたのに。だから、もともとは強い方だと思います。でも「遠ざかるネバーランド」のときはちょっと危なかったですね。

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「遠ざかるネバーランド」(2015年)

――確かに、かなり声を張っていましたよね。だからこそ印象に残ったのですが。

松田 みんなが改心して、つまり自殺を踏みとどまって「飛びたくない」って言い出す。それに対して僕が演ったピーター・パンは、「いや、飛びたいんだろ?」って、常に自分から音を鳴らさなきゃいけない役だったので。僕の技量が高ければもう少し安全なラインで声を出せたんでしょうけど、そこは未熟さで、力いっぱい出さなければいけなかったんですね。

 

――そして、最新作「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」(17日から公演中)。4人のキャストが登場しますが、松田さん演じる殺人を犯した男娼の“彼”と、彼を取り調べる“刑事”との対話が大半を占める作品です。劇中でゴングの音が使われますが、まさに1対1の演技バトルですよね。

松田 今の時代、ここまで役者が丸裸になる作品も珍しいと思います。セット、照明、音響、衣裳、メイク……必要最低限の状態であれだけのセリフを役者同士が交し合うということが、今いろんな舞台がある中で、ものすごく際立つ、光る作品。そして、その衝撃ってものすごく大きくて。なんだろうな……役者として舞台として、ひとつの極致だと思います。ここを越えれば何かが見えるだろうし、またひとつ人生が変わるんじゃないかなって思っています。

 

――翻訳劇は初めて?

松田 ちょっと着色したようなものはありましたけど、ここまでストレートな翻訳劇はなかったですね。カナダが舞台でカナダ人の役ですけど、普通の戯曲とはやっぱり全然違います。文化や習慣だったり、ノックの音ひとつとっても。単純なことでも違ってくるので、ほんと難しいです。カナダ人という設定については、外国人にはなりきれないので、いつもとあまりニュアンスは変えたくないかなと思っています。自分が思うカナダ人を演じちゃうとヘンな方向に行って、すごく薄っぺらくなっちゃう気がするので、稽古中の今の段階では(取材時)普段のままの方がいい気がしています。

 

――この作品の“彼”を演じる困難さはたくさんあると思いますが、わかりやすいところで言うと、まずセリフの量。独白の箇所も非常に多いです。

松田 もともとセリフ覚えがあまりいい方じゃないので特に大変です。会話だと比較的楽なんですけど、独白の場合はどこに向けて芝居をするのかというのも全部自分で構築しなきゃいけなかったりするので、難しい。今まだその境地には行っていないんですけど、セリフがもう口から出ちゃう感覚になりたいですね。頭で考えたらできないし、体でもないし。結論としては、その人の言葉がセリフになっているという感じにならなければ。“彼”本人になりきらなければ、特に長い独白は出てこないです。

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「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」(公演中)

――客前で演じる演劇の概念に矛盾していますが、観客を意識してはいけない芝居という感じがします。観客もこの部屋にたまたま入ってきてしまって、「ちょっと観せていただきます……」というような感覚になるんじゃないかなと。

松田 もしかしたら、舞台と思わないかもしれない。完全に人生の1ページを切り取ったものを観た、と思ってくださったら、僕らはすごいうれしいです。おっしゃっていただいたとおりで、この作品は、お客さんを意識した途端に違っちゃうんですよ。こうした表情をした方がわかりやすいとか、この配置の方が画的にいいとか見えやすいとか、そういうのは一切必要ない! 僕自身、ごくごく最近までそれを考えたりしていたけど、それぞれがその人(=演じる役)であればいい。それ以外のことを考えてしまった時点で終わりというか。

 

――初演で“彼”を演じた、稲葉友さんと相馬圭祐さんとたまたま話す機会があったとか。

松田 2人とも、本番に入ってから全てが変わった瞬間があったらしくて。僕にはまだわからない境地がたくさんありました。本番まであとわずかですけど、つかみに行こうと思わず、とにかくこの作品に生きることを考えるしか今の僕にはできないんだなってわかりました。僕にはまだ見えていない、あの2人が見ている世界の言葉がポンポン出てきて、僕にとっては「すごいな」としか思えなくて。最後に「結局、一番大事なのは何かな?」って聞いたんです。そしたら、2人が声を揃えて「頑張れ」って(笑)。一番大事なのは、頑張ること。単純ですけど、その2人の言葉が深くて……。

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――改めて感じたのですが、松田さんの場合、ある意味、典型的なイケメンの外見と、実はかなりハングリーで泥臭い内面とのギャップが大きな魅力ですよね。

松田 見た目が自分のひとつの才能であるっていうのは、自分でもわかっているんです。ナルシストと呼ばれるならそれでもいいです(笑)。ただ、この程度の武器では乗り越えられない仕事だということも理解していて。もしも僕が、男女の区別がつかないぐらいの絶世の美男子だったら、何の努力もしないと思います(笑)。ではなくて、今の自分のある程度の見た目だったら、そんなものは少しの糧でしかない。で、周りの同世代のいわゆるイケメン俳優と呼ばれる人たちも、そこに奢っている人は少ないと思います。正直な話、ずば抜けたすごい才能を持った天才中の天才でない限り、みんなどっこいどっこいなんですよ。そんなに大きく差がついているわけではない。だけど努力を怠ってしまうと、そのスタートラインにも立てなくなってしまう。だから「イケメン」と言われてる人って、そう呼ばれるまでにすごく努力していたりして、見た目にも気を遣うし。僕も気を遣っている方だと思うんですけど、背伸びはできないなと感じていて。大人っぽく見せたり、背伸びをしたいんだけど、結局のところ年齢が出るし、やっぱり中身なんですよ。その人の人生だったり経験が、その人の顔になっていくと思っているから、今現在の見た目のことを先行して考えても、あまり意味がないんじゃないかなと思ってしまいます。

 

――顔を含む、自らの肉体が商売道具である俳優の場合は特にそうですよね。

松田 うん、生き方が顔に出ちゃいますね。だからといってヘンなこと、悪いことを全くしてはいけないってことはないと思います。法に触れたら絶対ダメだけど(笑)、経験のためにある程度ハメを外しても、逆にものすごく良いことをしたって僕はいいと思う。結局、全てがその人の色になるから。そういう意味でも、役者ってもっとフリーダムであるべきじゃないかなって思っています。

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5月、「メサイア-翡翠ノ章-」に出演

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
本文の話にもつながりますが“努力家”。「イケメンだから人生楽しいだろ」とか「スタイルもいいし、洋服もオシャレだしな」みたいに思う人がいるだろうけど、そうなるように努力してるんです!って話です(笑)。僕がそうですよってことじゃなくて、みんな少なからず努力してると思う。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、「遠ざかるネバーランド」で共演させていただいた松村雄基さん。いろんな素敵な役者さんにたくさん出会ってきましたけど、あの人ほど、人として役者としてのたたずまいが美しかった人はいないですね。楽屋が隣同士だったんですけど、こんな若造に対して「おはようございます。よろしくお願いします」って毎日挨拶に来てくれるんですよ。あり得ない(笑)。どこに欠点があるんだというぐらい、素敵な人でした。
舞台を中心に活躍している同世代だと、村井良大くん、鈴木拡樹くん、矢崎広くん。単純に技量が高いし憧れる部分が多いんで、この三枚の壁はデカいです。……同世代を挙げるのって難しいなぁ。尊敬したくないって反発心があるし、尊敬しちゃってる自分に悔しさを感じちゃうから(笑)。僕は違った道で、この三枚の壁をぶち抜こうとしています!

Q.「いい俳優」とは?
いろいろ思いつくんですけど、結局のところ、とにかくお芝居が好きで本気でやっている人じゃないかな。上手い下手でも、売れてる売れてないでもなく、お芝居がないと生きていけない、お芝居のためだったら何でも削ってやるってぐらいの人は、「いい俳優」と呼ばざるを得ないと思います。

 

 マネージャーから見た「松田 凌」

性格は古臭くて、オッサンとまでは言わないですけど、イマドキの若者ではないです(笑)。自分の気持ちにとにかく正直で、ある意味、それだけなんですよね。
事務所に所属するオーディションのときから見てきて思うのは、運の良さ。もちろん本人がそれに見合う努力もしてきつつではあるのですが、最初からシナリオが用意されてたんじゃないかなって出来事をたくさん目の当たりにしてきました。たまに自分も、この人のシナリオに乗せられているのかなと思うときがあります。でもおかげで見たことのない景色を見せてもらっている感覚がありますし、側にいて幸せだなと思います。
たぶん、すごい人なんでしょう(笑)。すごいなと思うところとそうじゃないところが、いいバランスで存在しているのがまたいいのかもしれません。   (株式会社キャスト・コーポレーション 髙木良之マネージャー)


Profile
松田 凌 まつだ・りょう
1991年9月13日生まれ、兵庫県出身。A型。高校2年のときに「URASUJIⅢ」を観劇したことがきっかけで、役者を志す。2012年、ミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇 にて初舞台にして初主演。以降、多くの舞台を経験し、主演作も多数。13年、「仮面ライダー鎧武/ガイム」に城乃内秀保/仮面ライダーグリドン役で出演。少林拳空手で西日本優勝の実績を持つ。
【代表作】舞台/「遠ざかるネバーランド(2015年)、「URASUJI2015 綱渡り」(2015年)、舞台「K」(2014年)、「ZIPANGパイレーツ」(2013年)、「メサイア」シリーズ(2013年~)、パルコ・プロデュース「露出狂」(2012年)、ミュージカル『薄桜鬼』シリーズ(2012~14年)  映画/「メサイア-漆黒ノ章-」(2013年)  ドラマ/「仮面ライダー鎧武/ガイム」(EX)、「メサイア-影青ノ章-」(TOKYO MX2)  バラエティ/「俺旅。」(tvk他) ほか
【HP】 http://www.cast-may.com/
【ブログ】 「Rufe-f」 http://ameblo.jp/matsuda-ryo/

+++ 今後の出演舞台 +++
4s▶「Being at home with Claude~クロードと一緒に~」
公演期間:4月17日(金)~23(木)
会場:東京・シアタートラム
≫公式サイト:http://www.zuu24.com

 

 

 

5s▶「メサイア-翡翠ノ章-」
公演期間:5月13日(水)~24日(日)
会場:東京・サンシャイン劇場
全国公演スケジュール:5月30日(土)・31(日) 兵庫・新神戸オリエンタル劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト:http://www.clie.asia/messiah/hisui/

 

 

 

デキメン列伝 第6回 海宝直人

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第6回】海宝直人 NAOTO KAIHO
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マリウスは最後の最後まで成長していく、とても魅力的な役


Writer’s view

7歳のとき、ティーカップの姿で愛らしく舞台に登場! ミュージカル生まれミュージカル育ちですくすくと、品のあるハンサムな青年に成長した彼は、「レ・ミゼラブル」のマリウスとなりました。姿は美しく、歌も演技も安定、かつフレッシュさを失わない海宝さんのマリウスに“堕ちた”レミゼファンも多いのでは。9月まで務め上げた後、秋には超話題作「アラジン」のアラジン役が控えています。これまでの20年の道のりと、自ら「ここが勝負」と語る今現在の思いをたっぷり聞きました。

取材・文/武田吏都

 

――7月4日のお誕生日に合わせてソロライブが行われますね。「20th Anniversary」とあるのを見て思わず二度見してしまったんですが(笑)。26歳にして芸歴20年!

海宝 小学校1年生のときの劇団四季「美女と野獣」が初舞台でした(ティーカップ姿のチップ役)。それまでキッズモデルの仕事はちょこちょこしていたんですけど、舞台に立つ、芝居をするのはそれが初めて。やはり3歳年上の姉(海宝あかね=劇団四季)の影響が大きいですね。姉が「アニー」に出ていたので舞台を観たり、ステージ裏に連れて行ってもらってお姉さんたちに遊んでもらったり(笑)。歌ったり踊ったりということが、すごく日常的でした。

――ご両親は全く芸能関係ではないそうですが、弟さん(海宝潤=ジャニーズJr.)もこの世界にいらっしゃって。それぞれ活躍の場は違いますが、三姉弟が同じエンターテインメントの世界にいるというのは刺激になるのでは?

海宝 そうですね。姉の舞台を観に行ったりもしますし、弟がテレビに出ているのを見たりもしますし。それぞれの世界の話を聞くと、それもまた面白いです。

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――子供の頃から、目立つことが好きな子だった?

海宝 基本的には人前が苦手ではあるので、クラスの発表とかで前に出されてしゃべったりするのはすごいイヤでした。今もそんなに得意じゃないです(笑)。すごく緊張しぃでオーディションとかも人がズラッと並んでいると緊張して、いまだに手が痺れますし。ただステージに立って芝居をすると、自然でいられたりします。出る直前まではすごく緊張しているんですけど。

 

――そしてその幼少時から劇団四季の方々、「美女と野獣」では石丸幹二さん、続く「ライオンキング」では坂元健児さんや濱田めぐみさん、そして現在「レ・ミゼラブル」で共演されている吉原光夫さんらを含めた先輩方との豊富な共演経験があるのですね。

海宝 「美女と野獣」「ライオンキング」と続けて6年間やっていました。今思えば、先輩の皆さんの歌や芝居にものすごく身近に触れていた経験は、自分の歌だとかセンスを育ててくれたという意味で大きかったし、そういう時間だったなぁと思いますね。

 

――ミュージカルではふさわしい役があまりない中高生の時期には7年ほどミュージカルの舞台から離れ、再開したのが2008~09年の「ミス・サイゴン」(アンサンブル)ですね。

海宝 高校を卒業する少し前ぐらいにオールキャストオーディションの新聞広告が大々的に出て、応募しました。それに受かったことが、この仕事でずっとやっていけたらと、ちゃんと思った大きなきっかけだったかもしれないです。子役時代って、子役担当としてスタッフさんがマンツーマンで付いていろんなことを教えてくれたり、衣裳さんや床山さんもすごく丁寧にやってくれたりしたものが、「ミス・サイゴン」で初めて、基本的には全部自分でやるという環境に入りました。そういう意味では大人の俳優として初舞台というか、新人という感覚でいました。

 

――そこからは途切れなく、舞台出演が続きます。話が前後しますが、海宝さんにご登場いただきたいと思ったのは、海宝さんが主にネット上で(笑)「海宝センパイ」と呼ばれていることが気になったからで。きっかけは2011年の「恋するブロードウェイ♪」のようですね。「恋ブロ♪」は大山真志さん、小野田龍之介さん、味方良介さんらテニミュ出身者たちも多く出演するコンサート仕立ての舞台。海宝さんはテニミュなど2.5次元作品への出演経験はないですが、彼らのファンにも実力のある“センパイ”として一目置かれる存在で、ポジション的にちょっと面白い存在だなと感じたんです。周りが同世代ばかりの現場というのはあまりなかったと思いますが、「恋ブロ♪」はどんな経験でしたか?

海宝 確かに“センパイ”って呼ばれ始めたのは「恋ブロ♪」からですね。小野田が言い出したのかなぁ(笑)。vol.1のときは全員はじめまして、でした。ただ、小野田、大山、内藤(大希)に関しては同じく子役からやっていて、彼らはアルゴミュージカルだったりフィールドは違うんですけど、感覚的にはそんなに遠くないものがあるので。その3人がいたから違和感なくというか、畑違いで「うわ、ヤベッ!」っていうのはなかったですね。すごく居やすかったです。

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――愛称は「センパイ」ですが、同世代でいるとリーダーシップなどを発揮するタイプ?

海宝 いや、全然しないです(笑)。

 

――歌う仕事が圧倒的に多いですが、ストレートプレイの舞台にもいくつか立っています。特に、「高き彼物」では友人の死で心の傷を負った高校生という難役を演じて、印象に残っています。

海宝 芝居的なところを突き詰めていく作業はすごく面白かったですし、歌わないことへの違和感とか全くなかったですね。ストレートプレイも映像も、チャレンジできるのであればやってみたいです。

 

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加藤健一事務所「高き彼物」(2009年) 撮影/石川純

 

――マリウス役で海宝さんを知った方には想像つかないであろう(笑)、「フル・モンティ」(2014年)の話もぜひ。あの作品で海宝さんが演じたのはなんと、冒頭でストリップを披露する男性ストリッパー役! イメージを覆す役だったのと、肉体美にも驚きました……。

海宝 キョーレツなものを観ていただきまして(笑)。あの時期は、相当ジムにも通っていました。僕も最初に台本を見たときはビックリしましたけど、あの稽古場自体が破天荒なので、稽古が進んでいくと違和感がないというか。福田(雄一)さんのカンパニーはそれぐらいぶっ飛んでいて(笑)、他のミュージカルの現場では経験しない空気感で。なので、「Tバックになるぐらいナンだ!」みたいな感覚が、後半では芽生えましたけどね(笑)。(鈴木)綜馬さんと「この現場、コワいね~」「こんな現場初めてだね!」って2人で言い合ってました(笑)。でも楽しかったです。

 

――自分の殻を破るという感覚はやはりありましたか?

海宝 それはありましたね。Tバックになるからというよりは、その役をやるにはカッコつけたり構えたりしてたら絶対できないなって感覚があったので。山田(孝之)さんにしろ、ムロ(ツヨシ)さん、(ブラザー・)トムさん、(中村)倫也くんにしろ、みんな全然カッコつけずほんとに自然体で全部出してみるという感じだったので、そこに食らいついていかなきゃなっていうのは思っていて。

 

――海宝さんのもうひとつの面を見たように思ったのは今年の「氷刀火伝-カムイレラⅡ-」も同様でした。海宝さん演じた琅丸(ロウマル)は苦悩する主人公・氷刀火(西川大貴)と対照的に物語を力強く運ぶ役割でしたね。続く「レ・ミゼラブル」でマリウス役を演じることを念頭に置きつつ観ていましたが、むしろアンジョルラスっぽいとも感じました。自分の中にはどちらの要素もある?

海宝 自分ではよくわからないですけど、マリウスの稽古の最終日かな、演出補のエイドリアン(・サープル)に、「男性的な部分をすごく感じた。甘さよりもその男らしさをマリウスに出してほしいと思ったから、君を選んだんだよ」と言われましたね。

 

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ミュージカル座「氷刀火伝-カムイレラⅡ-」(2015年)

 

――自己分析すると、性格的にはどっち寄りでしょう?

海宝 どうなんだろうなぁ……あまり几帳面な性格じゃなくて結構ズボラなので。そういう意味では、甘くてセンシティブな感じではない部分もあるのかなという気が。大きい声じゃ言えないですけど、部屋とかもそんなに……(苦笑)。

 

――マリウスイメージをキープするため、あまり詮索しないでおきましょうか(笑)。さて「レ・ミゼラブル」ですが。海宝さんは作品の大ファンの、いわゆる“レミゼオタク”?

海宝 そうですね(笑)。子供のときから何度も観ていてCDもずっと聴いてましたし、大好きな作品ではありました。もちろんいつか出たいと強く思っていました。

 

――製作発表で「何度もチャレンジして得られた役」と言っていましたが、ずっとマリウス志望?

海宝 子役のときはガブローシュでオーディションを受けたこともありますが、「ミス・サイゴン」以降はマリウスですね。今思えば、自分の中に「僕はマリウスだ!」という強い思いがあったというよりは、小学生のときから周りの人に「マリウスだよね」「マリウスできたらいいね」みたいなことを言われて育ったので(笑)、なんか自然とマリウスなんだな、と思っていたような気がします。

 

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写真提供/東宝演劇部

 

――そしてついにマリウス役に決定。製作発表で「プリュメ街」~「心は愛に溢れて」を歌唱披露しましたよね。生で拝見して、既にある程度できあがっているという印象も受けました。それは夢見た期間の長さや思い入れの深さが関係しているのでしょうか。

海宝 そういう部分はあるのかもしれないですね。でもあの製作発表のときと、今舞台上で歌っているのは自分の中では全然感覚が違います。製作発表のはそれまで観てきた「レ・ミゼラブル」のもので、たぶん、それまでの自分のイメージの最終型だったのかなと。あの後で稽古に入ったわけですが、もちろん新演出というのもありますし、自分のイメージの中にあるマリウスを一度全部取っ払おうというか、真っ白な新作に挑むような気持ちで臨もうと思っていました。

 

――観客として旧演出もよくご存知ですが、かつての旧演出版と現在上演されている新演出版ではどういう部分に一番変化を感じますか?

海宝 エイドリアンがすごくこだわっていたのが、マリウスとコゼットにリアリティを持たせること。例えば「A Heart full of Love(心は愛に溢れて)」はクラシックなメロディですごくロマンティックで甘いですよね。だからやる方も自然とロマンティックな方向にいってしまう。新演出ではバルコニーのセットにもなったので、それこそ「ロミオとジュリエット」みたいな。そこをエイドリアンは、「とにかくリアルにしてほしい」と。「君たちが現代で誰かと恋に落ちて語り合ったり、デートをするときのようなリアリティを持って」というのをすごく言われました。作り上げられたプリンス、プリンセスみたいな見え方になってしまうと壁が出来て、お客さんはそこに自分の感情を入れ込むことが難しくなってしまう。だから「A Heart~」も歌い上げるんじゃなくて自然な会話にしてほしいということを言われたので、そこは意識するようにしています。リアルな2人でいられるように。

 

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写真提供/東宝演劇部

 

――マリウスはコゼットのことしか見えていませんが、エポニーヌ目線で観ている観客も多いはず。最期まで自分に愛を捧げ尽くすエポニーヌへはどんな感情を持って演じていますか?

海宝 もう、皆さんに言われます。「エポニーヌに感情移入してしまう」って(苦笑)。マリウスにとっては、やんちゃな弟みたいな感覚なのかなって自分では思っていて。これは僕じゃなくてどなたかの言葉なんですけど、あるときパッと現れてマリウスを笑わせて、すっと去っていく。そういうなんか、神出鬼没でとっても明るい、そんな存在なんだって。エイドリアンからも、コゼットとエポニーヌに対する感覚が同じに見えてしまうのは絶対にダメだと言われました。だから最初にエポニーヌに本を取られて「エポニーヌ、元気か?」ってところもそんなに優しくならないでほしいと。エポニーヌには女の子に対するジェントルな優しさというよりは、身近な弟に対するような親密でラフな距離感でいられるようにしようとは思っていますね。

 

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写真提供/東宝演劇部

 

――エポニーヌに感情移入してしまうと「マリウス、ひどい!」と言われてしまいがちでもありますが(笑)、やはり演じてみて難しい役ですか?

海宝 どうでしょう……僕は、マリウスというのは最後の最後まで成長していく役だなと思っているので。登場のシーンでは革命に燃えていて積極的にビラを配って、怖いもの知らずというか、まだ未熟だからこその力強さがあって。それがコゼットと恋に落ちて、今まで芽生えたことのない感覚に出会う。ミュージカル版だとまたすぐに別れが訪れてしまうんですけど、仲間と戦いに行くという決断を下して。そのバリケードでエポニーヌの死に直面して、さらに仲間たちも死んでしまう。そしてジャン・バルジャンから真実を聞いて自分の愚かさや思慮の浅さを思い知り、最後はコゼットを守って生きていく男になるっていう。だから彼はこの作品全編を通して、いろんな感情に出会って成長していく人物だなぁと思うんです。そこを見てもらえると、なんか愛してもらえるのかなって気はするんですけど(笑)。僕自身はマリウスという役を今回追求しながら演じてみて、とても魅力的だなと思いました。

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――日本版では同じ役に3~4人のキャストがいるので、組み合わせの妙が非常にありますよね。特にマリウスと関係の深い役柄について一人ずつ、本番で組んでみた印象を教えていただけますか? まずはコゼット。

海宝 若井(久美子)さんのコゼットとは舞台稽古ではほとんど組まなかったんですけど、本番ではたぶん一番多いんです。なので本番で回数を重ねていくに従って、コミュニケーションはとりやすくなっています。若井さん自身が気さくなので、舞台裏でも遠慮なく意見を言い合えるし、いろんなことを話せますね。(磯貝)レイナさんはすごくしっかりされているので、引っ張っていってくれるというか、頼りがいのあるコゼットです。(清水)彩花ちゃんは若井さんと逆で、帝劇では2回だけなんですけど、稽古ではずっと一緒にやっていました。なのでコミュニケーションをいっぱいとったなという気がしているし、とりやすいですね。

 

――アンジョルラスの3人はいかがですか?

海宝 三人三様でほんとに全然違います。(上原)理生さんは引っ張っていくパワーというか、圧をすごく感じますね。普段は結構柔らかいんですけど、アンジョルラスをやるときにはすごくこう、カッ!となるので、このアンジョルラスのために自分ができることってなんだろう、自分の役割を果たそう、みたいな感覚にさせてもらえます。のじ(野島直人)さんはずっとこの作品をやられているし、普段からとてもいろんなことを教えてくれるので、舞台上でもすごく引っ張っていってくれるアンジョルラスです。パリのシーンでも「このビラをあっちに配ってくれ!」って指示をくれたりとか。同じ仲間内の兄貴分という感覚かなと。(上山)竜治さんは対等なパートナーというか、すごく近い距離にいる同志。だからマリウスも遠慮なく意見を言える、そういう関係性だなって思いますね。

――なるほど。わりと観客から見えている印象のままかもしれません。ちなみに「デキメン列伝」の第一回にご登場いただいたのが上山竜治さんでした。新キャスト同士のフレッシュなマリウス&アンジョルラスのコンビが好評ですが、カーテンコールでも仲良しぶりを発揮していたとか(笑)。

海宝 アレですね? みんなで手をつないでお辞儀するとき、し終わっても、竜治さんが僕の手を離さないんです!(笑) 3回目出ていこうとしたら、僕とコゼットとの間に入ってこようとするんですよ。話変わっちゃうから!って(笑)。

 

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写真提供/東宝演劇部

 

――「レ・ミゼラブル」の作品全体で海宝さんが一番好きなナンバーは?

海宝 難しい……。「ワン・デイ・モア」かなぁ。やっぱりあの曲は高揚します。あれだけいろんな人が全く違う感情を、それぞれのエネルギーで飛ばして歌うじゃないですか。マリウスは迷いの末の決意、アンジョルラスは決意のもととにかく歌声でみんなを鼓舞する。テナルディエとマダムは悪巧みをして、ジャベールはスパイになって学生たちを潰してやるぞと歌っている。他にもバルジャン、コゼット、エポニーヌ、民衆たちのいろんな思いがあって、それでもひとつの曲として成立している。そして最終的にみんな同じ「明日にはわかる神の御心が 朝が 明日が来れば」って同じ言葉を言って終わるっていうのは、ほんとに奇跡的だなと思うんです。やっぱり特別好きですね。

 

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写真提供/東宝演劇部

――東京の帝国劇場での公演は間もなく千穐楽を迎えますが、出演は9月の富山公演まで続きます。長丁場ですが、心がけていることは何かありますか?

海宝 自然と変化していく部分もあると思うんですが、ほんとの芯の部分、稽古で作り上げたものは自分の中でぶれないようにしなきゃなと思っています。ロングラン公演って深まる部分もあるんですけど、違う脱線をしていく危険性もあるなと思うので。そういうとき、エイドリアンが言っていたことや稽古で作り上げたもの、その芯に立ち返ることをしなきゃなと思っています。キャストとコミュニケーションをとってどんどん追求しつつ、立ち返ることも大事にしていきたいですね。

 


「レ・ミゼラブル」舞台映像ダイジェスト

 

――「レ・ミゼラブル」の後の予定もぎっしりです。9月に「THE SHINSENGUMI 2015」に沖田総司役で出演した後は、いよいよ劇団四季「アラジン」のアラジン役に挑戦!

海宝 ほんとに今年が勝負だなと思っています。ここで雑な仕事をすればもう先はないでしょうし、全てにおいてしっかり丁寧に真摯に向き合わないと。頑張ります!

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
自分に言われると違和感しかない(苦笑)。ただ、「恋ブロ♪」や「アルターボーイズ」でいわゆるイケメンと言われる世界にも触れさせていただいたんですけど、そういう世界の第一線で活躍している人たちってルックスの良さはもちろん、すごく努力しているんですよね。そういう人たちがほんとの“イケメン”なんでしょう。なので、もっと彼らの中身も見てもらったら、きっといろんな発見があるだろうなとは思います。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
現場で会った先輩ですごいなと思ったのは、「ファントム」でご一緒した大沢たかおさん。芝居に対する集中力と発想力、そしてエネルギーがすごい。演出家とディスカッションして新しいものを作っていくバイタリティが、俳優としてほんとに素晴らしいと思いました。
同世代では、「RENT」「フル・モンティ」でご一緒した中村倫也くん。その2作品だけでもものすごい振れ幅の役だったんですけど、それぞれがパーフェクトに成立していて。でもなんか飄々としていて力みもない。そういう居方が素敵だし、幅の広さがすごいなと思いました。

Q.「いい俳優」とは?
役作りはもちろん大事だと思うんですけど、いざ演じるときにその積み上げてきたものを意識せず、相手に集中してコミュニケーションが取れる俳優。自分がどうやろうということじゃなくて、相手のアクションに反応してその場で自然なコミュニケーションがとれる俳優になれたらなと自分は思っていますね。ミュージカルの場合は特にいろんなことが決まっているからこそ難しいと毎回思うんですけど、新鮮さを失わず、毎回新たな発見があるというところに身を置きたいと思っています。

 

 マネージャーから見た「海宝直人」

5~6年ほど前に出会ったのですが、話す言葉の一言一言などから、歌や芝居だけじゃない、いろんなセンスを持ち合わせていると感じました。一番感じるのは、吸収力が高いこと。それは本人が素直なことも大きいですね。名前のとおり“素直な人”で、そこが演技にも生きていますし、成長の一番の礎になっているなと思います。人とのコミュニケーションの部分で改善を求めたり、注意したことはほんとにありませんし、芸歴が長いのにいつもフレッシュな感じというのは皆さん思われるみたいで。ご両親にもよくお会いしますが、ああいう温かいご家庭に育つとこんな風に育つんだろうなという感じがします(笑)。
うちの事務所は「やりたいことをやる」が基本なので、今後も本人が一番望む「歌が歌える仕事」、ミュージカルやコンサートを軸に、どんどん幅を広げていきたいと思っています。いろんな可能性を感じさせてくれますし、これからどんどん成長していくと思うので楽しみです。   (オフィスストンプ合同会社 担当マネージャー)

 


Profile
海宝直人 かいほう・なおと
1988年7月4日生まれ、千葉県出身。A型。1996年、7歳で劇団四季「美女と野獣」のチップ役で初舞台。その後、1999年開幕の劇団四季「ライオンキング」で初代ヤングシンバ役を務める。高校卒業後の2008年、「ミス・サイゴン」に出演し、本格的に舞台活動を再開。現在も主にミュージカルで活躍中。ロックバンド“cyanotype(シアノタイプ)”のボーカルとしても活動する。月刊「シアターガイド」にて「Actor Ship’s Log~俳優航海日誌~海宝直人」を連載中
【代表作】舞台/ミュージカル座「氷刀火伝-カムイレラⅡ-」(2015年)、TSミュージカルファンデーション「Familia-4月25日誕生の日-」(2014年)、「メリリー・ウィー・ロール・アロング」(2014年)、「RENT」(2012年)、「アルターボーイズ」(2012年)、「蝶々さん」(2011年)、「恋するブロードウェイ♪」vol.1~3(2011~14年)、「ファントム」(2010年)、加藤健一事務所「高き彼物」(2009年)、加藤健一事務所「劇評」(2002年)、劇団四季「ライオンキング」(1999~2001年)、劇団四季「美女と野獣」(1996~98年)
【HP】 http://kaihonaoto.com/ http://stomp.cm
【ブログ】「KAIHO」 http://ameblo.jp/naoto-kaiho/
【Twitter】@naotosea

+++ 今後の出演ステージ +++
データ1s▶ミュージカル「レ・ミゼラブル」
公演期間:上演中~6月1日(月)
会場:東京・帝国劇場
全国公演スケジュール:
6月10日(水)~30日(火) 愛知・中日劇場、
7月8日(水)~8月1日(土) 福岡・博多座、
8月8日(土)~29日(土) 大阪・梅田芸術劇場メインホール、
9月5日(土)~7日(月) 富山・オーバード・ホール、
9月17日(木)~24日(木) 静岡・静岡市清水文化会館 マリナート (※静岡公演は海宝直人の出演なし)
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト

▶海宝直人 スペシャルライブ「Music Espresso~20th Anniversary」(4日)
「One day more~20th Anniversary」(5日)
公演期間:7月4日(土)・5(日)
会場:KENNEDY HOUSE GINZA
※チケットは完売

▶「Dramatic Musical Collection 2015」
公演期間:7月29日(水)~8月2日(日) ※8月2日にゲスト出演
会場:東京・天王洲 銀河劇場
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト

▶CLASSICAL NEO FANTAZY SHOW「THE SHINSENGUMI 2015」
公演期間:9月30日(水)~10月4日(日)
会場:東京・天王洲 銀河劇場
全国公演スケジュール:10月11日(日) 大阪・サンケイホールブリーゼ
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト

データ2s▶劇団四季「アラジン」
公演期間:上演中~ロングラン上演
会場:東京・電通四季劇場[海]
>>公式サイト

デキメン列伝 第7回 大山真志

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第7回】大山真志 MASASHI OYAMA
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人を楽しませる“エンターテイナー”であるときが一番楽しい


Writer’s view

数多居る若手男優の中でも、大山さんの持ち味はユニークだなと常々感じていました。大きくたくましい体に、深く響く歌声。ついつい三枚目のキャラクターを担ってしまうところがありながら、ファンをキュンとさせる男性的魅力もちゃんと持ち合わせている。はたまた筆者周辺では「息子にしたい!」なんて声が聞かれたり、アピール力が多様で幅広いのです。あらゆるものをドーンと受け止め“みんなの大山真志”たる彼の大きさはどこから来るのか。その答えと、25歳という狭間の年齢にいる今の心境を知りたくて稽古場を訪ねました。                  取材・文/武田吏都

 

――大山さんは子役出身で、歌、ダンス、芝居を長く続けてきていますが、この三要素でいうと、スタートは何から?

大山 僕は完全に歌ですね。それこそセリフを覚えるという作業をして芝居をするようになるなんて、子供の頃は全然思ってなかったです。小学4年生ぐらいから音楽カレッジみたいなところに通い始めて。きっかけはただただマイケル・ジャクソンになりたかった、みたいな(笑)。だから踊ることもカッコいいなと思っていましたけど、最初はただ人前で歌いたいという気持ちだけで、歌っていることが幸せでした。でもアルゴ・ミュージカルのオーディションを受けたとき、自分のダンスのできなさ加減に落ち込んで(笑)、母親に「ダンスを習いに行かせてくれ」って頼んで。それから、ジャズやタップやバレエやいろんなコースがあるダンススタジオに、毎日何コマも取りながら通いました。その中に演技の稽古ができるところがあったので、芝居はそこでやっと習った感じですね。で、小学5年生のときが初舞台です。

――マイケル・ジャクソンがきっかけというと、第二回に登場いただいた上口耕平さんを思い出します。上口さんもそうですが、マイケルにハマるには、世代的にだいぶ若いですよね?

大山 耕平くんとは僕がゲストで出た「聖☆明治座 るの祭典」(2014年)で初めて一緒になって、いろいろ話しました。お互いに「この人と話したいな」って空気はなんとなくあって(笑)。耕平くんがあの舞台で毎回やっていたマイケルのマネには、やっぱり愛を感じましたね。僕がハマッたのは、3歳のときに母親がマイケルの「デンジャラス」というアルバムを買ってくれて……。

 

――え、3歳のときですか!?

大山 そうなんですよ(笑)。だからずっとそれを聴いてたり、誕生日プレゼントにマイケルのビデオをもらったりもしたし。僕一人っ子なんですけど、母親は、もし僕が女の子だったら宝塚に入れたいって気持ちがすごくあったみたいで。だからそっちの世界に行くように仕組まれてはいたんでしょうけど(笑)。一方で父親は、僕のことを野球選手にしたかったんですよ。

 

――なるほど。体育会系のお父様と、芸術系のお母様とのハーフ(笑)。

大山 でも僕には野球は全く響かなくて、「キャッチボール行くよ」って言葉が恐怖でしかなかった(笑)。少年野球チームに入っていたんですけど、「先輩たちはバッティング練習してるのに、俺らは球拾いか」と思って。「球拾いしてる時間があったら、歌って踊ってる方がよっぽど楽しいわ」って感じてました。反抗期はなかったんですけど、「(野球チームを)辞めたいです」って言ったのが唯一の反抗だったかな(笑)。結局、スポーツには興味がなかったんですよね。とはいえ、水泳もやってたんですけど。泳ぐのは好きだったし、記録会とかで勝つことの楽しさは知ってたからそれはできたんですけど、野球みたいなチームスポーツで、「俺がこのボールを落としたら、それがきっかけで負けるかもしれない!」みたいにメンタル的な負担を背負って(笑)戦うっていうのが合わなかったんだと思います。だったら、自分ひとりの責任である程度までやっていけるものの方がいい。もちろん舞台もチーム力で闘うものなんですけど、例えばセリフが飛んでしまうっていうのは、恥ずかしいのは誰よりも自分であって。そういうことは乗り越えようと思えるんですけど。

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――ただ、子供のときから身長も高かったそうですし(現在182cm)、お父様や周囲がスポーツをやらせたいと思う気持ちはわかりますね(笑)。

大山 水泳のときも野球のときもコーチに「辞めるな」って言われました。でも運動神経がそんなにいいわけじゃないんですよ。走るのも、めちゃめちゃ遅いし(苦笑)。だから僕にはスポーツは向いてないって気持ちが、自分の中にどこかであったんですよね。

 

――おかげで、進むべき道が早い段階で定まったと言えるかもしれませんよね。子役として舞台やCMで活動の後、2009年にミュージカル「テニスの王子様」に出演。以降は、途切れなく舞台出演が続いています。特にここ1年の主な作品を振り返ると、「ALTAR BOYZ」「CLUB SEVEN 10th stage!」「恋するブロードウェイ♪」vol.4と、子供の頃から積み重ねてきた歌やダンスが存分に活かせるショーアップされたステージが多かったですよね。

大山 去年の8月で25歳になったんですけど、この1年で自分がこれからどういう作品を中心にこの仕事をしていきたいのかがなんとなく見えたかなという気はしました。もちろん舞台に立つことが好きなんですけど、それ以上に歌ったり踊ったりしていることが好き。自分はミュージカルやショーが好きなんだなってことを改めて実感するような作品が続きました。

 

――それらを順番に振り返っていただけますか? まずは、ミュージカル「ALTAR BOYZ」。大山さんは、初参加の若手からなる“RED”チームのマシュー役でセンターのポジションを担いました。

大山 今回の「ALTAR BOYZ」では、僕ら新生“RED”のほかに、あの舞台を過去に経験した精鋭の先輩たちの“LEGEND”チームがいて。その中で僕たちは何で勝負するのかっていうプレッシャーが常にありました。なにしろ“LEGEND”のメンバーはダンスのテクニックとか以外にも、トークのアドリブ力だったりお客さんの気持ちのつかみ方っていうのも圧倒的だったので、一体何で闘えばいいのかなって。結局、答えは出なかったです。だから負けだなと思いました。“負け”って言い方もおかしいけど、「先輩、どうぞ」って気持ちになっちゃってた自分がいたから。

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「ALTAR BOYZ」(2014年) 撮影/引地信彦

――“LEGEND”をそこまで意識していたとは、正直思いませんでした。

大山 意識しないように見せてました。「俺らは俺らで」って言ってましたけど、やっぱりどこかで意識してたし。“LEGEND”の稽古を隣で見せてもらったことがあるんですけど、信頼感が違うんですよ。例えば僕の役のマシューと法月(康平)がやったマークは、マークがマシューのことを好きっていう関係性なんですよね。僕と法月とはもう3年以上の付き合いがあったので上手くできてたとは思うんですけど、“LEGEND”で同じ役をやった義さん(東山義久)とマサさん(中河内雅貴)の関係性はやっぱりケタ違いに絆が深いというか。こういう関係性を築けば、あそこまでアドリブをぶっ込んでもちゃんと本筋に戻したりすることができるんだなと思うと、もっとメンバーと交流を持たなきゃいけないと思ったりはしました。だから毎日のように飲みに行って、ああしようかこうしようかって常々。(大久保)祥太郎は未成年だったからご飯のときもあったけど。「ALTAR BOYZ」はもし次があるなら、もっとガッツリつっこんでいって「もう負けないぞ!」って感じでいきたい。ダンスとかそりゃキツかったですけど(笑)、またやりたいと、こんなに思う作品はないですね。

 

――さっき“負け”という表現をしていましたけど、「またやりたい」というのはやり残した気持ちがあるという意味?

大山 というより、達成感ですね。5人しかいないキャスト、+バンドメンバーの「俺たちで作り上げたぞ!」っていうあの達成感は他の作品では味わえないので。僕個人は歌って踊ることが好きだし、曲も全部好きでした。あんなに歌ってて楽しいと感じたことはなかったかもしれない。ほんとに、また絶対やりたいです! 「ALTAR BOYZ」が終わってしばらくしてから、僕酔っ払って義さんに「もしまたアルターがあるんだったら、俺にマシューください!」って言ったみたいで(笑)、「そんなこと言ったヤツお前が初めてだ」って。そのとき義さんに言われたのが、「じゃあ、あのときのスタッフさんの名前、全員言えるか?」って。あそこの長になるってことはスタッフさん全員の名前を覚えることもそうだし、キャストだけじゃなくてバンドのメンバーもこの人に合わせたいって思えるぐらい引っ張っていかなきゃいけないってことなんだよ、みたいなことを言われたんです。僕は全然できていなかったし、今はまだまだ敵うわけねーやって思ったんですよね。

 

――初参加だった「CLUB SEVEN 10th stage!」ではその“LEGEND”の東山さんと再び一緒でした。

大山 義さんはもう今、お兄ちゃんのように慕っている存在です。大好きなんですよ! 「ALTAR BOYZ」のときは僕のこと眼中になかったらしいんですけど(笑)、「CLUB SEVEN」では面と向かって話し合ったりしてくれて、「お前、オモロいな!」って感じになって。なので、「CLUB SEVEN」のときは毎回飲みに連れて行ってくれて。男からしても惚れるような魅力のある人だなって、横にいて感じましたね。先輩たちはみんなお酒が大好きで、どんなにウェーイ!って感じになっても(笑)、本番ではキメる。自分の表現はこうだ!というのを舞台上で見せられる人はやっぱりカッコいいですよね。憧れてしまうぐらい。同じ舞台に立ったらライバルでなきゃいけなかったりするのかもしれないですけど、「あー、カッコいい!」と思ってしまう。「CLUB SEVEN」はそういう人たちの中でやれたので楽しかったですね。めったにないことなんですけど、こみ上げてくるものがあって、千秋楽で泣いてしまったんですよ(笑)。いや、毎日キツかったんです。50音メドレーの歌や振りを1日4曲ずつ覚えて、その後に芝居の稽古をしたり。それこそ同じ稽古をした日なんて1度もなかったんじゃないかと思うし。そういうキツい中で兄貴分の人たちが「余裕だ」ぐらいの勢いでサラッとこなして、「飲みに行くぞ!」っていうその男らしさ。……なんすかね、すごい楽しかったんですよ(笑)。

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「CLUB SEVEN 10th stage!」(2015年) 写真提供/東宝演劇部

 

――その後が今年5月の「恋するブロードウェイ♪」vol.4。大山さんはこのコンサートのvol.1から出演している唯一のキャストになりました。

大山 一緒に皆勤を続けていたもっくん(太田基裕)がいなくなってしまって(笑)。僕にとって「恋するブロードウェイ♪」は、学校でいう通知表をくれる場所。特に僕は皆勤賞で、1、2、3と続けてきた中で歌のスキルも少しは成長してきているかなと思っていて。そして今回は15歳と16歳のメンバーもいて、その中でチームをまとめる立場として学ぶこともたくさんありました。スーパーバイザーの岡(幸二郎)さんにも「今回よく頑張ったね」と言っていただけたりもして、もちろん舞台でありショーなんですけど、そういう、今の自分がどこまでできるかっていう評価を出してもらえる“通知表”っていう言い方が自分の中では一番近いと思います。

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「恋するブロードウェイ♪」vol.4(2015年) 撮影/羽田哲也

 

――「ALTAR BOYZ」でセンターを張ってリーダーの役割を果たして、次の「CLUB SEVEN」では初参加の最年少、そしてまたこの「恋ブロ♪」でまとめ役と、作品内でのポジションが行ったり来たりした1年でしたよね。若手とも中堅とも言い切れない、今の25歳という狭間の年齢ともちょうどリンクするというか。

大山 僕、今まで後輩に教えることとかあまりなかったんですよね。そういうのは他のメンバーがやってくれていて。でも「恋ブロ♪」の初日、16歳の(三浦)宏規が僕が座ってたベンチの横に珍しくソワソワしながらやってきて、「あのー、真志さん。大丈夫ですかね、僕?」って言うんですよ。彼はダンスはピカイチなんですけど、歌を人前で歌ったことがなかったんですね。そんな風に言われて、「あ、俺コイツからしたらすごい大人なんだなぁ」と思って。いつまでも若手だと思うなよ、と改めて自分に言い聞かせるじゃないけど(笑)。

 

――なんて返したんですか?

大山 「お客さんはきっと温かく見守っててくれるから、楽しんだ方がいいよ」って言ってあげたんですけど。僕、後輩にこうやった方がいいよっていうのがあまり上手い人間じゃないんですよね。それこそ義さんみたいに「俺の背中を見て着いてこいよ」なタイプというか、だからこそ義さんに憧れてるし。こういうアドバイスっぽいことをしたのも初めてじゃないかな。カンパニーに最年少で入ることも多かったから頼られること自体あまりなかったですし、僕自身はわりとなんでも自分でしてきたし。「そうするもんなんじゃないの?」って気持ちもあったからそれが出てたのか(笑)、怖い人みたいに思われることも多くて。その宏規や15歳の(廣瀬)孝輔も最初僕が怖かったみたいで、年長組では(内藤)大希に懐いてましたね(笑)。でも実は、年下の彼らとしっかり交流を持って、年長の僕らと彼らのパイプ役になってくれていたのが(味方)良介。そういう意味で、彼は人とのつながりを大事にしてくれる役者なんだなぁって思ったりとか。今後トップを張っていくときには、そうやって一人ひとりのメンバーのことをじっくり見たり、宏規みたいなことを言ってもらえるような存在にならなきゃいけないんだなと思ったりしましたね。

 

――これまでいろんなポジションや役柄を経験していますよね。それらを踏まえて、自分は主役タイプだと思いますか?

大山 思いますね。もちろん周りを支える役もできなきゃいけないと思いますけど、やっぱりマイケル・ジャクソンとかミッキーマウスとか米米CLUBの石井竜也さんとか、真ん中に立って引っ張っていく力のある人が好きだし、そこにずっと憧れて生きてきたんで。張りたいです、主役を。

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――以前、別のインタビューでも「ミッキーマウスに憧れる」という発言をしていて、思わず二度聞きした記憶があるんです。ミッキーマウスが「好き」ならわかるんですけど、ミッキーマウスって「なりたい」とか「憧れる」っていう対象なんだ!? と思って……。

大山 え、憧れるものですよー?

 

――たぶん、ですけど、映像メインの生っぽい演技をするような俳優さんにそういう感覚ってまずないと思うんです。子供の頃からその感覚があったということは、大山さんは最初から“みんなもの”というポジションを引き受けているんだなぁと感じるんですよね。その感覚は、特に舞台向きだとも思いますし。

大山 そうですね。僕のことを知らなかった人たちに「コイツ、おもしれーな」って思われるのはうれしいです。例えば「CLUB SEVEN」ではデブキャラが定着しちゃいましたけど(笑)オイシイと思っていたし、それで笑いを取れるんだったら僕はなんでもするし。でもキメるときはキメれば、この人デブなだけじゃないんだなと思ってもらえるだろうし(笑)。人前でバカができなかったりいじられたりするのがイヤなんだったら、辞めた方がいいなと思ってます。それで鏡ばっかり見ているんだったら、それは役者じゃないしエンターテイナーじゃないし。役者とエンターテイナーって話でいくと、自分がいま役者なのかエンターテイナーなのか、自分の中でもわかっていないんですよね。何をしているときの自分が好きかと言われれば、みんなを楽しませる“エンターテイナー”であるときなのかなって最近思います。

 

――「恋するブロードウェイ♪」vol.4の話に戻りますが。ソロで披露した内の1曲は、ミュージカル「エリザベート」のトートの代表的なナンバー「最後のダンス」でしたね。聴いていて、ついに、という感覚もあったのですが。

大山 あれは岡さんの選曲なんです。子供のときから家で宝塚の「エリザベート」のビデオを観ていていつかトートをやってみたいと思っているので、こんなすごいチャンスはないなと思って。やっぱり今回の「恋ブロ♪」の自分の中でのキーポイントで、誰が観ているかわからないぞと自分に言い聞かせながら(笑)、毎回全力でしたね。“誰が見ているか”っていうのは関係者だけじゃなくて、もし僕の「最後のダンス」を聴いて心に残って、この人にトートをやってほしいという人が一人でもいたら、「観てみたい」ってどこかで言ってくれるかもしれないって。思いは人に伝わるんじゃないかと思っているので。

 

――「エリザベート」のトートをやりたいという発言はこれまでもたびたびしていますよね。

大山 やっぱり昔から観ていて、原点みたいなものなんですかね。「エリザベート」でいえば、もちろんルキーニもやってみたいんですけど。ただトートは昔からの憧れで、それこそマイケル・ジャクソンと同じぐらいの(笑)。帝劇で上演されているようなグランド・ミュージカルを目指すという気持ちは、この25歳からの1年でより明確になりました。高すぎる目標かもしれないけど、それでもあまり遠くない将来、トートをやりたいです。こんなこと大々的に言ったらマズいのかもしれないけど(笑)、もう恐れている年でもないですから。今、時代が変わってきていて、「レ・ミゼラブル」や「エリザベート」といった作品に僕たち世代のメンバーがどんどん入ってきている。「恋ブロ♪」メンバーだった海宝(直人)くんが「レミゼ」でマリウスをやったり。だから今この波に乗れなかったら、また先延ばしになってしまうと思ってはいて。それで言うと、僕は「恋ブロ♪」を卒業できずに“残ってしまった”とも言えるんです。デカい舞台に出演が決まって、「すいません、今回は出られません」っていうのが本来の姿ではあると思うんですね。ただ「恋ブロ♪」は大好きな作品だから、そうして抜けたりすることはあっても絶対に戻ってきたい。「ごめんなさい! でもまた戻ってきました」っていうのを、早くやりたいんですよね。

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―― 俳優としての思いを正直に聞かせてくれてありがとうございました! もちろん、現在出演中の最新舞台「うたかふぇ」のお話も。最初にこの作品の情報が出たとき、何より気になったのは“ストレートプレイ・ミュージカル”という表現だったのですが(笑)。

大山 そうなんですよ。Wikiで調べると“ストレートプレイ”は「歌わない舞台」、“ミュージカル“は「歌う舞台」って書いてあって、対義語がくっついている(笑)。表現が難しいんですけど……ミュージカルのように感情的になったときに歌が始まって、それに圧倒されたお客さんが拍手するっていう流れではなくて、日常生活で鼻歌を歌うような感じで歌が始まるっていう。日本人ってミュージカルが苦手だったりする人が結構多いと思うんですけど、日常に紛れている歌という感じで、これは”和製ミュージカル“だなぁってすごく思います。

 

――「うたかふぇ」は、そういう歌であふれている商店街の喫茶店「マリア」が舞台。大山さんはその近くにできる大型ショッピングモール事業部の人間で、「マリア」側と敵対する立場。デキるイケメンサラリーマンという感じのキャラクターですよね。

大山 最初は「イケメンな感じで」って言われてたんですけど、僕がやるからには三の線かなと思って。登場はわりと二の線で出てくるんですけど、最終的には三の方が強いと思います(笑)。

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ストレートプレイ・ミュージカル「うたかふぇ」 撮影/田中亜紀
(12日までサンシャイン劇場で上演中)

――主演が次長課長の河本準一さんで、お笑い芸人、声優、アイドル、小劇場、ミュージシャン……と、キャストの顔ぶれが面白いですよね。

大山 同世代が多くて、同じ25歳がこんなにいる現場は初めて(笑)。いろんな人がいるから新鮮ですし、刺激になりますね。準さん(河本)は稽古3日目にセリフが全部入っていたんですよ。それで役者陣が「大変だ!」って慌ててセリフを覚え始めたから(笑)、完成するのは早かったんですけど。準さんはすごくかわいがってくれていて、毎日ご飯に連れて行ってくれます。僕の行きつけの店にも一緒に来てくれたりして(笑)。芸人さんたちが役者としてわからないことを向こうから相談してくれたりするので、うれしいなと思いながらやっています。

 

――いま感じている、この作品の魅力とは?

大山 ほんとに“日常”なので、自分の近くでもこんなことありそうだなと共感してもらえる部分が多いと思います。あとはやっぱり、いろんな人たちが出ているからのこその化学反応を楽しんでいただきたいですね。例えば芸人さんがいると、ミスったりしてもそれを全部笑いに変えることができる。稽古場でも爆笑を取り続けているし、笑いに対して常にここまで前傾姿勢でいるんだなぁって。

 

――10月の舞台「ボーイバンド」も最近、情報解禁になりました。大山さんたち5人組の男性ボーカルグループとマネージャーらの物語で、ミュージカルというよりは音楽劇の要素が強い作品だとか。

大山 キャストが濃いなって(笑)。でも大好きなメンバーなので楽しみです。例えば東(啓介)くんは、彼が「テニスの王子様」の2ndシーズンで、僕が前にやった同じ役(千歳千里)をやっていたので、そういう楽しみもありつつ。僕の役は、結構引っ掻き回すタイプだと思います。イギリスの作品なんですけど、舞台を東京に置き換えてもいいらしくて、そのあたりを演出の板垣(恭一)さんがどう表現されるのか、僕も今から楽しみですね。

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
“イケメン”と呼ばれることに胡坐をかいているようなヤツははっきり言って大キライ! 今イケメンと呼ばれる人がいっぱいいますけど、何を持ってイケメンかと言えば顔がカッコいいとかじゃなくてやっぱり普段の生き様だったり、そういうところがしっかりしている人のことを言うんだと思います。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、インタビューでもさんざん言いましたが東山義久さん! 圧倒的ですね。
同世代では、西川大貴。中学生のとき一緒にアルゴ・ミュージカルに出たんです。最初はあまり好きじゃなくてケンカもしたんだけど(笑)、お互い歩み寄ったらこんなに面白い人だったんだって。彼は「レ・ミゼラブル」とかにも出ているけど、自分で脚本を書いたり、“かららん”っていうユニットを組んでバーで歌っていたり、アーティスト色が強いんですね。ステップを踏んで1個ずつ夢を実現させているのもすごいと思うし、僕が持っていないものをいーっぱい持っているから、年下だけどすごい尊敬しているんです。

Q.「いい俳優」とは?
飽きさせない、そして「こんなこともできるんだ」っていう発見が常にあったりして、いつまで経っても人から求められる役者

 

 マネージャーから見た「大山真志」

担当になってまだ1年に満たないのですが、とにかく素直で前向きなところがいいと思っています。無邪気で可愛げがあるので、一緒に仕事をするスタッフ、キャスト、関係者にかわいがっていただけるのが、何よりの才能だと思います。努力もしているし、真面目で礼儀もわきまえて、根性もある。年下の子に対してはリーダーシップも発揮できるし、年上の方に対しては弟ポジションも取れる。相手と空気が読めるということだと思っています。時々うっかりする無防備さもありますが。
この先は子供の頃からやっている歌、踊りをさらに磨いていき、本格的なミュージカルにも挑戦させたいですし、シェイクスピアのような古典も含めて、もっと演劇的な作品にも出していきたい。いいストレートプレイを経験することで、ミュージカルや歌の表現が広がると思うので。とにかく今までやっていないことにトライさせて、まだ内包している可能性を出していけたらと思っています。

(スペースクラフト・エンタテインメント株式会社 担当マネージャー)


Profile

大山真志 おおやま・まさし
1989年8月17日生まれ、東京都出身。B型。2000年より芸能活動を始め、CMやアルゴ・ミュージカルなどに出演。2009年、ミュージカル「テニスの王子様」に千歳千里(四天宝寺B)役で出演し、注目を集める。以来、舞台を中心に活躍中
【代表作】舞台/「CLUB SEVEN 10th stage!」(2015年)、「ALTAR BOYZ」(2014年)、「健ドン!(仮)」(2014年)、「ファントム」(2014年)、「英雄のうそ」(2014年)、「CLUB SLAZY」(2013年)、「英雄のうた」(2013年)、舞台「弱虫ペダル」シリーズ(2012~2014年)、「大江戸鍋祭~あんまりはしゃぎ過ぎると討たれちゃうよ~」(2011年)、「恋するブロードウェイ♪」vol.1~4(2011~2015年)、「信長」(2011年)、「オオカミ王ロボ~シートン動物記より~」(2011年、2013年)、「ソラオの世界」(2010年、2011年)、ミュージカル「テニスの王子様」The Treasure Match 四天宝寺feat.氷帝(2009年)
【HP】 http://www.spacecraft.co.jp/oyama_masashi/
【ブログ】 「大山真志のお陰さまさし。」 http://ameblo.jp/oyama-masashi/

+++ 今後の出演舞台 +++
データ1▶ストレートプレイ・ミュージカル「うたかふぇ」
公演期間:上演中~7月12日(日)
会場:東京・サンシャイン劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://uta-cafe.com/

 

 

 

 

▶「Dramatic Musical Collection 2015」
公演期間:7月29日(水)~8月2日(日) ※8月1日(土)にゲスト出演
会場:東京・天王洲 銀河劇場
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト http://www.gingeki.jp/

 

データ2▶「ボーイバンド」
公演期間:10月15日(木)~10月25日(日)
会場:東京・よみうり大手町ホール
全国公演スケジュール:10月10日(土) 埼玉・志木市民会館パルシティ ※プレビュー公演
10月31日(土) 大阪・サンケイホールブリーゼ
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト http://www.stagegate.jp/

デキメン列伝【第8回】 平野良

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第8回】平野良 RYO HIRANO
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実は人見知りで不器用な、マニュアル人間です


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平野さんを初めて見たのは舞台ではなく、「戦国鍋TV」。今の若手男優シーンを語るに欠かせないこの伝説的バラエティ番組における彼は、私にはやや異質に映りました。歌も芝居も、周りの俳優たちとのやり取りもどこか手慣れた感じ。キュート系のルックスとその持ち味とのアンバランスがまた、「気になる!」に拍車をかけました。それから何度か取材もしたけれど、やはりどこかつかみどころがない。ならばということで、平野良の内面を丸裸にする(?)ロングインタビューを敢行です!

取材・文/武田吏都

 

――平野さんは中学生のときに芸能活動を開始。途中4年間ほどブランクがあって、成人したのち再び芸能界に、という経歴だとか。まず最初に芸能界入りしたきっかけは?

平野 物心ついたときから世に出るようなことを何かやりたくて、「歌手になる!」とか「お笑い芸人になる!」とかずっと言ってたんです。それにテレビっ子だったんですけど、僕が子供のときって学園モノのドラマがめっちゃ多かったんですよ。それこそ今出ている舞台「SONG WRITERS」を演出している(岸谷)五朗さん主演の「みにくいアヒルの子」とか、「それが答えだ!」とか「聖者の行進」とか。「年の近い人がこんな仕事していいなぁ」っていうのがきっかけで、新聞の広告を見て、自分で劇団東俳に応募しました。「3年B組金八先生」(第5シリーズ)に出たとき、その劇団の広告に自分の写真が載ったことがものすごくうれしかったですね。

 

――一時期お休みしていたのはどういう理由から?

平野 高2から4年間ぐらいやってなかったんですよね。武田鉄矢さんとか西田敏行さんとかベテランの方と仕事させていただいてお話を聞くと、皆さん何か免許を持っていたり社会経験があったりして、それを活かしてこの仕事をしていらっしゃる。僕は昔からやんちゃだし、世間を知らなくていきなり芸能界に入って。「金八」は始めて1年ちょいくらいで決まって、オーディションにもほぼ落ちたことなかったんですよ。だから「まあ、こんなもんか」みたいなちょっとナメた子供で、「このまま行ったらオレ潰れるな」と思ったんですよね。共演者とかスタッフさんに「どうしましょうかねえ?」って聞きまくったら、「この仕事を続けるなら人脈作りが大切だから大学に行け」という意見も多くて。なので予備校に通ったりもしたんですけど、人脈作るためだけに親に大金払わせていいのかとも思ったし、そのためだけだったら1回社会に出ようと思って。バイトから始めて、いろんな会社に就職しました。いろんな仕事をやればやるほど、自分の技術や知識にもなるし。世の中がどういうお金の流れになっているか、みたいなことも知っておきたかったから。

 

――でも、いつかは芸能界に戻るつもりだったんですよね?

平野 そのための肥やしにしようと思って1回辞めたんですけど、もしかしたら本当に自分に合う仕事があるかもしれないとも思ってました。ちっちゃい頃から周りの人とか占い師さんに「キミはお金を動かす金融関係の仕事に就きなさい」って言われて育ったっていうのもあったし(笑)。ウチは商売をしているんですけど、親父もたぶん僕が継ぐもんだと思っていたし。だけど、どの仕事も楽しくないことはないけどそれなりで、なんか充たされないというか。「芸能やってるときはもうちょっと面白かったなぁ」みたいなのがありつつ21歳ぐらいまでとりあえず続けていたんですけど、IT系の仕事をしていたとき、販売員の指導をしに電気店に行ったんですね。テレビ売り場にテレビがぶわーっと並んでるじゃないですか。そこでたまたま、僕が出てた「金八」の再放送が流れたんですよ。お客のおばちゃんに、「あれ? アンタ?」って言われて、「あ、ああ~」ってなったとき、「あ、ダメだ。芸能界に戻ろう」って思いました。そこで、「そうなんですよ、昔やってたんですよ~」みたいに吹っ切って自慢げに話せていたらたぶんそのまま社会人の方が向いてたんでしょうけど、なんかちょっと恥ずかしかったというか、「今ここで何やってるんだろ」って思っちゃったから。

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――そのとき、自分の姿がテレビで流れたということに運命を感じますねえ。さっきのお話にもありましたが、最初に芸能界入りしたときから、わりとトントン拍子だったんですね。

平野 マセてたのかもしれないですね。当時、渡部篤郎さんとか窪塚洋介さんとかクセのある芝居をする人が好きで、オーディションでも他の子みたいに「ナニナニから来ましたナニナニです! 趣味はナニナニ! お願いします!」みたいなことができなくて、「平野良です、よろしくお願いします……(ボソボソ)」みたいな。「キミ、渡部篤郎好きでしょ?」ってしょっちゅう言われてました(笑)。なんかちょっと変わった子だったのかもしれないですね。

 

――なるほど。平野さんを最初に見たときから感じていたのは、あまり表現が良くないかもしれませんが、でもむしろ褒めているつもりなのですが(笑)「こなれているな」と。子供のときから活動していると後から知って、キャリアの長さによるものなのかと思っていたんですけど、元々そういうタイプだったんですね。

平野 最初っからでした。「こなれてる」もめちゃめちゃ言われたし、「フレッシュさがない」っていうのは復帰してから一番言われましたね。「20代前半でフレッシュな演技ができないのは痛い」って言われて、ほんとに広辞苑とかパソコンで「フレッシュ」って言葉を調べましたもん。何がどうしたらフレッシュなんだろうってめっちゃ調べて、「とりあえず笑顔か」とか「ちょっと声高くしてみっか」とか(笑)。

 

――ご自分ではそういう持ち味はどこから来ていると思いますか?

平野 人って知識を入れれば入れるほど顔つきが変わりますよね。無知な人と学者さんだとやっぱり顔つきが全然違ったりするし。僕の場合、知識はないんですけど、昔からすごくよく夢を見るんですよ。全部覚えてるし、夢の中で10年20年過ごしていたり。そういう経験をちっちゃい頃からずーっとしているからかなぁ、なんて思うんですけど。あとは子供の頃からよく、親父の仕事仲間と遊びに行ったりしていたんで、同い年の子なんかと接するとやっぱり「子供っぽいな」と感じているような子供だったんですよね。

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――初舞台は芸能界に復帰してからで、2008年の「ラフカット」。今でも毎年行われている、全キャストがオーディションで選ばれる“才能発掘”の舞台ですね。

平野 今の事務所に入ったとき、それまで映像しかやったことがなかったんで、「舞台のこと知らないし、できません」ってずっと言ってて。でも以前とは時代が変わって、舞台でしっかり実力をつけてからじゃないと何もできないと言われ、「じゃあ、受けまーす……」みたいな、最初はあまり乗り気じゃなかったんです。だけどこれが面白くて! 脚本・演出は羽原大介(映画「フラガール」、NHK朝ドラ「マッサン」などの脚本家)さんで、いきなり主演だったんです。それがプレッシャーでもありやりがいでもあったんですけど、とにかく何も知らないから、ト書きに「小声で」って書いてあったらほんとに全く聞こえないぐらいの小声でしゃべってみんなズッコケる、みたいな(笑)。「“小声“って書いてあるけど舞台ではちゃんと声を出すんだよ?」っていう段階から鍛えられました。「小声じゃなく小声を表現するって何だ?」って、最初ワケわかんなかったですね。先輩とカラオケボックスに行って、発声練習を教えてもらったりもしました。ドラマだと、良くも悪くもサクサク進んで、目の前にいない人を見ているテイでやったり、”演出“というものがいろいろある。対して舞台の、ほんとにその場で起こる感情をもっと大きくして表現するというのが初めてだったので、「面白いなぁ!」ってすごく思ったんですよね。その後すぐやったのが、ミュージカル「テニスの王子様」。舞台の演技の面白さを「ラフカット」で、魅せることの楽しさを「テニス」で教わったみたいな感じでした。

 

――テニミュはこれまた、全く異なる文化圏という感じだったのでは?

平野 そうなんですよ。性格があんなだったから、それまでずっと“個性派俳優”って言われてたのが、「テニス」出演が決まった瞬間、“イケメン俳優”になるんですよね。ジャンル変え(笑)。僕の地元では「あの平野がイケメン俳優になったらしいぞ!」って相当なお祭りになりました(笑)。

 

――言われ始めると、やっぱり見た目とか意識するものですか?

平野 めちゃめちゃしましたね! 写真の写り方なんて気にしたことなかったですけど、ブロマイドを撮って売ってそれがずっと残るってことだと、やっぱり意識して。写真の撮られ方とか、家でずーっと練習してました。
「テニス」は僕の第二シーズンの始まりの代表作というか、芸能生活再開ののろしを上げた作品だったので、大切にしたいなと思っています。でも全部が代表作……やっぱりこれまで自分が生み出した作品のキャラクターっていうのは子供みたいなもんで、全員優劣つけがたくてかわいいし、その子が評判悪いと悲しくなりますし。だからその分、ちゃんと愛情を注いであげなきゃとは思っています。
 

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ミュージカル「テニスの王子様」(2008~10年) 一氏ユウジ役
©許斐 剛/集英社・NAS・テニスの王子様プロジェクト
©許斐 剛/集英社・マーベラスエンターテイメント・ネルケプランニング

 

――初舞台からまだ7年しか経っていませんが、それで言うと、たくさんの子供たちを生み出してきました。作品数がとても多いですが、これまでずっと走り続けてきて、肉体や精神の疲労を感じたりは?

平野 いや、僕は忙しい方がいいんで。読書や映画を見ることぐらいで趣味もそんなにないですし、仕事をしているときが一番楽しい。忙しいって、あんまり感じたことがないですね。

 

――もう少し、内面の謎解きをさせてください。平野さんといえば、なかなかのSキャラという印象があるのですが(笑)。

平野 どっちかと言ったらSに見えるでしょうし、僕もたぶんそう見せてます。でもぶっちゃけ、普通です(笑)。子供のときからずっとお笑いを見ていて、ほんとはボケるのも大好きなんですけど、僕らの世代ではツッコめる俳優って実は少ないので、そういうポジションを狙っていこうっていうのはありますね。僕、家でテレビ見ながらずっとしゃべってるんですよ。噛んだら「あ、噛んだ。噛んじゃったねえ?」とか。そういうときってだいたい2、3回噛み倒すから「今日はどうしちゃったんでしょうかねー」とか、朝からずっと(笑)。だから普段からやっている自分流のツッコミを実践している感じですかね。

 

――自由なキャラというイメージもありますよね。特に「ハンサム落語」(2013~2015年)みたいな演目では顕著になりますが。

平野 逆に“自由”って決めないと、僕、めっちゃマニュアル人間なんで。それは社会人のときの名残もあるんですけど。言葉遣いとか礼儀にすごく厳しい会社にいたことがあって、そこで矯正されたから、芸能を再開したとき逆に、直すのにすごく時間がかかりました。「お忙しいところ恐れ入ります。タレントとして所属しております平野良ですが……」なんて事務所に電話掛けて、「何、キミ!?」ってなったり(笑)。

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――染まりやすいんですね。

平野 だから、マニュアル人間なんです。それって決められたらそれしかできない。そして理屈がわからないと動けない。それこそ運転免許をマニュアルで取ったんですけど、クラッチのシステムがわからなすぎてオタオタして、「おい、半クラ!」って教官にめちゃくちゃ怒られて。でもなぜここで半クラするのかがわからないから、どうしようもない。だから悔しくて、家に帰って車の部品とかシステムを全部勉強して頭に入れました。理屈がわかれば、できるんですけど。芝居もそうで、どう表現すれば伝わるかとか、それぞれの演出家が求めるものに対していろいろできるようにと思って、大きな書店に並んでいる演技法の本をたくさん読みました。その分、自分の引き出しに全くないものを急に言われるとめっちゃテンパって、「持ち帰らせてください!」ってタイプです。で、家でパソコンぶわーっ(=検索)みたいな(笑)。

 

――意外です。実際はわりと逆なのに、人並み以上に自由に見えている不思議……。

平野 作品の芯というものがあるとしたら、その周りにその作品をかたどっているものがあると思うんですよね。で、さらにその周りに薄くオーラがあって、そのオーラをギリはみ出すぐらいまでは自由が許されると思うんです。その全体像をわかっていなくて完全な自由に行っちゃうと作品が崩れちゃうかなというのは自分で考えて、「ここまでは出ていい。でももっと行こうとしちゃう人がいたら止めて戻さなきゃいけない」っていうのは感じます。そういうのを踏まえた上の限られた範囲内でしかやらないから、僕の中では意外と冒険してなかったりするんですよね。この流れで不協和音になることがわかっていながらやるっていうのは、僕はやっぱりちょっと勇気が出ない。村井(良大)くんに「平野くんのお芝居はなんか、数学っぽいですね」と言われたんですけど、確かに理数系だし、たぶんそうなんですよね。

 

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「ハンサム落語 第六幕」(2015年)

 

――いま話に出た村井さんとは、6月の「殺意の衝動」で共演。同じ事務所に所属する人気者同士の初共演で話題を集めましたが、いかがでした?

平野 お芝居で絡むのは初めてでした。付き合いは8年9年になるし、定期的に事務所で会ったりするけども、どこか一線を引いている感じがお互いにあったんです。僕からすると、「村井くんはたぶんこういうタイプだろうな。だから俺の本心は言わないでおこう」みたいな。村井くんもたぶん同じだったと思うんですけど、それがもう、一切覆されましたね。初めて同じ稽古をしてお互いコミュニケーションをして、2人でメシ行って腹を割って話して……こんなに仲良くなるとは夢にも思わなかったってぐらい仲良くなりました。お互いに別の人物像を重ねていたところがあって、「こんな感じだと思わなかったわ」みたいな。ある意味、考え方とか根本はめちゃめちゃ似ていました。芝居法が違うんで、演技のアプローチの仕方なんかはやっぱり違うんですけど、普段生きているスタンスみたいなものもすごく近しくて。だからこれまでは仕事の流れ以外では1回も一緒にメシ行ったことがなかったんですけど、今はプライベートでも行くし。一緒にいて、めちゃめちゃ楽ですね。

 

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amipro「殺意の衝動」(2015年)

 

――「殺意の衝動」は緊迫感ある密室劇で、後半では村井さんと一対一のシーンもありましたね。

平野 面白かったです。村井くんはアドリブしたりその場で芝居を変えるタイプじゃなく、しっかり掘り下げてくる人なんですけど、かといってそれがマンネリにならない。しっかりと毎回感じた上で同じ芝居を持ってこれるというのは、役者としてものすごい精神力がないとできないことなんで。芝居に対してストイックなんですよね。対面しているときのワクワク感というか、やっててすごいゾクゾクします。いつか、二人芝居をやりたいねって話はしているんですけど。

 

――そして現在、ミュージカル「SONG WRITERS」に出演中。この作品の2年前の初演が初の本格ミュージカル出演だったそうですが、そのときも軽妙なお芝居とともに、歌やダンスを軽やかにこなしている印象がありました。が、今回のインタビューの話の流れでいくと……。

平野 軽やかになんて、全然できません!(笑) 初演の顔合わせで震え上がったこと、今でも覚えています。だって、ミュージカル経験豊富なバケモノみたいな人がいっぱいじゃないですか! 五朗さんによく食事に連れて行ってもらっていろんなお話を聞いて、「やっぱり努力しないとダメだよ」という言葉もいただいて。そこからですね、ミュージカルもできるようになりたいなと思ったのは。歌には元々コンプレックスがあったんですけど歌唱指導を受けて、あの後から、歌う舞台にいろいろ出させてもらうようになって。だから今回の再演はすごく楽しみでもあり、自分の中で勝手にプレッシャーでもありました。初演のときは周りに着いていくのに必死で、とにかくがむしゃらにやっていたんです。ほんと、ガチガチでした。僕らギャング3人組、コング(桑田)さんと(植原)卓也と僕で歌って踊るシーンがあって、片足で立つという振りがあるんですけど、初演は緊張で足が震えちゃって、半分くらいバランス崩しちゃってました。1回、舞台から落ちそうになったぐらい(笑)。という状況だったので、今回は他のキャストの方みたいに何かを伝えられるように頑張んなきゃっていうのが、自分にとってのプチテーマでもあって。

 

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「SONG WRITERS」(2015年) 写真提供/東宝演劇部

 

――再演では、平野さん演じるオカマのギャング、アントニオが初演よりも活躍している印象を受けました。

平野 あ、そうですか? 初演はなにせ僕の緊張がものすごかったので、ひとつキャラを決めて、それに入り込む芝居をずっとしていたんです。でも今回は、アントニオに少し深みを持たせたいと。例えば、オカマって高い声も低い声もいろんな声を持っているし、周りを見ている思慮深さがあったりする。そういう深みを出せたら、怖くもありかわいくもありコミカルでもありというキャラクターが見せられるかなと、五朗さんと相談しながら。初演はわりと一辺倒な、クセのあるオカマだったんですけど、今回は序盤中盤終盤で、ちょっとずつ変えてみてはいますね。

 

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「SONG WRITERS」(2013年/初演) 写真提供/東宝演劇部 撮影/HIRO KIMURA

 

――それに伴い、と言いますか、カツラのお色直しもありますね(笑)。

平野 今回からです。初演は地毛でやっていたんですけど、今回はちょっと髪を切れなくて、カツラを作ることになって。それで2パターンのどちらかを選ぶつもりだったんですけど、五朗さんが「どっちもオモロいなぁ」って決めかねていたんですよね。衣裳を着けた通し稽古のときに一幕と二幕でカツラを変えてやってみて、それでどっちかに決めさせてくれということになったんですけど、終わったら、「ゴメン良、両方行こう」と(笑)。一幕と二幕で時間経過があるので、変化があってもいいだろうということでああなりました。

 

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「SONG WRITERS」(2015年) 写真提供/東宝演劇部

 

――「SONG WRITERS」初演でミュージカルもできるようになりたいと思ったという話がありましたが、あの作品を経ての主演作、音劇「朱と煤 aka to kuro」(2015年)では、しっかりと”ミュージカル俳優していた“印象がありました。

平野 あの作品は、最初あんなに曲があるとは思わなくて。「だって僕ですよ?」っていうか(笑)、ミュージカルをほぼやったことのない自分が主演で、まさかそんなに歌わないだろうと思って音取りに行ったら、作品全体で20曲以上あり、僕がほぼ歌う。しかも岩崎廉さんというブロードウェイミュージカルでも活躍しているものすごい方の楽曲で、「歌めちゃめちゃムズいじゃん!」と(笑)。芸能生活で初めてマネージャーに「ちょっと今回ダメかもしれない。できないかもしれない」って言いました(苦笑)。でもこれを乗り越えなきゃと思って、無我夢中でしたね。そのとき、「SONG WRITERS」で共演している中川(晃教)さんの歌をめっちゃ聴いていました。あの方は、ザ・天才じゃないですか。歌う仕事をやらせてもらうときは、まず中川さんの歌を聴きます。どうやら影響していたみたいで、ファンの方に「もしかして、中川さんの曲聴いてません?」って言われたこともある(笑)。全然足元にも及ばないですけど、それぐらいずっと聴いてました。
でも、なんでも毎日の1個1個の訓練の積み重ねが結果につながっていくんだなっていうのを感じます。「SONG WRITERS」は五朗さんの意向で、稽古中も本番も、アップして発声して体動かしてというのを全員でやるんですね。初演のとき身についたこの「SONG WRITERS」の発声とストレッチはずっと続けようと思って、この2年間、別の現場でもずっとやっていたんです。そしたら、初演では出せなかった音程が出せるようになっていたり、良くないクセもなくなっていたりして。だからほんとに、毎日の積み重ねだなって感じですね。

 

――今回たっぷりお話伺って、思い描いていた平野さん像がたくさん覆された感じがあります。なんでもサラリと器用にこなすあの感じの裏には、感じるより「考える」、そして「コツコツ型」の性質が隠されていたんだなと。

平野 しかも人見知り。だから仕事スイッチを入れないと、できなかったりします。実はめちゃめちゃ不器用なんですよ。

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
あ、僕これ答え出しちゃいますね(笑)。「ハンサム」「男前」「イケメン」って全部意味が違うんです。僕がずっと出ている「ハンサム落語」における概念なんですけど、「ハンサム」は、単純に顔がきれいなだけ。「男前」はどの時代でも好かれるいい男。「イケメン」はその時代に乗っかった好かれる顔、です。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩でそう思う方はたくさんいます。唐沢寿明さんとか江口洋介さんとか、映像も舞台も両方できる人はやっぱりすごいなって。それこそ(岸谷)五朗さんも幅広くて、嫉妬するぐらいすごい先輩。そういう方と一緒にお仕事できて、いろいろ学んだり見ることができるのは幸せですね。
同世代では、ただのファンなんですけど、森山未來さん。同い年だけどもう一生超えられないだろうなって、敗北宣言してもいいぐらい好きです。敵わない、あの感じには。
やっぱり、なんでもできるようになりたいっていうのが根底にあるのかもしれないですね。エンターテインメントをやるからにはどの方向も怠りたくないし、僕も、自分ができることはあきらめないでいただいたものは全部、の方向で掘り下げていきたいです。

Q.「いい俳優」とは?
人に与えられる人、しっかり届けられる人。
例えばイケメン俳優と言われている人は“カッコいい”ということを与えているから、それだけでも尊敬に値すると思いますけど、与えられる数が多ければ多いほどいいですよね。喜び、悲しみ、情けなさ、人生の無常……。僕もいま旅の途中ですけど、より多くのことを観る方に届けられるようになりたいです。

 

 マネージャーから見た「平野良」

いろんな顔を持っていて、万能だと思います。どんな役でも全力でやりきり、自分で納得できるまで追求する役者。性格は、見た目より真面目です(笑)。
未知の世界にどんどん挑戦していって、将来どんな役でもできる役者に育っていってほしいと思います。まだやっていない役をやらせてみたいですね。

(株式会社ウェーブマスター 担当マネージャー)


Profile

平野良 ひらの・りょう
1984年5月20日生まれ、神奈川県出身。B型。中学生のときに劇団東俳に所属し、1999年、「3年B組金八先生」(第5シリーズ)に出演。テレビドラマを中心に活動する。高校2年で芸能活動を休止し、4年のブランクを経て再開。ミュージカル「テニスの王子様」(一氏ユウジ役)、バラエティ番組「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」などで注目を集め、舞台を中心に活躍中。メインMCを務める「平野良のおもいッきり木曜日」がニコニコ動画で放送中(毎月第1木曜22時~)
【代表作】舞台/amipro「殺意の衝動」(2015年)、ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」(2015年)、「ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ」(2014年)、音劇「朱と煤 aka to kuro」(2014年)、「源氏物語~夢浮橋~」(2014年)、「メサイア-紫微ノ章-」(2014年)、「最遊記歌劇伝-God child-」(2014年)、「ミニチュア!!」(2014年)、「一郎ちゃんがいく。」(2014年)、「歳末明治座る・フェア~年末だよ!みんな集合!!~」(2013年)、「SONG WRITERS」(2013年、2015年)、「ママと僕たち」(2013年、2015年)、「ハンサム落語」(2013~2015年)、「姫子と七人のマモル」(2010年)、「ふしぎ遊戯」(2010年、2011年)、「ソラオの世界」(2010年、2011年)、ミュージカル「テニスの王子様」(2008~2010年)、「ラフカット2008~愛のメモリー~」(2008年) 【TV】「Messiah メサイア-影青ノ章-」(2015年)、「戦国★男士」(2011年)、「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」(2010~2012年)、「パパとムスメの7日間」(2007年)、「天国に一番近い男」(2001年)、「3年B組金八先生」第5シリーズ(1999年)
【映画】「フェアトレードボーイ2」(2015年)、「フェアトレードボーイ」(2014年)
【HP】 http://talent.wave-master.com/
【ブログ】 「気分は良好」 http://ameblo.jp/hirano-ryo/

+++ 今後の出演舞台 +++
データ1a new musical「SONG WRITERS」
公演期間:上演中~8月9日(日)
会場:東京・シアタークリエ
全国公演スケジュール:8月15日(土)・16日(日) 京都・京都劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://www.tohostage.com/song_writers/

 

データ2「メサイア-鋼ノ章-」
公演期間:9月2日(水)~9月13日(日)
会場:東京・シアターGロッソ
全国公演スケジュール:9月19日(土)~9月21日(月) 兵庫・新神戸オリエンタル劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://www.clie.asia/messiah/hagane/

 

 

 

宮下雄也30歳バースデー誕生日LIVE「みそじ」
公演期間:9月4日(金) ※ゲスト出演
会場:東京・ルミネtheよしもと
>>参照サイト http://www.runandgun.jp/miyashita/

 

データ3「ボーイバンド」
公演期間:10月15日(木)~10月25日(日)
会場:東京・よみうり大手町ホール
全国公演スケジュール:10月10日(火) 埼玉・志木市民会館パルシティ ※プレビュー公演
10月31日(土) 大阪・サンケイホールブリーゼ
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://boyband.tokyo/

 


デキメン列伝【第9回】 宮下雄也

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第9回】宮下雄也 YUYA MIYASHITA
main_miyashita

自分自身があまり好きじゃないけど、
役を演じて舞台に立っている自分はすごく好き


Writer’s view

若手俳優ファンの間でも一目置くような存在として、この人の名は知れ渡っているかもしれません。宮下雄也さんは、若手俳優界随一の怪優、性格俳優と言っていいポジションを築いています。ボサボサ頭を掻き乱し、イッちゃったような目で暴れまくる、そんな役を演じたりもしますが、実はものすっごくキラキラと澄んだ瞳が気になる……と思っていたら、なんと15歳でデビューしたアイドル出身。アイドルから性格俳優へと、極端な転身を遂げたその謎。解明せずにはいられません!

取材・文/武田吏都

 

――当企画に出ていただきたいとずっと思っていたんですけど、取材させていただいたことがなかったので、こういった場ではどんな方なんだろう?と。ロングインタビューに真面目に答えてくれるんだろうかと、ちょっと不安でもあったんですよ。

宮下 ちゃんとしゃべりますよ、もちろん!(笑)

 

――一スイマセン。完全に舞台上での役のイメージなんですけども(笑)。

宮下 あー、濃いキャラクターを演じることが多いので。公演終了後には体中傷だらけになってることも多いですから(笑)。

 

――若手俳優界と小劇場界の交わるところというか、独自のポジションを築いていますよね。例えば矢崎広さん主演の、なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年)であのメンツの中に名前がある違和感は全くありませんが、芝居は明らかに異質なんですよ。単なる上手・下手ではなく。初めて宮下さんを観た人はたぶん、そのクラッシャーぶりに驚いたと思います。

宮下 あれはまさに演出のヤシキさん(中屋敷法仁)に「壊してほしい」とは言われてましたからね。キレイな人らがいっぱいいる中でキタナイ話にというか、見たことない世界にしたいって。ヒロシ(矢崎)が実は抱えてる黒さと俺の持ってるぶち壊すエネルギーみたいなものが求められていたんだと思います。ヤシキさんは新しいオモチャ見つけたみたいに、僕にいろいろ演出してくれました。だから、あの作品ではアドリブもあんまりないんですけどね。

 

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なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年) 撮影/引地信彦

 

――今すごく客観的におっしゃいましたが、その「キレイな人ら」に自分は含まれていない?

宮下 もちろんもちろん。そっちじゃない自覚は、全然ありますね。

 

――今の質問は、宮下さんがアイドル出身というのを知っているのであえてお尋ねしましたし、今の反応にちょっと驚いてもいます。今回個人的に掲げているテーマは、「アイドルがいかに性格俳優になったのか」でもあって……。少しずつ、紐解かせてください。アイドルグループ“RUN&GUN“として15歳でデビューしていますが、もともとアイドル志望?

宮下 いえ、お笑い芸人になりたかったんです。大阪出身なんですけど、大阪って一番モテるのは面白いヤツなんですよ。ジャニーズの子らとかよりもよしもとの芸人さんがモテるぐらい。それで僕もモテたくて相方とコンビ組んで、よしもとのオーディションに応募したら、相方が落ちて僕だけ受かって。「あれ?」と思って応募用紙を見直したら、“アイドルオーディション”って書いてあったんです。それでグループを結成して、15歳から20歳くらいまではずっと、大阪と東京を行ったり来たりして活動してましたね。

 

――思わぬ方向へのシフトだったわけですが、アイドル活動は自分の中ではしっくりと?

宮下 いや、今だから言えますけど、ものすごく違和感がありましたね。もともと大阪の貧しい下町の生まれなので、カッコいいDNAがないんですよ(笑)。だから、どうカッコつけたらいいとかわかんないし。

 

――とはいえ10代の頃の写真やPVなどを見ると、当時のメンバー4人の中でもバランスがとれているし、アイドルとしてのポテンシャルがとても高い感じがします。地元で相当モテたんじゃないですか?

 

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キラキラのアイドル時代!

 

宮下 (笑)いや、それは全然ないです。ほんっとにないですね! 初めて彼女ができたのが16歳のときで、それこそデビューして1年後ぐらい。地元の学校のクラスメイトの子だったんですけど、1ヶ月で別れたんですよ。理由が「テレビで見てた感じとなんか違うかった」(笑)。中身が全くないってことで、めちゃくちゃヘコみましたけど(笑)。それに小学生のときはスーパーいじめられっ子でした。登校拒否にはならなかったんですけど、「具合悪い」ってずっと保健室にいたりして。だから、キラキラしたとこにいる違和感やズレがずっと消えなくて、「もうアイドル無理やな」と思ってこの世界を辞めようと思ったのが二十歳ぐらいのとき。その頃はスケジュールもらったら白紙、みたいな状態になっていたし、「人生失敗した!」としか考えてなかったですね。当時、カラオケボックスでバイトしていたんですけど、夜中に酔っ払いをおんぶしてるときに上からボトボトッてゲロかけられて。「東京来てゲロかけられてるよ。よくわかんねー」と思ったらもう、めっちゃ泣いて(笑)。

 

――ずっと鳴かず飛ばずだったのではなくて、RUN&GUNはデビュー当時のイベントに5000人の観客を集めたりもしたとか。栄光みたいなものをちょっと知っているからこそ、逆にキツいものがあったでしょうね。

宮下 10代の頃は単純な話、調子にノッたんですよね。天狗になったんです。電車とか乗ったらキャーキャー言われるし、プレゼントもいっぱいもらうし、握手会とかで握手したら失神する人とかもいたから。でもこれ絶対書いておいてほしいんですけど、調子ノッたら早いですからねー、仕事なくなるの(笑)。一瞬です、一瞬! 1ヵ月後にはもうない。で、調子にノッてるんでちょっとずつ減っていることに気づかないんです。いつの間にかレギュラー番組がなくなったりとか、取材をしていただけなくなったりとか。コンサートもお客さんがちょっとずつ減っていくのと同時に会場の規模を小さくしていくから、見た目はいっぱいだったりするし。そうして気づかないうちに、ゆくゆくは何もないっていう。そういう10代でしたね。

 

――それが、今も辞めずにいられているのは?

宮下 辞めようと思って親にも話していた頃、『エア・ギア』(2007年)という舞台に、俺ら4人に声が掛かって、ちょっと頑張ってみようかなって。やってみて、「あ、面白いかもしれない。これまでとはまた違うかもしれない」と思ったんです。『エア・ギア』がなかったら確実に辞めてました。あの作品でまたちょっとファンがついたし、その後のRUN&GUN stageにつながったし、僕は「遊☆戯☆王5D‘s」が決まって、声優もちょっとやり始めたり。いろんな“今”につながっていますね。

 

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ミュージカル『エア・ギア』シリーズでは、闇の演劇部の一員・パック役
(画像はパンフレットより)

 

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ミュージカル『エア・ギア』vs. BACCHUS Top Gear Remix(DVDジャケット/2010年)
(C)大暮維人・講談社/株式会社マーベラスエンターテイメント・ネルケプランニング

 

――そもそも、アイドルグループだったRUN&GUNが芝居を始めたきっかけは?

宮下 初めて本格的にやったのは、俺らが1ヶ月に1回舞台に立って、元惑星ピスタチオの腹筋善之介さんのパワーマイムを1年間通してやるっていう企画(「RUN&GUN-再編- theater odyssey 05-06 ~大人のエンターテイメント~」/2005~06年)で。ニワトリの役をやらされたりして、いろんなことを覚えました。そこで僕はもう、腹筋さんの芝居が全てだって勘違いしたんですよ。当時、「仮面ライダー」のオーディションに行ったりもしたんですけど、周りはみんなカッコいい芝居してるのに、僕一人だけなんかパワーマイムし始めて。そんなん絶対受かるわけないじゃないですか(笑)。でも腹筋さんが教えてくれたこと、例えば発声とかお客さんへの見せ方とかは、お芝居の入口としてはものすごく勉強になったし、今となっては面白く感じられて取り入れるようになりましたね。今まで一緒にやらせていただいたいろんな演出家さんのいろんなパーツを組み合わせて、今の自分ができている感じ。だからやってきた経験ってムダじゃなかったなぁ、あのとき辞めなくてよかったなぁっていうのは、最近になってよく思いますね。

 

――お芝居することに対して、すぐ楽しいと思えました?

宮下 最初はあんまり好きじゃなかったんですよ。わかんないしできないし、やったらなんか怒られるし。なんで面白いと思い始めたのかな……あ、RUN&GUN stageの第二回が、カムカムミニキーナの松村(武)さん脚本・演出の芝居(「YooSoRo!~日本を変えたヤツらを変えたヤツら~」/2008年)で。そこで松村さんの演出に全然応えられなくて、僕もうほんっとにコテンパンにされて。稽古が僕のダメ出しで終わったりとか、役者は普通休みになる仕込みの日も僕の稽古になったりとか。ほんとに稽古に行きたくなくて、電車停まって稽古が急に休みになんねーかな、とかずっと考えてました(笑)。本番通じても別に褒められもしないし何かあったわけではないんですけど、あの作品からですね、ちょっと本格的に役者で頑張ってみようかなって思い始めたのは。

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――そのとき以来、そこまで演出家にコテンパンにされた経験は?

宮下 あれが最後です。でも今またもう1回、松村さんとやりたいとか思いますね。

 

――演出家の指示には従順なタイプですか?

宮下 もちろんです。演出あってのことですから。できるだけというか、100%従いたいですよね。でもその中で1個プラスアルファ、俺の味というのを加えて見てもらう。「それはナシ」ってなったら「わかりました」という感じで。

 

――役作りについてですが、現場に来る前にじっくり固めてくるタイプ? それとも現場で瞬発的にやるタイプ?

宮下 あー恥ずかしい話、家で台本1回も開かないんです。稽古場まで1度も。特に家では絶対に開かないですね。その分、稽古場にちょっと早く行ってやるんですけど。家には仕事を持ち込まない、みたいなことにしたいです。……て、カッコいい風に言っているけど、基本ダメですよね(笑)。でもやっぱり、稽古場でやりながら作りたいっていうのがバックボーンとしてあって。稽古場では別に失敗してもいいやと思うから、いろいろ試したいし。映像だとそんなに時間がないので、事前に台本開きますけど。それでも家じゃなくて、やっぱり喫茶店とか行きますね。

 

――だいぶ戻る話になりますが、先ほどいじめられっ子だったとおっしゃってましたが、人前に出ることへの恐怖心とかはなかったんですか?

宮下 それが、意外に大丈夫だったんですよね(笑)。なんでだろな? 目立ちたいって気持ちもあったし……あ、でもあれですね、自分が嫌いだからでしょうね。今も宮下雄也という自分自身があまり好きじゃない。例えばオフのときの俺とか、ほんっとイヤ。たまに街歩いててふとウィンドウ見ると「うわ、なんやコイツ! ……あ、俺か」って思うことがあるんです(笑)。こんなヤツと絶対仲良くならないし、逆の立場だったら、こんなヤツのインタビューしたいなんて絶対思いませんよ?(笑) やっぱりなんかコンプレックスがあって、自分に自信がないんですよね。だけど、役を演じて舞台に立っているときは、自分のことがめちゃめちゃ好きなんです。なんとなく他人に思えるし、一番好きな状態の自分が出せるから。稽古ではほかの人の芝居観ながら「上手いなぁ」とか「この人すげえな」って思うんですけど、舞台に立ったら俺が一番になってやろうって気持ちがなんかあるし。

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――“性格俳優”を作り上げている要素が少しずつ見えてきたような。

宮下 影響が大きいのは、やっぱりこれまで出会ってきた人ですね。そしてもともとの自分の性格もある。すごいイヤなヤツの部分も持ってますし。イヤなことされたら絶対忘れない! 根に持ちます(笑)。あと、女の子っぽいところもあるのかもしれないですね。恋が好きなんですよ(笑)。東京出てきて初めて付き合った彼女に惚れすぎて、「一生この子と一緒にいる!」と思ったんですけど、1年でフラれて。ちゃんと話し合おうと思ってその子が住んでた最寄りの駅まで行ったんですけど、結局来てくれなくて。終電の中で窓の外の街並み見てたら、それまでのその子とのいろんなことが思い出されて、つり革持ちながらポロポロ泣けてきたんです。ほんとにクソガキみたいに嗚咽してたら、前に座ってた2人の男女が「大丈夫?」ってハンカチくれたりして。「実はぁ、好きだった彼女にフラれましてぇ」って話してたら、その方たちも渋谷で一緒に降りてくれて、駅前の喫茶店で話を聞いてくれたっていう。

 

――ええ!? 大都会の喧騒に潜むちょっといい話(笑)。

宮下 たぶん異様に泣いてたから無視できなかったんでしょうね。東京で感じたあったかい瞬間でした(笑)。そういう経験が、芝居で出てくるんですよ。例えば根本宗子さんの芝居で未練がましい男が出てくると、「あのときの気持ちだ」って。覚えてますから、それをスッと出したりとか。「殺意の衝動」(2015年)のときは、いじめられてたときの「アイツ、こらしめてやりたい」って気持ちを思い出したり。良いことも悪いことも覚えているから、台本読んでて「昔のあれと似てるな」ってことがよくあります。だから逆に、自分の中に全くないものをやるのはちょっと難しいかもしれないですね。
あと漫画、映画、アニメなんかが大好きなんで、そこから芝居のヒントを得ることも多いです。例えば『エア・ギア』のパックのときは、ゲームの「ファイナル・ファンタジーⅥ」に出てくるケフカっていう道化のイメージで稽古場でやってみたら、演出家も気に入ってくれました。でもそういう映画やアニメを芝居の勉強のために観ることはないんですよね。子供のときから、単純にずーっと好きだから、ただ娯楽として観ている感覚。今しゃべってて思ったんですけど、基本、勉強が嫌いなんでしょうね。家で台本開かないのも、そうすると勉強っぽくなるからイヤなのかもしれないです。稽古場行ったらやるしかないから、パッと開く。そういうとこ、子供なんだろうな。

 

――では先々の出演作の話も少しずつ。最新作は現在上演中の「舞台 増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」ですが……いやぁ、なかなか振り切れたビジュアルですね(笑)。


「舞台 増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」(21日まで博品館劇場で上演中)での普通田父之介

 

宮下 いーすよね、あれ。LINEで「わかりました」のスタンプ代わりにあの写真使ってます(笑)。あのお父さんは、会社を辞めてヨガ教室を開いたヨガインストラクター。どういう舞台なのか、これ言葉ではなかなか説明できないですね。ただ原作者の増田先生も監修に入ってますし、全部の話が一応つながるようにはなってて、一本のコメディとして見やすい形になっています。原作を知らなくても面白いと思いますよ。設定なんかはシュールではあるけど、ちょっとマンガっぽいキャラが出てくるような普通のコメディとして観ていただいて、全然大丈夫です。

 

――アイドルから出発した宮下さんが15年経ってこのお父さんにたどり着いたというのが独自路線で素敵だし、なんか痛快でいいですよね。

宮下 いいですよねぇ。でもバリバリ調子にノッてたデビュー当時、神様が急に現れて「15年後のお前を見せてやろう」ってこれ見せられたら、絶望で死ぬかもな(笑)。

 

――(笑)。その次は10月、11月の2ヶ月連続で月刊「根本宗子」に出演。宮下さんは以前から、オススメの劇作家、演出家として根本さんの名前をよく挙げていましたよね。

宮下 根本さんの作品、好きですね。毎回面白いです。特に男女の黒い部分とかもつれ、恋愛のほんとめんどくさい部分を書くのがものすごく上手いですね。5分ぐらい無音のシーンとかあって、超リアル。観てて、ものすごい“あるある”なんですよね。だから客席で観ていても、いつの間にか前のめりになってる、みたいな。この前観に行ったときは、気づいたら手汗びっしょりでした。それでいてちょいちょい面白いセリフがあって笑えるし、ホロッと来るところもあるし、全てのバランスがいい。(根本は)まだ24歳で若いのに、大したもんだなぁと思います。

 

――さらに11月「逆転裁判2~さらば、逆転~」(大阪公演のみ出演)、12月「夜の姉妹」、来年2月「ハンサム落語 第七幕」と、情報がオープンになっている作品だけでもこれだけあります!

宮下 まさか「逆裁」が来るとは(笑)。こういうのやりたかったなっていう面白い役どころなんで楽しみです。「夜の姉妹」もわかぎゑふさんに演出してもらえるのが楽しみ。わかぎさんが一緒に劇団をやっていた中島らもさんと僕、地元が一緒なんですよね。大阪の玉造ってところなんですけど、生前のらもさんがゆっくり歩きすぎて信号渡りきれなくて戻ったとか(笑)、そんな姿をよく見てましたから。なんか、親しみがあります。

 

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「ハンサム落語」シリーズにはほぼ全作出演中の常連
(第六幕ゲネプロより) 撮影/鏡田伸幸

 

――さらに、自分が企画するイベントも月1回以上行っています。

宮下 そういうイベントをやり始めて3年ぐらい経ちます。自分で何か考えるのが好きだし、きっとものすごく凝り性なんですよね。ただ矛盾してるんですけど、めちゃくちゃめんどくさいんですよ。この前、宮崎駿さんのドキュメンタリー番組観てたら「ポニョ」か何かの絵を「あー、めんどくせえ。あと何枚?」とか言いながら描いてたけど(笑)、いいものを作っているときって楽しい瞬間は本番しかないと思うんですよね。最後のカーテンコールで拍手をいただいたり、アンケートでうれしい言葉をいただいて初めて「楽しいな!」と思えるので、そこに向けてやっています。今ほんと、好きなことやらせてもらっているのでありがたい。新宿のロフトプラスワンで月に1回オールナイトイベントをやっているですけど、20年以上のあそこの歴史の中で、毎月レギュラーイベントをやる役者って僕が初めてなんですって。確かにそんなことやってる役者、そうはいないよなって(笑)。

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――芝居の演出もやってみたい?

宮下 興味ありますね。でもやっぱり、まだ演者でいたいですね。演技がもっとしたいし、出てみたい集団もまだまだあるし。演出っていうのは、役者としてちゃんと結果残してからの夢ですかね。

 

――なりたかったお笑い芸人ではなく、芸能界の入口だったアイドルでもなく、今現在“俳優”をやっていることについてはどう感じますか?

宮下 良かったですね。何もかも計算どおりに行っていないところが、きっといいんでしょうけど。いろんなところを寄り道して寄り道して、ほんっとに言葉どおり紆余曲折があって今っていうのが。真っ直ぐな1本の道だったら役者から始めた方が早かったかもしれないけど、曲がりくねったところで見た景色とか得た経験、いろんなものが今出せているなって思います。本来の自分と求められるもののズレもなんとなく少なくなって、より僕らしさが求められることが増えたし、やっと今が楽しいって感じですね。

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
僕がほんとにカッコいいなと思うのはやっぱり内部イケメンで、見た目はそうでもなくてもカーテンコールでの姿がすごくカッコよく見えるような人。僕は世間からするとイケメンという認識は薄いでしょうし、そう見てほしいとも思ってないですけど(笑)、それで言うと、今やっとなんか自分が思うイケメンに近づいてきた気がします。好きなことやってるって心から言えるし、「俺は役者だ!」って胸張って言える。「あ、俺イケメンになってきたな」っていうのは思いますね。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
事務所の先輩でもある宮川大輔さん。お芝居も上手いですしね。昔、舞台でご一緒して、礼儀とか言葉遣いとか、言いにくいであろうことをいっぱい教えてもらったんです。その厳しさ、優しさに惚れました。よしもとやなというか、この会社で良かったと思う瞬間でもありましたね。
尊敬する同世代の役者っていうと、どう考えても平野良しかいない。同じ作品が続いていて、ここ半年以上ずっと一緒でした。まず芝居が上手いですし、役者としての考え方とかもすごく好き。この前、酔っ払った勢いで「40歳ぐらいになっても一緒に芝居やっていたいな」みたいな話をしたんですけど、そんなことを本気で思ってしまうようなヤツはあまりいないですね。

Q.「いい俳優」とは?
芝居が上手いというより、人間味や人としてのなんらかのエネルギーがにじみ出ている俳優。
生き方や生き様を舞台上でパッと発揮できる人は、初めてだろうがベテランだろうが、無条件にいい俳優だなと思います。

 

 マネージャーから見た「宮下雄也」

破天荒で熱いキャラですけど、繊細な部分もかなりあって、そこを自分の意思で克服して行動力を生み出しているみたいな感じですね、きっと。コネクションを自ら広げて、その関係性で仕事の幅が広がってきています。受身の俳優が多いであろう中、俳優としての枠にとらわれず、やりたいことを自分で獲得していけてるのかなと。デビュー当時から知っていますが、昔はまだこんなに個性が出ていなくて、若い男の子の一人という感じでしたし、本来そこまで社交的なヤツでもなかったと思います。それがマネージャーになって久々に会ったら、ああいう風な感じに育っていたという印象。うちは俳優事務所ではないので、わりと芸人と同じような育て方をしていたりします。自分から発信しないと誰も引き上げてくれないですし、いろんな演出家さんや先輩たちとの付き合いの中で、自分の個性ややりたいことがだんだんと出せるようになってきたんじゃないでしょうか。
現状なりつつあるとは思うんですが、“面白い”俳優に育っていってくれたらなと。演技が面白いとかトークが面白いというだけじゃなくて、存在自体が面白い役者として、役者で一生食べていくことができる俳優になれるようサポートしていければと思います。


(株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 高畑正和マネージャー)


Profile

宮下雄也 みやした・ゆうや
1985年9月3日生まれ、大阪府出身。A型。ダンスユニット・D.A.N.Kのメンバーとして2000年より活動。2001年、オーディション番組にて、上山竜治(当時・竜司)、米原幸佑、永田彬とともにRUN&GUNを結成(14年に上山が卒業し、現在は3人組)。同年7月、シングル「LAY-UP!!」でCDデビュー。20歳くらいから俳優活動も開始し、現在は舞台を中心に活躍中。自らプロデュースしているトークイベント「今月の宮下雄也」を毎月、ロフトプラスワンで開催している。ニコニコチャンネルのスマボch(http://ch.nicovideo.jp/sumabo)にて、滝口幸広・宮下雄也or米原幸佑の「花の!85年組!~30歳になったイケメンたち~」に出演中

【代表作】舞台/マーリープロジェクト「golem、胎児、形なきもの」(2015年)、「殺意の衝動」(2015年)、ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」(2015年)、朗読劇「僕とあいつの関ヶ原」(2014、2015年)、なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年)、ブルドッキングヘッドロック「少し静かに」(2013年)、「ハンサム落語」シリーズ(2013~2015年)、「ライチ☆光クラブ」(2012年、2013年)、月刊「根本宗子」「恋に生きる人」(2012年)、舞台「戦国BASARA」シリーズ(2011~2014年)、RUN&GUN HORROR SHOW「バッカスの宴」(2011年)、RUN&GUN stage「僕等のチカラで世界があと何回救えたか」(2010年)、音楽舞闘会「黒執事~その執事、友好~」(2009年)、ミュージカル「冒険者たち」(2009年、2010年)、RUN&GUN stage「YooSoRo!~日本を変えたヤツらを変えたヤツら~」(2008年)、ブロードウェイミュージカル「PIPPIN」(2008年)、RUN&GUN stage「ブルーシーツ」(2008年)、ミュージカル「エア・ギア」シリーズ(2007~2010年)
アニメ/「遊☆戯☆王5D`s」(2008~2011年)主人公・不動遊星役
映画/「電人ザボーガー」(2011年)、「犬の首輪とコロッケと」(2011年)、「天使がくれたもの」(2007年)
【HP】http://www.runandgun.jp/miyashita/
【Twitter】@HonjoJrHigh

+++ 今後の出演作品 +++
x000000_nophoto_120「舞台 増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」
公演期間:上演中~9月21日(月・祝)
会場:東京・博品館劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://butai-gagmanga.com/
※9月19日(土)、全国19ヶ所の映画館でライブビューイングを開催

 

 

 

「今月の宮下雄也 vol.7」
公演期間:10月9日(金) ※オールナイトイベント
会場:東京・ロフトプラスワン
>>参照サイト http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/

 

teaser07月刊「根本宗子」再び第7号「今、出来る、精一杯。」
公演期間:10月23日(金)~10月30日(金)
会場:東京・テアトルBONBON
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト http://ameblo.jp/buroguha-nikkande/

 

 

 

 

teaser07月刊「根本宗子」第11号「超、今、出来る、精一杯。」
公演期間:11月1日(日)~11月8日(日)
会場:東京・テアトルBONBON
>>チケット情報はこちら
>>参照サイト http://ameblo.jp/buroguha-nikkande/

 

 

 

 

データ3_30276舞台「逆転裁判2~さらば、逆転~」再演
公演期間:11月21日(土)~11月23日(月・祝)
会場:大阪・ABCホール
全国公演スケジュール:10月31日(土)~11月8日(日) 東京・俳優座劇場
(宮下雄也の出演は大阪公演のみ)
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://www.gyakutensaiban-stage.com/

 

データ4「夜の姉妹」
公演期間:12月11日(金)~12月20日(日)
会場:東京・品川プリンスホテル Club eX
全国公演スケジュール:12月23日(水・祝)~12月27日(日) 大阪・近鉄アート館
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>>公式サイト http://www.nelke.co.jp/stage/yorushii/

 
データ5「ハンサム落語 第七幕」
公演期間:2016年2月5日(金)~2月14日(日)
会場:東京・赤坂REDシアター
全国公演スケジュール:2016年2月19日(金)~2月21日(日) 大阪・テイジンホール、2016年2月24日~2月28日(日) 東京・CBGKシブゲキ!!(東京凱旋公演)
>>公式サイト http://www.clie.asia/hr7/

デキメン列伝【第10回】 内藤大希

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  “デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第10回】内藤大希 TAIKI NAITOU
内藤大希

「俺ってなんだろう?」って日々もがきながらも、

変わりたい自分がどこかにいます


Writer’s view

“実力”をものさしにセレクトしている当企画では、若くてもキャリアのある人たちの登場が多かったのですが、今回の内藤大希さんも子役出身。技術を得るために必死に努力を重ねる時期をある程度越えたといえる彼らには、そこから先の悩みが生じるようで、このインタビューも途中からカウンセリングにシフト!? 舞台上の輝きのベースにあるもの――ネガティブな部分も正直に語ってくれました。出演中の『パッション』での、あの“ミュージカル・プリンス”との出会いも興味深いです。

取材・文/武田吏都

 

――内藤さんはアルゴミュージカルで、11歳のときに初舞台。ミュージカルやショー的な舞台での印象が強いのですが、ご本人もやはりそういう志向ですか?

内藤 わからないんですよ。

 

――おっと、のっけから(笑)。

内藤 今、『パッション』をやりながら思っているんですけど、ミュージカルって難しいですね。すごくクオリティやレベルの高いものだなというのを改めて実感したというか。この作品の曲って、拍手するタイミングもないし、歌としてキャッチーに残る部分ってお客さんはたぶん全くないと思うんですよ。そういう(スティーブン・)ソンドハイムのあの複雑でデタラメのような(笑)メロディを、主演の(井上)芳雄さんはじめ皆さんがセリフのように表現していて。

 

なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年) 撮影/引地信彦
ミュージカル「パッション」(2015年、上演中)
ジョルジオ役の井上芳雄

 

――補足しますと、『パッション』の楽曲を作ったスティーブン・ソンドハイム(他に『スウィーニー・トッド』『イントゥ・ザ・ウッズ』など)は一般的に、難解なメロディラインで知られている人ですね。キャラクターの複雑な心の動きに沿った音楽というのか。

内藤 それを芳雄さんたちは、歌だけど歌と思わせない。それってすごいことだなと思って。ほんとに感情の流れで、それがたまたまメロディになっていて、「あ、これがミュージカルなんだ!」と思ったんです。いわゆる若手のイケメン・ミュージカルっていうのは楽曲がひとつずつキャッチーに作られていて、それが物語の中にはめ込まれているという感じですよね。歌いながらエンターテインメントになっているっていう部分が多いと思うんですけど、そういうものとはまず構造自体が違うっていうところで、すごく勉強になったというか。演出の宮田(慶子)さんも同じ新国立劇場の、僕の本格的な初ストレート・プレイだった『わが町』(2011年)でお世話になっていて、大好きなんです。『わが町』のときも台本の読み方とかをよく楽屋に聞きに行ったりして。宮田さんと出会って、何が次のセリフのフックになってるのかとか、舞台上における自分の役割は何なのかとか、そもそも今舞台上で行われていることが何なのかとか、いろいろ考えるようになりました。

 

――少し戻って、俳優・内藤大希さんの始まりから聞かせてください。子供のときから歌ったり踊ったりすることが好きで、この世界に飛び込んだ?

内藤 いや、親の勧めで。自分がやりたいと思って始めたわけじゃないんですよ。

 

interview_1957_01

――えーと、Wikipediaでは“『レ・ミゼラブル』を観て役者を志す”という記述がありましたが……。

内藤  『レミゼ』はアルゴの中で流行ってたんです。当時、アルゴの先輩にいっくん(山崎育三郎)がいたんですけど、いっくんの弟が僕と同い年だったっていうのもあって、よく家に遊びに行ったり泊まったりしてたんですよね。野球したり、一緒にお風呂に入って背中流したり(笑)。その中で『レミゼ』が遊び道具だったというか。CDをひたすらリピートして流して、一人で『対決』(ジャン・バルジャンとジャベールの掛け合いのナンバー)を歌ってみたりっていう“レミゼごっこ”。それはもうアルゴをやっていたときだったので、きっかけではないです。Wikipedia嘘ばっかり(笑)。演劇を休んでいてまた始めた19歳のときも、指定校推薦で入った大学で、友達とクラブで「イェーイ!」って遊び回るのが楽しかった時期で。1年生の前期の単位が2しか取れていないから、もう留年決定なんですよ(笑)。だったら大学辞めてもう1回舞台やるわっていう、なんか大学を辞めるための理由付けみたいな感じだったし。だから思い返すと、今まで本当に自分からやりたいと思ったときがないんですよ。こんなこと、マネージャーを前にして言うことじゃないけど(苦笑)。今でこそ、この人にお芝居を観てもらいたいと思う演出家が何人かいて、その人の演出作品に出たいっていう気持ちがあったりするんですけど、それを目標にすることで、自分の気持ちを落ち着かせている部分があるというか……。

 

――例えば、アルゴミュージカルで一緒だった清水彩花さんや西川大貴さんがその『レミゼ』の舞台に立っていたりしますが、「ああいう舞台に自分も!」というのは目標にならない?

内藤 ああいう作品に出ている自分が想像できないというか。「『レミゼ』って遊ぶものじゃないの?」って思っちゃうんですよね。オーディションで楽譜を見たときも、「あ、これって楽譜どおりに歌わなきゃいけないもんなんだ。でも俺には小6からそれで歌ってきた自分の音形があるし!」って感じで。だから「リズムが違う」って言われても「いや、わかんないです」、「わかんないじゃないんだよ!」って怒られたり(笑)。僕の中で遊び道具だったから、仕事として向き合う感じがしないというか。

 

――意外です。正当派のミュージカルにどっぷり浸かってきた方なのかと勝手に思っていました。

内藤 全然。むしろミュージカルよりも、観るんだったらストレートプレイの方が観たいなって思うタイプです。だから芳雄さんのストレートプレイ『負傷者16人』は観たことあったんですけど、ミュージカルではほぼ観たことがなくて、「え、芳雄さん歌上手ッ!」って最初思いました。失礼な話なんですけど(笑)。

 

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――ブロードウェイとか本場のミュージカルを観に行ったことは?

内藤 ブロードウェイに1回だけ。行きのタクシーの運転が乱暴すぎて、劇場着いたら気持ち悪くなっちゃって、『アダムス・ファミリー』を一幕で帰るっていう。オープニングの♪デレレレ、パンパン!(手を叩く)っていうのだけやった記憶はあるんですけど(笑)、中身を全然覚えてなくて。「せっかくのブロードウェイがぁ……」と思いながら。

 

――なぜ今の質問をしたかというと、『恋するブロードウェイ♪』(2011~15年)での内藤さんの働きがすごく印象に残っているんです。特に、vol.3での内藤さんのソロ『ミスター・セロファン』(from『シカゴ』)と『スーパースター』(from『ジーザス・クライスト=スーパースター』)が見事だったなと思って。ただ技術的に上手いというのではなく、表現が軽やかで、ああいう外国のミュージカルの感性みたいなものが血に混ざっているような感じがしたというか。

内藤 いや、どっちも原作のミュージカルや映画を観たこともなかったですね。

 

――そうでしたか(笑)。でも『ミスター・セロファン』なんて、もともとの『シカゴ』ではサエない中年男性が歌う曲じゃないですか。キャラクターは全然違うのに、すごく表現力があるなと。

内藤 どういうキャラクターが歌う曲かっていうのも知らなかったです。「自分は透明だ」っていう歌詞の意味もわからなくて、演出のスズカツ(鈴木勝秀)さんにいろいろ教えてもらいました。知らないからこそというか、自分の解釈に変換するのが好きで。「自分だったら」とか、「いや、僕はこういうイメージなんですけど」っていうのを伝えたりもしますね。あの曲のときも自分から提案して、稽古場からちょっと照明を暗くしてやってみたりとか。

 


「恋するブロードウェイ♪」vol.3  撮影/羽田哲也

 

――そういうスタンスは昔からですか?

内藤 いや、僕『冒険者たち』(2009、10年)っていうミュージカルのとき、川本成さんとか周りの共演者が台本を読んでいるときに「気持ち悪い」って言う感覚がよくわからなくて。「この役なのになんでこの位置にいないんだろう」とか、「なんでここで歌うんだろう、今俺はこういう気持ちだから歌えないんだけど」っていう“気持ち悪い”なんですけど。僕は小学生からやってきているから、やっぱりコマっていうか、自分の感情云々より、演出家の指示のもとでの“ここでこのセリフを言う、言う、言う”の連続で舞台は成り立っていると思っていたんですよね。

 

――演出家のジャッジが第一で、“教える、教えられる”の先生、生徒の関係というか。

内藤 そうですね。役のバックボーンを自分で作ってみんなの前で発表したり、そういう演劇的な基礎は子役のときもやっていたんですけど、台本を読んで自分の感情がこううねって、とかいうことを考えたことがなかった。ここに書いてあることはこうならなきゃいけない、無理やりにでもそれをどう持って行くかってことに重きを置いていたし、そういうものだと思っていて。だからさっきの“気持ち悪い”も「え、歌わないって選択肢あるの!?」っていうか、それを演出家に尋ねるっていうのが僕の中ですごいことで、「そういうもんなんだ、本来は」って、そのオトナの演劇の人たちを見ていて思いました。そのとき、今まで俺ってなんか窮屈なところにいて、舞台自体が楽しいと思ったことってそんなになかったなって感じたし、同時に、「じゃあ、なんでもできるじゃん!」って。

 


ミュージカル「冒険者たち」初演(2009年)

 

――『冒険者たち』の本番では、その感覚はどう生かせたんですか?

内藤 自分の感情がいろいろ揺れ動くっていうのを感じられました。それまでは決められたトーンで、自分の中の決まっているものを出していくっていう、言ってみれば半分ロボットみたいなイメージで、それに対する葛藤も全くなかったんですけど、そうじゃなくてもいいんだって。相手から受けた感情をもらって出すということをやれて、そのことに気づけたというのがありましたね。それから、「あ、お芝居って楽しい」って。でも、それに気づいたことで混乱してくるときもある。なんでもできると思いながら、やっぱり役という制約の中にあって、結局「あれ? 日常ではできるのに、なんで舞台上だとこんなに不自由な人間になっちゃうんだろう……」って思ったり。そういうところも、芳雄さんはすごいんですよ。お芝居って次の行動がわかっていることだからある程度、予定調和になるはずのところを、次の行動を全く考えないでフラットに舞台上にいる、ように見える芳雄さんを見て、「すげえな、こうなりたいな」って。アルゴで一緒にやっていた(大山)真志に、「井上芳雄はすごいよ! 『パッション』観た方がいい」とか言ってたりするんですけど(笑)。

 

――大山さんにも第7回でご登場いただきました。彼と共演したミュージカル『オオカミ王ロボ~シートン動物記より~』(2011、13年)でのハツラツとした演技も印象に残っています。いろんな気づきのあった『冒険者たち』や『わが町』も影響していたのでしょうか?

内藤 そうですね。吹っ切って楽しいし、いろんなことをやりたいと思う時期で。僕はレッドラフっていうライチョウの役だったんですけど、演出家的には感情をそんなに出さないでっていうシーンも、「いや、でも動物だってきっとこうで!」とか、意味不明な熱い魂を持っていたときです(笑)。年下の龍ちゃん(小野田龍之介)に「ちょっとタイキくん、うるさいよ?」ってなだめられたり(笑)。僕は演出家と話すときに言葉が足りなくなってくるので、そういうときに龍ちゃんが補って言ってくれたりするんですよね。ま、彼の方が大人ってことなんですけど(笑)。

 


ミュージカル「新オオカミ王ロボ~シートン動物記より~」(2013年)

 

――11歳からというと15年以上のキャリアがありますが、大きな挫折は今までありました?

内藤 ない、かな。有頂天になることもなければ、挫折もないという感じで。でもだからこそ「俺ってなんだろう?」っていうか、このまま舞台を続けていいのかってことで日々もがいているんですけど。この仕事が嫌いなわけではないけど、すぐ辞めたくなっちゃうんですよ。さっきも言ったように、自分がほんとにやりたいと思ったときがないっていうのがあるから、「これって自分がやりたいことなのかな?」っていう単純な疑問。それこそ小さいときからの杵柄でやってきて、周りにも昔から一緒にやってきた仲間がいるから同じ流れでなんとなく居ちゃってて。そしてありがたいことになまじ仕事がある分、実際に辞めることはないし、結局バイト以外にはこれしかやってきたことがないから、社会において何かできるかっていったら、新たに何かを始める自信もないみたいなところで……これ何の悩み相談ですかね??

 

――聞きますよ、この際(笑)。年齢的なところもあるでしょうし、俳優に限らない悩みという感じがします。

内藤 そうなんですよ。いろんなことを考えちゃうんですよ、27歳! 俺、カラオケだとすごい歌上手いと思ってて、カラオケだったらたぶん芳雄さんにも負けないんですけど(笑)、ミュージカルの舞台で通用するかと言えばまだまだだなと思うし、ダンスもヒップホップとかなら楽しく踊れるけど、ジャズダンスチックな魅せるものはもっと技術が必要だなと思うから、できれば踊りたくないですって思ってしまう。そんな風にミュージカルでの技術は中途半端だから、「俺はお芝居(=演技)がやりたいんだ!」って気持ちにならないと演劇をやってられない時期がありましたね。

 

――でも歌、ダンス含めてやっぱり基礎がしっかりしているので、ある程度はササッと出来ちゃう人ですよね? 少なくともそう見えていますが。

内藤 うん、たぶん。とか言って(笑)。クオリティを求められれば苦労するとは思うんですけど、「じゃあ、やって」と言われたことに対する適応能力はたぶん、ある方かなと思います。空気の読み感とか、「あ、こういうことを求めてるのかな」っていう察知能力っていうのは、なんかあるような気もしますけど。

 

――かつ、若くて見栄えもするという意味では、表現が良くないかもしれませんが、内藤さんはすごく使い勝手がいい俳優さんという感じがしますね。

内藤 そうなんですよ。 “使い勝手がいい”ってまさにそうだと思う! 『パッション』で今やっているアウジェンティという兵士も、わりとそういう役割にいると思います。さっきから話に出ている芳雄さんとも、お芝居では絡みがなくて。手紙を渡すのと、僕が芳雄さんにコートを掛けるシーンはあるんですけど。コートのシーンはマジで超緊張して、他の人でめちゃくちゃ練習しました。芳雄さんではできないから、同じくらいの背格好の子をつかまえて、「もっとこういう方がいいのかな?」って何回も。で、俺、そういうアンサンブルをやっていても、特に何も感じないんですよね。それはそれで楽しいっていうか。

 


ミュージカル「パッション」(2015年、上演中)

 

――主役や大役への欲がないということ?

内藤 ただどんな役でも、年齢的なことはともかく、この役は俺やれないなって思ったこともあまりないんですよ。ま、さすがに『パッション』のジョルジオはできないなと思うんですけど。

 

――うーん、完全に自信がないわけでも、欲がないわけでもなさそうですね。

内藤  「このお芝居になんで俺出られてないんだろう」とか、「この人に出会いたいのに!」っていう嫉妬で眠れないときもあったりします。……て、だいたい寝ちゃいますけど。ま、いっかって(笑)。

 

interview_2003_01

――最初にちょっと言っていた、出てみたい演出家というのはどなたですか?

内藤 小川絵梨子さん。ここ最近でずっと1位です。小川さん演出の舞台はすごく出たいっていう思いのもと、よく観に行きます。『エクウス(馬)』という作品がすごく好きでやりたいので、浅利慶太さんの演出も受けてみたいし、『スリル・ミー』の栗山(民也)さんも。あとはやっぱり蜷川(幸雄)さん。僕、さいたまネクスト・シアター(=蜷川が率いる若手俳優集団)のオーディションを受けて、一応入ったんですけど、作品を上演するまでのワークショップの期間に他の仕事の都合で全然出席できなかったりして、結局自分から辞めたんです。演出を受けることなく、ただ蜷川さんと仲良くなっただけっていう(苦笑)。今も稽古場にお邪魔させてもらって蜷川さんの隣で稽古を見せていただいたりもするし、電話するたびに蜷川さんに「オイ内藤、売れてんのか?」って聞かれます(笑)。だから出てないのに出た気持ちは人一倍するんですけど(笑)、「このまま蜷川さんの舞台に出れないまんまだったらどうしよう!」って夜眠れないときもあります。知り合ったのに出れないって、それは悔しいと思いながら。ただ、昔からの知り合いの役者さんが蜷川さんの舞台に出たのを観に行ったら、全然素敵じゃなかったってことがあって。なんで蜷川さんの舞台に出たいかっていったら、出たら何かが変わると思っていた自分がいたんですよね。でも「あ、これ変わんないパターンもある?」と思って、蜷川さんともちょっとそんな話をしたんですけど、それからは出ればいいってわけじゃないんだなってことに気づいたし、闇雲に出たいと思うことはなくなったんですけど。でもやっぱりなんか、変わりたい自分がどこかにいたりはするんですよね。

 

――蜷川さんレベルの大物にも物怖じせず、グイグイ行動できるっていうのは長所ですね。

内藤 オーディションのときはさすがに「世界のニナガワがいるぜ!」と思ったんですけど(笑)、会っていくうちに「あれ? 別に怖くもない、普通のおじさんじゃないか?」と思い始めて。宮田さんもお母さんのような感じがするし。あ、芳雄さんとは最初話せなかったんですけど、ちょっと話してみたら、親戚のお兄ちゃんかなってくらいフランクでした(笑)。確かに、年上の方とか年配の方をあまり怖いとか思ったことないっていうのはありますね。

 

――内藤さんには親しみやすさがありますし、懐にシュッと入っていくのも上手い感じ。

内藤 でもそれが仕事につながらないんですよー!(笑)

 

――さて、いろんな悩みのある中で、この先の“俳優・内藤大希”はどう進んでいきましょうか?

内藤 これも芳雄さんを見ていて思ったんですけど、ミュージカルでもストレートプレイでもなんでも結果的に、やっぱりお芝居ができればいいんだって。歌だって表現という意味では“芝居”だから、そこなんだなと思いました。宮田さんも、「芝居が大事だってことに早く気づいたのは芳雄にとってすごく良かったよね」って。芳雄さんは発信するというよりも“受ける”ことができる。常にフラットで。僕が芳雄さんのそういうところにひたすら感心してたら、宮田さんが「いや、タイキは1個ずつでいいんだよ」って、もはやお母さんのようで(笑)。でもほんとに芳雄さんを見ていると、すごく勉強になりますね。

 

――個人的には先ほど言った『ミスター・セロファン』みたいな曲における細やかな表現力も高く買っているのですけど、内藤さんにとって歌は武器ではない?

内藤 みんなでカラオケ行くときの武器? って、怒られますね(笑)。歌うことは好きなんですよ。でも舞台では自分が上手いとは思ったことなくて、ちっちゃな自分の空間でなら発揮できるっていう内弁慶なところが、カラオケ好きなところにモロに反映されちゃっているんですけど(笑)。あ、ちょっとそういう意味で言えば、ブロードウェイの『レミゼ』とか『ミス・サイゴン』みたいな大作に出たいとはあまり思わないけど、『ラスト5イヤーズ』とか『チック,チック…ブーン』とか、オフ・ブロードウェイのむしろちっちゃい規模のミュージカルにはすごく出たいです。ああいうのが好き。だから8月に出た2人ミュージカルの『BEFORE AFTER』は自分的にすごくツボでした。規模も曲の感じもああいうのが好きだし、自分には合っていると思いますね。

 


ミュージカル座「BEFORE AFTER」(2015年)

 

――前向きな話題で終われてよかったです(笑)。

内藤 逆に悩み相談みたいな感じになってスミマセン。なんかちょっとスッキリしました(笑)。

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
舞台の世界においては、やっぱり『テニスの王子様』っていう出身から派生した言葉っぽくなっていますね。僕も若くもないしイケメンでもないのにたまにそういうカテゴリーになったりするけど、なんか聞かなかったことにしちゃう(笑)。うれしいとかって気持ちはないんですけど、そういうカテゴリーなのは確かなので、まぁ、いいやって感じですね。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
やっぱり井上芳雄さん。こんなにもすごいかって、衝撃的でした。やっぱり、常にフラットであるということですね。朝来たときの「あ、おはよう」っていうスタンスのまま、芝居中も淡々としていて、至って自然。芳雄さんの場合、そういう日常の流れから自分でチョイスしたのがたまたま台本に書いてあったセリフだったって風に見える。これってすごい! フラットで受け入れて相手にちゃんと返せて、それプラス自分の中での感情がすごく動いている。この人、究極だなと思います。
同世代では、海宝(直人)くん。彼の歌も好きだけど、芝居が好き。芳雄さんもそうですけど、「育ちがいいのね」って思ってしまう品の良さがあって、ああいう感じがすごく好きです。

Q.「いい俳優」とは?
難しい質問……。僕のすごく好きな役者さん、段田(安則)さんのコメントの受け売りになっちゃうんですけど、“演出家をインスパイアさせる”って言葉がすごく衝撃的で、なんてカッコいい響きだろうと。演出家の世界観じゃないところを自分の引き出しから出して、それを認めさせて、「それいいね」って言われる。そうして別の価値観みたいなものが生まれるって素敵だなって。そういうことができる人になりたいです。

 

 マネージャーから見た「内藤大希」

論理的に何かを突き詰めて行くというより、すごく感覚で反応していくタイプだと思います。小さい頃からの積み重ねもあると思いますが、特に芝居に関してその感覚があって、演出家が求めていることを、論理的ではないんだけれど把握できるところがすごくあります。実はものすごい読書家でいろんな本を読むことが好きなので、それが台本や演出家の言葉の解釈につながっているのかなと思います。
人当たりは良くて、上の人にも下の人にも好かれる性格なので、そういう部分は安心しています。今後望むことは、もっともっと貪欲になり、自信を持ってひとつひとつの作品に向かっていってもらいたいということでしょうか。彼はすごくハートのある歌が歌えるので、事務所的には歌やライブをもっとやってほしいとも思っていますね。

(株式会社クオーレ 担当マネージャー)

Profile

内藤大希 ないとう・たいき
1988年2月18日生まれ、神奈川県出身。O型。1999年、アルゴミュージカル「フラワーメズーラの秘密」にて11歳でデビューし、子役として活躍。2008年、ミュージカル「テニスの王子様」(芥川慈郎役)に出演。ミュージカル、ストレートプレイ、コンサートなど、幅広い舞台で活躍を続ける。「それいけ!アンパンマンくらぶ」(BS日テレ)に“うたのお兄さん”として出演中
【代表作】舞台/ミュージカル座「BEFORE AFTER」(2015年)、「DAICHI」(2015年)、「4BLOCKS」(2015年)、「タイム・フライズ」(2014年)、「ミリオンダラー・ヒストリー」(2014年)、Theatrical Concert「ビニール・ドーナッツ」(2014年)、「Music Museum」(2014年)、「愛の唄を歌おう」(2014年)、ArtistCompany響人「みんな我が子」(2013年)、スタジオライフ「11人いる!」「続・11人いる!」(2013年)、One on One「しあわせの詩」(2012、13年)、「銀河英雄伝説 撃墜王」(2012年)、「サロメ」(2012年)、「合唱ブラボ~!!」(2012年)、「URASUJI」(2012年、15年)、「恋するブロードウェイ♪」(2011~15年)、「オオカミ王ロボ」「新オオカミ王ロボ」(2011年、13年)、「わが町」(2011年)、「ありがとう!グラスホッパー」(2009、10年)、「冒険者たち」(2009、10年)、ミュージカル「テニスの王子様」(2008~09年)、「少年陰陽師」(2007年)、「君に捧げる歌」(2006~08年)、「ボーイズ・レビュー2006」(2006年)、
【HP】 「トイレがマイホーム」 http://ameblo.jp/710taiki/
【Twitter】@yokosukataiki

+++ 今後の出演舞台 +++
データ3nミュージカル「パッション」
公演期間:上演中~11月8日(日)
会場:東京・新国立劇場 中劇場
全国公演スケジュール:11月13日(金)~11月15日(日) 兵庫・兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト http://www.nntt.jac.go.jp/play/passion/

 

 

 

 

 

 

One on One 26th note
コードシリーズ「BIRDMAN~空の果てにあるもの・ライト兄弟~」
公演期間:12月17日(木)~12月23日(水・祝)
会場:シアターグリーンBIG TREE THEATER
>>公式サイト http://oneonone.jp/

 

 

 

 

 

デキメン列伝【第11回】池岡亮介

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第11回】池岡亮介 RYOSUKE IKEOKA
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自分を良く見せることを頑張らないようにした途端、
楽になりました


Writer’s view

インタビューに同席してくださったマネージャーさんの「噛めば噛むほどじわじわと面白い、スルメみたいな子」という言葉が、池岡さんを表すのにとても的確な表現である気がします。まだ22歳(歴代最年少デキメン!)ですが、演技力もその持ち味も地に足がついていて、多彩な役を観つづけるにつれ、その旨みを増すのです。今秋の「夕陽伝」で演じた初の悪役・毘流古(ひるこ)役では、とびきりスパイシーな新味を味わわせてくれ、多くの観客を驚かせました。豊富なポテンシャルで次に何が出てくるかわからない、追いかけがいのある若手デキメンです!

取材・文/武田吏都

 

――池岡さんは1993年生まれの現在22歳。想像よりも低くシブい声をしていたり、お会いすると、実年齢より大人っぽい印象がありますね。

池岡 よく言われます。多くしゃべらない方だし、人とのコミュニケーションに対してあまり積極性がないので、ただおとなしいという意味でそう見られるんじゃないかなと思ったりするんですけど。でも一時期、頑張っていたときはあったんです。D2(俳優集団D-BOYS内ユニット)に所属していて、個性派集団ということで、以前は「自分の個性ってなんだ?」ということをすごく追求していて。個性を出さなきゃとか自分のポジションを確立しなきゃとか、そのときはすごい頑張っていましたね。頑張ることが正義だと思っていたというか。人との関わり方も、積極的に会話に入っていこうとしたり、こういうことを言ってほしいんだろうなとか相手の気持ちを汲み取りつつ笑顔を絶やさず話したり。で、自分の気持ちとは裏腹なことを言ったりしたこともあったし、笑顔で話していれば嫌われないかなとか、平均的なものをずっと探していた感じはありました。でもなんかそういうことを頑張らなくした途端、すごく楽になったんです。余計なことを考えずに役にものめり込めるようになったし、僕に着いてきてくれるというか、一緒にいてくれる人も増えた気がします。
 

――頑張らなくなったきっかけは何かありますか?

池岡 うーん……結構いろんなことが重なって、悩んだ時期でもあって。特に、大学受験のシーズンだったんですよ。もともと名古屋の高校に通っていたんですけど、「テニミュ」(ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン)が決まって、上京してきたんです。最初、父親にはこの世界に入るのを反対されてて、許してもらう条件が大学に行くことだったので、仕事をしながらいろんな大学を受験したんですけど、うまくいかなくて。あるとき、爆発したんでしょうね、母親の前で号泣したんです(笑)。もうそういう、自分を頑張って良く見せるようなことを頑張りたくないと思っちゃって。そこから、いろんなことをフラットに考えるようになった気がします。
 

――ちなみに、お父様との約束だった大学は?

池岡 翌年に改めて受け直して入りました。
 

――俳優になる前の池岡さんは、どんな感じの少年だったんですか?

池岡 成人式のときに地元に帰って昔の同級生とお酒を飲みながら当時の話をしたんですけど、結構やんちゃっていうか、自分で言うのもなんですが、リーダー的な存在だったみたいです。確かに学級委員とかは毎年やっていたし、体育祭の応援団長もやっていたんですよね。今では考えられないぐらいの積極性があったんだなと(笑)。小学生のときから部活もずっとやっていたし、勉強も頑張ってしてましたし。
 

――モテてました?

池岡 ……モテ、てた、のかな……?(笑)

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――まあ、そうでしょう(笑)。じゃあ、ほんとに順風満帆な学生時代を過ごしていたんですね。

池岡 今思うと、そうなのかもしれません。ただ、挫折っていうほどカッコいいものじゃないですけど、高校で水球部に入部したら、練習中に初めて溺れたんです。それまで水泳を9年間、バスケを6年間やっていて、それ足したら水球になるだろうっていうほんと浅はかな考えで入ったのがダメでした。“水中の格闘技”といわれているぐらい激しいスポーツで、プールの底に足はつかないし、ガタイの全く違う先輩たちに押さえつけられて水をいっぱい飲んじゃって、気づいたらプールサイドに横たわっていた。それがショックすぎて、高校1年の早い時期に部活を辞めてしまったんです。ずっとやってきたものが、初めてブツッと切れてしまった。そこからは特に何もせず、学校のテストがたくさんあって大変だったし、勉強だけすればいいかなという感じでいたんですけど、その姿を母親が見かねて……。
 

――勉強してくれていたら普通、親御さんは安心しそうですけど。

池岡 うちの母親は、勉強はもちろん最低限やりつつ、僕のほんとに好きなことをイキイキとしてやってほしいっていう考え方なんです。部活に没頭していたのを長年見ていたから、学校から早く帰ってきてずっと家にいて、勉強、テレビ、ゲーム……な息子を見て、母親なりに何か思ったんでしょうね。「東京に遊びに行こう」といきなり言い出して、生まれて初めて表参道に行きました。そして今の事務所に連れて行かれて、「ここでオーディションやってるみたいだよ?」と。そのときは事前に書類とか必要なくて、準備ナシで誰でも受けられるオーディションだったから、「記念に行ってきなよ」と言われて受けました。
 

――素直ですねえ。

池岡 確かにそうですね(笑)。何かモノにつられたのかな?
 

――そういう世界にもともと興味は?

池岡 なかったです。お笑い番組を見ることは好きでしたけど。
 

――そのわりには今ここまで来ている道のりが真っ直ぐだなというか、葛藤のなさが逆に興味深いのですが。

池岡 たぶん、何もなかったんでしょうね。確かに学生のとき、「将来何をしたい?」と聞かれても、何もなかったんですよ。基本的には飽き性だし、今思えば部活をずっと続けていたのも、ほかにやることがなかったからという気がします。
 

――という感じだったのが、やることが見つかった、見つけてもらった、みたいな?

池岡 そうですね。そして今、この仕事をずっと続けて行く覚悟はありますし、それも早いうちからそう思っていました。なぜなんでしょうね? 確かに葛藤っていうか、そういうことについてもっといろいろ考えなきゃいけないとは思うんですけど……。
 

――そして、役がついて初めて演技をしたのがミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン(2011~12年)の海堂薫役。池岡さんのお顔立ちなどからして、一見強面で荒っぽいキャラクターの海堂役だったのは、今思えばちょっと意外な感じがします。

池岡 当初はやっぱり「(海堂)ぽくない」って言われてもいたし、普段の自分と比べてだいぶ作ってもいました。もともと最初の写真審査では同じ青学の菊丸役でオーディションを受けたんですけど、菊丸の台詞を読んだら、すぐ海堂の台本を渡されたんです。後日何でだったのか聞いたら、声と脚が海堂に似ていたということで。
 

――脚が似てる!?

池岡 はい。すごい脚を推していただいていたんですよ。海堂って唯一ジャージを履かない役で、年中、短パン姿なんですよね。というのもあって、「その美脚がいい」と(笑)。ブロマイドにもすごい脚ナメの写真があったりして(笑)。
 

――ほぼ経験がない状態でいきなりテニミュとなると、置かれる状況が急に変わりますよね。女子から黄色い声援を浴び始めたりすることへのとまどいなどは?

池岡 そういうことについてはあんまり考えたことがなかったですね。浮き足立つ、みたいなことも別になかったと思います。「池岡亮介をというより、海堂薫を好きでいてくれるからかな」という感じで。でもやってて、気持ちよかったんですよ。舞台上を走り回って汗流しながら、必死にラケットを振っていることが気持ちよかった。気持ちいいってことは自分の好きなことなんだなとは感じていました。さっき言った部活のこととか、実際の高校生活ではいわゆる“青春”を送れていなかったので、そこで取り戻している感じがありました。だから青学メンバーと一緒にいるときとか、すごく楽しくて。その楽しい中でお客さんが声援を送ってくれたり、かつ評価ももらえるんだってことにちょっと驚きもありつつ。「僕が楽しんでいることに着いてきてくれて、ありがとうございます」みたいな感覚がありました。

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――そのテニミュで約2年、230回ほど海堂役を演じて、2012年に卒業。そこから現在まで、舞台を中心に活躍中です。個人的に、池岡さんに最初に強いインパクトを与えられたのはオールメール(女性役も男優が演じる芝居)で行われたDステ「十二夜」(2013年)の女性役オリヴィアでした。それまでは、穏やかで優しそうなタレ目の男の子、という単純なイメージを抱いていて。……もし気にしていたら、ごめんなさい!

池岡 いやいや。同じD-BOYSの陳内(将)さんとかと“たれめーず”って言われたりしてるので(笑)。今『ライチ☆光クラブ』で共演している(中村)倫也さんもタレ目って言われているみたいなんですけど、その倫也さんもTwitterで僕を紹介してくれたときに「タレ目」と書いていて(笑)。ただ、自分ではタレ目と思ったことがないんですよ。でもこれだけ言われるんだからそうなんでしょうね(笑)。
 

――なので、わりとおとなしめなイメージがあった池岡さんが、あんなに爆発力のある笑わせるキャラ、しかも女性役を見せてくれたことに驚いて。

池岡 演出の青木豪さんに引き出していただきました。楽しかったです。最初シェイクスピアって聞いたときは身構えていたんですけど、豪さんが砕いて砕いてすごく現代っぽくしてくれて。台詞量も膨大で、僕あんなに台詞をしゃべったことがなかったんです。で、本読みのときもダメダメだったんですけど、台詞の言い方や動き、女性っぽい仕草とかも含めて、事細かに親身に教えてくださいました。それに応えていった結果、あのオリヴィアが出来上がったんです。途中からは面白さというか、どれだけお客さんに笑ってもらえるかっていうのを、より考えるようになりました。

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Dステ「十二夜」(2013年) ※左から2番目

 

――寝る前に必ずお笑い動画を見るくらいお笑いが好きだそうですが、自分が人を笑わせることも好き?

池岡 そうですね。去年出させていただいた“堀内夜あけの会”という(ネプチューン)堀内健さん脚本の舞台に来年もまた出演させていただくんですが、コメディは、自分がやって自分が笑っちゃうぐらいの、「俺、今コメディをやってる!」っていう行為自体が面白い感覚を味わえるというか。今までの舞台でやらせていただいた役で笑いを取るようなポジションをいただくことも多くて、全然ウケなかったりするときもあるけど、そういうときは「自分が笑えてるからいいや」と思えちゃうところもあったりします(笑)。
 

――そして今年は特に舞台づいていて、出演本数が5本! 中屋敷法仁さん、鈴木勝秀さん、成井豊さん、岡村俊一さん、河原雅彦さんと、優れた個性的な演出家に次々と出会えた年でもありました。まず2月のつかこうへいさん作、中屋敷さん演出の、つかこうへいTRIPLE IMPACT「ロマンス 2015」(2015年)からスタート。

池岡 「ロマンス 2015」についてはほんとに度胸がつきました。僕と鈴木勝大くんの若い男優2人で40分ぐらいずっと怒鳴り続けているシーンがあったりして。逃げ場がないっていうのは、まさにああいうことだなと思いました。
 

――役柄としてはゲイの青年でした。「十二夜」は女性役、現在公演中の『ライチ☆光クラブ』でもオカマのキャラクターを演じていますし、女性っぽい役がわりと多いですよね。実際お話しているとそういうニュアンスは全然感じないので、そこが興味深くて。自分の内面に、女性っぽさはわりとある方?

池岡 僕は完全に男ですね。硬派ってほどじゃないですけど、一般的な男子学生ぐらいだと思います。


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残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』(2015年) 雷蔵役

 

――続く4~5月の鈴木勝秀さん演出、*pnish*「魔王 JUVENILE REMIX」(2015年)では主演を務めました。

池岡 難しかったなって印象があります。立ち稽古に入って2、3日目ぐらいで「とりあえず頭からやっていきましょう」と言われて、やっていったらスズカツさん(鈴木勝秀)が全然芝居を止めないんですよ。「これもしかして最後まで行っちゃう?」と思っていたら、ほんとに最後まで通しちゃって。つまり、早くも通し稽古。一部分を返したり抜いたりの稽古というのがわりと主流だと思うのですが、そういうことはそれ以降もせずに、通し稽古の連続でした。だから役へのアプローチとかよりも、主役として真ん中にどうやって立つか、立ち続けなきゃいけない覚悟のようなことを、言葉ではなくスズカツさんからは教えてもらいました。
 

――7~8月の「時をかける少女」(2015年)はキャラメルボックスの公演。キャラメルボックスには「涙を数える」(2014年)に続いて、2度目の客演になります。

池岡 脚本・演出の成井(豊)さんは僕のいろんな作品を観に来てくださっていて、「イケメンと言われるようなポジションや役が普段多いけど、そうじゃない、池岡くんの持っているポテンシャルや多面性を出したい」と言って、そういう役を書いてくださいます。去年もそうだったんですけど、キャラメルさんは僕みたいな若手を、すごくアットホームに気持ちよく受け入れてくれる。そういう空気でお芝居させていただいている中で、この作品ではお父さん、お母さん、妹っていう僕の実際の家族構成と一緒の家族が舞台上にあったりして。なんだかそこも相まって、生の感情がたくさん入ったりもしましたね。

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キャラメルボックス「時をかける少女」(2015年)

 

――「時をかける少女」という作品自体とても有名ですが、そこへのプレッシャーなどは?

池岡 僕ら世代だと、アニメの印象が強いです。アニメの千昭が言う「未来で待ってる」っていう名台詞があるじゃないですか。あれ言わなくちゃいけないのかなっていうプレッシャーはあったので、出演が決まってから密かにその台詞だけ練習したりしました。結果、その台詞はなかったんですけどね(笑)。同じ「時をかける少女」なんですけど、台本は成井さんが書かれたオリジナルの要素が強かったので、最終的には特に変なプレッシャーはなかったです。
 

――キャラメルボックスのときのようなプレーンで等身大な役の方が、実は珍しいですよね。

池岡 そうですね。笑いを担うとか、ちょっと飛び道具的な役が多かったりするので。
 

――まさに飛び道具な、強烈な役をもらったのが、10~11月のDステ「夕陽伝」(2015年)の毘流古(ひるこ)。とにかくびっくりしました! 恥ずかしながら、カーテンコールまで池岡さんと気づかなかったほどで。自分でも「化けたな」というような感じはありました?

池岡 あんまりそういう感覚はないですね。この役だから特別苦労したということも、自分の中ではない気がします。でも、今この空間を支配してやるという意識はすごいありました。大げさかもしれないけど、自分が周りを動かしているというか、「俺の空気に合わせろ!」みたいな。ああいう感覚は、これまでなかなかなかったものだったなと思います。

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Dステ「夕陽伝」(2015年)

――毘流古は骨がなく生まれついた異形の者で、それゆえに親に捨てられた恨みなどを抱えて生きている悪役。本当に強烈なヒールだったのですが、脚本の末満(健一)さんによると、あてがきだそうですね。色気のある悪役ができるんじゃないか、ということで。

池岡 Dステ「TRUMP」(2013年)という作品で演出していただいたとき、「アイツには絶対変態な部分がある」と思って、ああいう役を書いてくださったそうです。母親も「確かにそれはあるよね」って言ってましたし、僕のそういう変態な部分は、毘流古を通じて出せたと思います(笑)。
 

――女性の観客が多いDステにしてはというか、なかなかエグい描写もあって、毘流古の行動はゲスの極みみたいなところがあります。でもただの悪役じゃ終われない、悲哀やある種の共感も感じさせないとならない難しい役だったと思うのですが。

池岡 若い女優さん(小芝風花)をヒロインとして客演で呼ぶ形というのもDステにしては珍しいですよね。かつ、その子をめちゃくちゃにするっていうどうしようもない役で、最初の書かれ方だと、完全に悪に徹していたんです。最後、死ぬ瞬間にちょっと弱さを見せるぐらいで。だから僕はこのキャラクターにはじめ全然感情移入できなかったんですけど、周りのキャストからは「そんなことない。すごいかわいそうな役だよ」と言われて。それでも僕は、「わかんない。クズじゃないか」と思ってたんですけど、演出の岡村(俊一)さんに「お前で泣かせるんだ」ってことをはっきりと言われて、そこから作り方を変えていきました。
 

――殺陣の上手さにも驚きました!

池岡 ああいう感じの殺陣は初めてで、しかも二刀流。毘流古は骨がなくて、体を筋肉で支えているっていうムチャな設定じゃないですか。「なんだよ、それ。ワケわかんない!」っていう(苦笑)。だから動きも独特じゃないといけなかったし、確かに殺陣は苦労しましたね。

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――成井さんがおっしゃっていた“多面性”という言葉どおり、まだ5年というキャリアの中で本当にいろんなキャラクターを演じていて。もし自分が池岡さんだったら、次にどんな役が来るだろうと楽しみで仕方ないんじゃないかと思います(笑)。

池岡 自分でも意外な役をたくさんいただいています。そしてどの役も自分が知らなかった人間だから、その役に会えるというだけでもすごく楽しい。毘流古も、悪役自体初めてだったんですけど、「俺はこういう役もできるんだ」という自信がつきました。どんな役にも抵抗がないし、これからもいろんな役に出会えたらいいですね。でも、いただけても(今の自分の力量では)できないというのが一番悔しいので、僕の準備も必要だなと思っています。
 

――現在は、残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』に雷蔵役で出演中。またフェミニンな役どころに挑戦しています。

池岡 声もそろそろできあがってきちゃっているので、“かわいらしい”ところまではいけてないんじゃないかと思うんですが。光クラブのメンバーで並ぶと、僕はわりとタッパのある方だし、「夕陽伝」でついた筋肉が落としきれていないんですよ。だから女の子に近づけるというよりは、オカマになってますね(笑)。ま、この役はもう一人の女性っぽいキャラクターのジャイボとの対比もあるし、オカマでもいいんじゃないかとは思うんですけど。でもたまに、カワイイ子をやろうとしている鏡越しの自分を見て、すごく恥ずかしくなるときがあります。「オマエみたいなのが何やってんだよ」って(笑)。そういうところもまた面白い感じになってくれたらいいですけど。でも原作者の(古屋)兎丸さんが稽古場に来られたとき、まだわりと早い段階で、「雷蔵はできあがってますね」という言葉を掛けていただきました。その言葉も信じて、演じていきたいと思っています。


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残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』(2015年) ※上演中
大千秋楽の12/27(日)、全国14ヶ所の映画館でライブビューイングを開催

 

――周りのキャストも、魅力的なメンバーが揃っていますね。

池岡 皆さん、ほんっとにすごいです。役へのアプローチだとか、自分の甘さを痛感するばかりで。主演の(中村)倫也さんはもう、素晴らしすぎる! ヤコブ役の加藤諒くんも、スゴいの持ってきたな~と思いますね。雷蔵とヤコブは一緒にいることが多いので、一番の敵だと思っています(笑)。ちょっと油断すると、持っていかれちゃいますから。今回は、東京ゲゲゲイさんというパフォーマンス集団が参加しているというのが大きくて、エンターテインメントに長けた作品になっています。とはいえもちろん芝居はちゃんとする必要があるし、そこも倫也さんや(玉置)玲央さんや尾上(寛之)さんとかすごく芝居のしっかりした方たちがいるから、芝居の部分が抜けているような感じも全然ないですし。僕は、完全に新しいものを作っているという感覚に今なっていて、この面白さや怖さがお客さんにどうとらえられるんだろうというドキドキ感を味わっています。


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残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』(2015年)

 

――ひょんな形で出会ったこの俳優という仕事ですが、いま楽しいですか?

池岡 はい、とても。生きてるなぁって感じがするし、やりがいとか生きがいを感じています。僕は日常で普通に話したりするのが苦手で、役を与えられて台詞があった方がよっぽど楽だなと思うし、自分は舞台上の方がイキイキしているという自覚はあって。役として台詞をしゃべっていると、たまにふと、池岡亮介という人間がびっくりするぐらいの感情や声が出たりするときがあるんです。「あ、すげえ!」って思って、その気持ちよさが辞められなくなっちゃう。飽き性なので、いつまでも新鮮な気持ちで発見をし続けたいです。
 

――そういえばこれまでの話の中では出ませんでしたが、俳優になって以降、挫折の経験はありますか?

池岡 ……(熟考して)感じたことはないですね。もともと演出家とかに厳しいことを言われてもそんなにこたえない方ではあるんですよ。「下手くそ!」とか言われても、自分のことを言ってくれる人がいるってだけでちょっとうれしかったり。繊細なタイプではないです。演出家に言われたことをそのまま受け入れることもありつつ、「いや、でも俺は」っていう、自分の中の確固たるものも実はあって、そことぶつけながら役を作っていったりします。だからこの先、その確固たるものをぶっ壊されたらどうなるかっていうのはよくわからないですし、そういう時期も来るのかなという気がします。壊れるほど言われてみたいという気持ちも、ちょっとあるんですけどね。
 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
とても便利な言葉ですよね。便利なだけに、いろんな個性を潰しちゃってる言葉だなとも思います。個人的には「イケメン」よりは、「カッコいい」って言われた方が単純にうれしい。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、瀬戸(康史)さん。「夕陽伝」で最近までずっと一緒にいたっていうのもあるんですけど、あの若さで、彼ほど広い心を持った人っているのかなと思います。多くを語るわけではないけど、行動で見せてくれる。でもちょっと話すと、ほんとに深いことを考えていたんだなということに気づかされるし。周りの人間への気の配り方なども含め、あんな海みたいな人、見たことがないです。
同世代だと、元木聖也。単純に仲がいいだけともいえるんですけど(笑)、アイツとは性格が真逆なんです。秘めてるものはあるかもしれないけど、僕にはあんな楽観的な考え方はできない。そして「タンブリング vol.4」で共演したときに気づいたのは、すごく熱くてストイック。違う部分が多いから、憧れなんですかね。

Q.「いい俳優」とは?
俳優というか“いい人”ということになるのかもしれないけど、いろんなことをあきらめなかったりとか、見捨てない人。例えば一緒にお芝居していて、全然できない若手に対してしっかり付き合ってくれるベテランさんや中堅俳優さんがいる。見捨てられたくないから、そういう方たちとお芝居できると、僕らもいろいろ気づけるんです。そして今後は僕も、同じことを後輩たちにやっていかなくちゃいけないんだなと思いますね。

 

 マネージャーから見た「池岡亮介」

「まだ22歳だよね?」という若者らしからぬところがあったり、普段はわりとボーッとしているように見えるというか、「大丈夫かな?」と思うときも(笑)。でも役を作るとなると一転、ものすごく集中力が高く、普段と演技をしているときのギャップがとても激しいです。特に「夕陽伝」のときは目を見張るくらい、完全に化けていたなと思いました。役に引っ張られたのか、ある意味ピリピリとした感じも今までで一番あったと思います。若いのですが、色気があることもあの役では発見できました。今まで演じてきた役柄とか、そういうものからは遠い人の印象も持たれていましたが、末満さんのホンと岡村さんの演出に引き出していただきましたね。
この先、ジャンルを問わず必要とされる人になってほしいと強く思っています。本人はコメディがすごく好きでチャレンジしたがっていますし、重厚な作品などにもトライしてほしい。人柄としては、懐に入るのが上手いのか、媚びるわけではないんですけど、わりとどの現場に行っても先輩たちにかわいがられて帰ってきます。お酒が強いことは、ひとつ特技かもしれません(笑)。そういう席でいろんな先輩たちから役者論を聞いたり、悩みを打ち明けたりという機会が、舞台が多かった今年はたくさんありました。そういったことも含めて、この1年で意識がすごく変わってきたように感じますね。

(株式会社ワタナベエンターテインメント 担当マネージャー)


Profile
池岡亮介 いけおか・りょうすけ
1993年9月3日生まれ、愛知県出身。A型。2009年、第6回D-BOYSオーディションで準グランプリを獲得したのを機に俳優となり、D2の一員として活動する(2013年よりD-BOYSに)。2010年、D-BOYS stage「ラストゲーム」(再演)のアンサンブルとして初舞台。2011~12年、ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズンに海堂薫役で出演し、注目される。今年公開された映画「コープスパーティー」など、映像にも活躍の場を広げる。
【代表作】舞台/Dステ「夕陽伝」(2015年)、キャラメルボックス「時をかける少女」(2015年)、*pnish*「魔王JUVENILE REMIX」(2015年)、つかこうへいTRIPLE IMPACT「ロマンス2015」(2015年)、キャラメルボックス「涙を数える」(2014年)、堀内夜あけの会「恐怖 タコ公園のタコ女」(2014年)、Dステ「十二夜」(2013年)、「タンブリングvol.4」(2013年)、Dステ「TRUMP」(2013年)、ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン(2011~12年)、D-BOYS stage「ラストゲーム」再演(2010年)
映画/「コープスパーティー」(2015年)、「ガールズステップ」(2015年)、「1/11 じゅういちぶんのいち」(2014年)、「俺たちの明日」(2014年)、「ポールダンシングボーイ☆ず」(2011年)
TVドラマ/「だから荒野」(2015年)、「ライドライドライド」(2014年) など
【HP】 http://www.d-boys.com/
【ブログ】「タイトルのない素敵。」
【Twitter】@r_ikeoka

+++ 今後の出演舞台 +++
zankokukageki■ 残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』
公演期間:上演中~12月27日(日)
会場:東京・AiiA 2.5 Theater Tokyo
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト

大千秋楽の12月27日(日)、全国14ヶ所の映画館で
ライブビューイングを開催
http://liveviewing.jp/contents/litchi/
Ⓒ古屋兎丸/ライチ☆光クラブ プロジェクト 2015
 
 
 
■ 堀内夜あけの会 第3回公演「なりたい自分にな~れ!」
公演期間:2016年4月29日(金)~5月1日(日)
会場:東京・本多劇場

デキメン列伝【第12回】相葉裕樹

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第12回】相葉裕樹 HIROKI AIBA
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この世界は短距離走じゃない。

最終的に勝つには実力をつけるしかない。


Writer’s view

相葉さんは半年間のフリーランスの時期を経て、今年から新しい事務所に所属。事務所という存在はあまり表立つことはないけれど、俳優という仕事を続ける上で、非常に大きな意味を持つことは確かです。周囲や自己の分析能力に長けている(と私は思っている)相葉さんが、この先のパートナーとして選んだのは、舞台に強いイメージのある事務所。この選択から垣間見えるものを相葉さん本人から聞きたくてインタビューにうかがうと、想像以上に先の未来が見えました。

取材・文/武田吏都

 

――現在、「GEM CLUB」が絶賛上演中。その前身といえる「CLUB SEVEN」ではともに後輩的ポジションだった相葉さんと中河内(雅貴)さんが、今回は引っ張って行く立場にあるのが興味深いところでもあります。

相葉 「CLUB SEVEN」に最初に出たのは5年前で、一番下だったから端っこや後ろで踊ることも多かったんですけど、ここにきて急に真ん中になっているので(笑)。前だったら振りを忘れて「なんだっけな?」ってときはチラッと前の人のを見て「あ、そうだ」っていうことができたんですけど、今回は稽古場からずっと前の方にいるので、プレッシャーがかかります。“GEM(原石)”と呼ばれる9人の若手の中では僕とマサ(中河内)だけが「CLUB SEVEN」の経験者なので、先輩方から教わったこと、雰囲気やカラーを伝える役割もあるのかなと思っています。

 

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「CLUB SEVEN 10th stage!」(2015年) 写真提供/東宝演劇部

 

――とにかく皆さんガンガンに踊りまくっていて、なんとカロリー消費量の高い舞台なんだろうと!

相葉 最近踊ってなかったからキツく感じるのかなと思ったんですけど、そういう問題じゃなく、マジでキツいヤツでした(笑)。構成的にも、2000mをダッシュで走っているみたいな感覚のハードなM1から始まり、やっぱりメドレーで締めるっていう。

 

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SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――ハードのフルコース(笑)。「CLUB SEVEN」には五十音順メドレーという名物がありました。「あ」~「ん」を頭に持つ楽曲やフレーズをノンストップで50曲つなげて、それに合わせて歌ったり踊ったりコント的なことをしたりという。「GEM CLUB」にもメドレーが引き継がれていますが、五十音順ではない新しいバージョンです。

相葉 曲数は50曲より減っているみたいなんですけど、1曲1曲のダンスの難易度が上がっているんです。今思えば僕が最初に「CLUB SEVEN」に参加した7thの頃って、あまり難しい振りはなかった記憶があるんですよ。でも今回はマジで難しい! 例えばEXILEやE-girls、AKBとか最近の曲って、細かくて厄介な振りが多いんですよね。

 

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SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――全体的なレベルが上がってきているんでしょうか。ダンスの必修化なんかも影響が?

相葉 僕は学校でダンスを習った世代じゃないので、羨ましいです。今回の若手を見ていても感じますけど、踊れる人が増えてますよね。やっぱり彼らは振りが入るのも早い。僕は1日寝かせてやっと、みたいな(苦笑)。その場では全然覚えられなかったので、ちょっと焦りました。今回は10代から20代前半の才能ある子たちが集まっているので負けられないと思うし、すごく刺激を受けています。

 

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SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――「GEM CLUB」は今後も続いて行くシリーズになると思いますが、そのオリジナル(初回)メンバーとしてどんな役割を果たしたいですか?

相葉 演出の玉野(和紀)さんは「CLUB SEVEN」を10年続けてこられて、この「GEM CLUB」も若手たちが育ち、巣立って行く、10年ぐらい続くような作品にしたいとおっしゃってました。「GEM CLUB」をもう1本のパイプにして、2本が融合したとき、さらにパワーアップした「CLUB SEVEN」にできるのではないかと。だから責任重大だと思います。最初で失敗してしまったら、その思い自体もなくなってしまうし、長く続く作品になるよう、千秋楽まで走り抜けたいと思います。

 

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SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――相葉さんは年頭、新しい事務所に所属しました。という意味でもリスタートの時期ですが、今「GEM CLUB」でどっぷり浸かっている“ダンス”は、相葉さんにとっての原点ですよね。

相葉 w-inds.さんに憧れて、高校生のときにダンスの養成所に通い始めました。それと同時に、養成所の仲間3人でストリートライブを始めたら、とあるサイトで僕らが紹介されたのがきっかけで、徐々に観客が集まってくるようになって。NHKホールの前あたりで踊っていたんですけど、気づいたら300~400人集まるようになってました。不思議でしたね。プロデューサーとかがついているわけでもない、どこの事務所にも所属してない素人が3人でやってただけだから。それに、ダンスはむちゃくちゃヘタなんですよ。

 

――え、上手だからみんな観に来ていたんじゃないんですか!?

相葉 ダンス歴3ヶ月ぐらいで始めたから、むちゃくちゃヘタ! なのに人が集まるっていう。でもすごく楽しかったし、ほんっとに気持ちだけでやってました。

 

――度胸があるんですね。

相葉 いや、めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ。「見ないで!」と思いながらやっていたのに、「なんかいっぱい人が集まってきちゃった……」みたいな(笑)。

 

――そもそもダンスをやろうと思ったきっかけは?

相葉 えっと……モテたかったからです(笑)。小学生の頃とかジャニーズが好きだったりして、ダンスに興味はあったんですよ。でも中学ではバスケ部に入って。眼鏡かけてて地味だったし、モテなかったですね。で、高校に入ったらダンスをやろうと思っていたんです。始めてからは、ユニットとしてデビューすることだけを考えて、そのストリートライブを続けていました。

 

――そして同じ頃、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で審査員特別賞を受賞。

相葉 それがきっかけで最初の事務所に入って、当時まだデビュー前のAAAと一緒にレッスンを受けたりしていたんですけど、気づいたら、「テニスの王子様」(=テニミュ)に出てました(笑)。「気づいたら」って言っても、自分からオーディションを受けたんですけど。とにかく合格してうれしかったです。当時は他になんの仕事も決まってなかったですし。でもオーディションを受けまくっていて、立て続けに受かった時期ではあったんですよ。不二(テニミュで演じた役名)のときも同時に、もうひとつ大きい役が受かっていて。今となっては、やっぱり不二を選んでよかったなと思っているんですけど。

 

――ユニットとしてデビューしたかったと言っていましたが、その頃には意識は俳優へとシフトしていたんですか?

相葉 それぐらいから、そうだった気がします。ダンスユニットって長くは活動できないかもと思い、そういう意味では俳優を目指す方がいいかもしれないという考え方になっていたような。でもお芝居のことはよくわからないから、「とりあえずやってみよう」という感じでやっていました。

 

――相葉さんはわりとヒキで物事を見る方だと感じているんですけど、その片鱗が早くも出てますね(笑)。初舞台がミュージカル「テニスの王子様」(2005年)なので、歌にもここで初挑戦となったんですね。

相葉 歌に関してはサイアクです!「歌いたくない!」とずっと思っていました。

 

――歌への苦手意識は、これまでもしばしば語っていますよね。傍から見るともちろんそこまで劣っていると思えないですし、何か理由があるのかなとはずっと感じていたんですけど。

相葉 なんですかね……それこそユニット時代もライブハウスに出たりしていたので、歌ってはいたんですよ。そのとき、「あいばっちはやめとこうか」みたいな感じで、僕にだけソロパートをくれないみたいな。他の2人もたいして上手くないんですよ?(笑) だから余計、「あれ? 俺ほんとにダメなんだ」と思って、そこが結構トラウマで。ミュージカルに行ってもやっぱり苦手意識がついちゃっているから、人前で歌うのは正直キツかったですね。

 

――なるほど。でももう気持ち的には克服しても大丈夫なレベルの歌唱力はお持ちだと思いますよ。

相葉 自分でも、成長しているなとは思うんです。思うけど、やっぱりまだまだ。なんか大変な世界に来ちゃったなと思っています。わざわざ苦手な方に進んでいってる感じがして(苦笑)。これまでの道のり全般、「あっちに行きたかったけど、気づいたらこっちにいる」の連続だった気がします。入口がダンスだったことを考えると、俳優をやっていること自体もそう。だけどもちろんイヤイヤやっているわけじゃないんです。楽しいことは楽しいし。……楽しい、のかな? ツラいけど。まあいずれにせよまだまだだなと思うし、もっとやんなきゃって思いは常にあります。

 

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――そしてテニミュ卒業の翌年には「侍戦隊シンケンジャー」に出演。相葉さんの経歴を改めて振り返ると、ジュノンボーイ、テニミュ、戦隊、戦国鍋と、今の若手男優の登竜門と呼ばれるようなものを全部通過してきているんですよね。エリートだな、と。

相葉 そこにサラッと「戦国鍋」が入ってるの、おかしくないですか?(笑)

 

――いえいえ(笑)、私がこの番組(「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」)のファンであることを差し引いても、今の若手男優シーンを語るには欠かせない伝説的なバラエティ番組だと思います! ただ収録時間が短かったりするので、出演者と視聴者との間にはやや感覚のズレがあるというか、反響の大きさを意外に感じている出演者も多いですよね。

相葉 そうなんですよね。あんなに反応があると思っていなくて。「戦国鍋」は、「シンケンジャー」が終わって一発目の仕事だったんですよ。それでいきなり昭和アイドルの格好で長槍持って(“SHICHIHON槍”という7人組の戦国武将アイドルユニットに扮した)、正直、先行きが不安になりました(苦笑)。反応が良かったから助かったものの、あれでもし反応がなかったら……(笑)。

 

――個人的には、「相葉さんってオモシロもできる人なんだ」と発見した作品でもありました。

相葉 いただくキャラ付けの指示もわりとざっくりした感じで、ある程度自由に任せていただいたところがあって。で、僕自身面白いことがすごく好きなので、ふざけるなら真面目にとことんふざけた方がいいなと思い、楽しんでやっていました。その前の「シンケンジャー」の流ノ介という役も、カタいキャラではあるんですけど、6人の中でいえばボケ担当みたいなところがあって、ほんっと自由にやらせてもらったんです。台本に書かれていない、台詞以外の部分をやることに夢中でした(笑)。その流れでの「戦国鍋」だったので、そういう空気を継続してやっていた部分があったかもしれないです。

 

――相葉さんの一般的な知名度がグンと上がったのは、やはり「侍戦隊シンケンジャー」でのシンケンブルー/池波流ノ介役。あの作品にはどんな思い出がありますか?

相葉 「シンケンジャー」に関しては、楽しかった思い出しかなくて。朝が早いのはキツかったんですけど、みんなでロケバスに乗ってお弁当食べて、毎日ピクニックに行くような感じでした。「戦隊は大変だよ」って聞いてたんですけど、「思ったより大変じゃない。超楽しいじゃん!」って、正直思っちゃって(笑)。メンバーや東映のスタッフの皆さんと一緒に、「シンケンジャー」という作品を作っていることが、すごく楽しかったんです。舞台の方がよっぽど大変だなと、当時は思いましたね。

 

――こうして前半の道のりをたどるだけでも、輝かしくも紆余曲折という感じがします。ご自分でも言っていましたけど、“やりたいこと”に突き進んできたわけではなくて、“やるべきこと”というか。俳優の仕事においては、そういう要素もとても大切だと感じます。

相葉 この仕事を始めたときには想像もしていなかったことを、今していると思いますね。自分でも不思議な感じがします。

 

――歌が苦手と言いながら、市村正親さん、鹿賀丈史さんという日本のミュージカルの二大巨頭と、ミュージカルでがっつり共演を果たしていたり。

相葉 「ラ・カージュ・オ・フォール」(2015年)に関しては特に不思議でした。「なぜ?」「ほんっとに俺でいいの?」と。さすがにビビりました。本番に入ってしまえばやるしかないからパーン!といけるんですけど、稽古場では震えましたし、緊張しました。

 

――どういう部分に、他の作品とは違うものを感じた?

相葉 なんかもう、作品にビビッてました。30周年という歴史の重さに。そしてやっぱり市村さん、鹿賀さんの重厚感、存在感に震えました。あのお二方が稽古場にいらっしゃるだけで、なんだか冷や汗が出るんですよ。実際に震えもくるし、とにかく緊張するんです。お二人が怖いわけでは全くなくて、すごく優しくしてくださるんですけど。そんな方たちと一緒に芝居をして、みんなは何度か作品を経験して出来上がっている中に、未経験の僕が一人で入って、だから人一倍努力しなきゃいけない。それは当たり前なんですけど、努力してもできないし、稽古場では「大丈夫かな。これで日生(劇場)に立てるのかな?」って思いながらやっていました。

 

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「ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち」(2015年) 写真提供/東宝演劇部
(左から3番目が相葉。一番左が鹿賀で一番右が市村)

 

――そういう歴史あるミュージカルを経験したりした後、相葉さんがご自分で選択した事務所が「グランアーツ」でした。井上芳雄さんが所属していることもあって、ミュージカルに強い印象があります。この選択から、相葉さん自身の中にある今後のビジョンが見えてくるような気も。そのあたりを、相葉さんの言葉で聞かせてください。

相葉 より高いステージに行くためにもっと勉強したい、もっといろんな舞台に出たいと思いました。“認められたい”って思いが、僕の中で結構強くて。ならば、演劇で認められなきゃなというところがあったので、舞台方面をしっかりとマネージメントしてくれる事務所がいいと思いました。

 

――相葉さんを初めて取材させていただいたのは8年ほど前なんですが、当時から「僕をもっと知ってほしい」ということを言葉にしていたのを覚えています。今言った「認められたい」とは、承認欲求の意味合いとしてちょっと違うかもしれませんが。

相葉 そうですね……あ、でも同じか。同じかもしれないです。そういう意味では、知ってもらう手段としては映像が一番手っ取り早いと思うんですけど、それは後々でいいというか、今はちゃんと実力をつける時期なんだろうなと感じていて。確かに若いときは早く世に出たくて、だから映像に出たいって思いがすごくあったんですけど、これまでの10年を経て、なかなか厳しいもんだなということがわかった。じゃあどうしたら最終的に勝てるんだろうっていうと、もう実力をつけるしかないという考えに至ったというか。

 

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――そうなんですよね。“実力”をものさしにしたこの「デキメン列伝」を立ち上げたのも、今は若さとか勢いとかいろんな魅力で勝負できるけれど、10年後20年後の長いスパンで考えるとそうもいかない。私は俳優さんを長く見続けたいので、そうなると先々残っていくであろう方は……と考えてセレクトさせていただいているんですけど。まさにその意図にハマった言葉が聞けて、非常にうれしいです。

相葉 この世界、短距離走ではないじゃないですか。とはいえ、先が見えないと、半年先とか1年先しか考えられないのが正直なところではある。でもそのやり方だと、消費する一方で……。空いているから仕事入れちゃえっていう考え方が、あまり好きではないんですよ。仕事がないならないで、やることはいっぱいあるって思うし。ただ、生きるために稼がなきゃいけないという部分では、葛藤がありますよね。だからどれだけ我慢できるかだなとも思っていて。とにかくいいものを届けたいって思いが強いから、作品選びもなかなか難しいなと感じますね。
本当のところは、10年後20年後ってより、50年後を考えているんです。そこまで生きているかわからないですけど(笑)、最終的に笑えていれば、勝てればいいやと思っていて。

 

――それは人間・相葉裕樹として? 俳優・相葉裕樹として?

相葉 どっちも、ですね。どっちも充たされていたい。

 

――同世代で50年後まで見据えている方はあまりいないと思うんですが、その考えには「ラ・カージュ・オ・フォール」であの大先輩たちの芝居を間近で見ていたことが、何か影響していたりしますか?

相葉 それは本当に大きいですね。何十年もこの世界の第一線でやられているわけじゃないですか。あそこを目指さなきゃいけないとは、やっぱり思います。

 

――これまでのお話を総括すると、今後はやはり舞台が中心になるという認識でよいですか?

相葉 でも舞台しかやりませんという考えはなくて、今までやってきた声の仕事もやりたいし、映像もやりたいです。ミュージカルが増えるかどうかはまだちょっとわからないですけど、全体とのバランスかなと思っています。

 

――器用にいろいろとできる方ですし。

相葉 不器用ですよ~!! 自分の不器用さにヘコみますもん。

 

――そうですか? このインタビューにも表れているんじゃないかと思いますが、ヒキで見る力があって、あらゆることに対して分析的だなと感じます。私は相葉さんのトボけたコメディセンスみたいなものがすごく好きなんですけど(笑)、そういう部分があるからコメディ演技も上手いのかなと。

相葉 コメディ、好きなんですよねえ。でも僕の場合、ちょっと趣味入っちゃっているので。コメディだけやるのもちょっと違うし、好きだけど、趣味に留めた方がいいのかなとか(笑)。

 

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――お笑い番組など、よく見ますか?

相葉 わりと見ちゃいますね。コントが好きで。僕、シソンヌが大好きなんです。神保町花月でやった「ピラミッドだぁ!」(2014年)という舞台で共演してから「シソンヌ、ヤバッ!」ってファンになっちゃって(笑)、単独ライブとかずっと行っています。シソンヌのコントって演劇的なんですよね。面白いし、とにかく芝居がめっちゃ上手いんですよ。やっぱりそこに惹かれちゃいますね。

 

――ご自分を掘り下げたお話をたっぷりと、ありがとうございました! 現代っ子なルックスとは裏腹に?(笑)すごくよく考えていて、人一倍目標値が高く自分に厳しい、相葉さんの内面をお届けできたのではないかと。

相葉 目標値、高いのかなぁ? ステージに出ている以上、やっぱりプロじゃないですか。その中で納得できないものを出したくないし、そうなると苦しまなきゃできないんですよね。楽してできる仕事じゃないっていうのは、すごく思います。舞台は特に。大変な仕事に就いちゃったなって、つくづく感じますね(笑)。

 

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SHOW HOUSE「GEM CLUB」にユーク役で出演中
※シアタークリエにて4/1まで。大阪、愛知公演あり

 

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
褒め言葉で使うときと、ちょっと悪い意味で使うときもあるかなと思っていて。特に俳優として使われるときは、あんまり好きな言葉ではなくて。素直じゃないのかもしれないですけど(笑)。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、新納慎也さん。「リトルショップ・オブ・ホラーズ」と「ラ・カージュ・オ・フォール」で共演していて、精神的にツラい作品のときにはだいたいそばにいてくれるんですよ。だから僕も、「ニーロさん、助けて」みたいな(笑)。いろいろ心配をしてくれています。周りへの気遣いや面倒見の良さが素晴らしいですね。
同世代では、仲良しの桐山漣。オシャレに敏感で、料理もこなしてしまうデキメン(笑)。

Q.「いい俳優」とは?
あまり芝居をし過ぎない人が好きです。もちろん作っているんだけど、自然にその場で、板の上で生きている、本当にそこに存在しているような役者さん。

 

 マネージャーから見た「相葉裕樹」

まだ事務所に所属して3ヵ月程しか経っておらず、その印象ではありますが……。子供っぽいところもあるのですが(笑)、素直ですごく真面目だと思います。
もうすぐ30代。本人の中での歌に対する苦手意識がなくなればいいなとも思いますし、たくさん経験して勉強して、もっともっと成長してほしいと思っています。未来を見ながら、今まで以上に頑張っていきましょう。

(有限会社グランアーツ 柴田マネージャー)

 


Profile
相葉裕樹 あいば・ひろき
1987年10月1日生まれ、千葉県出身。O型。高校在学中にダンスユニットを組み、2003年からストリートライブを始める。同じ頃、第16回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で審査員特別賞を受賞。05年、ミュージカル「テニスの王子様」に不二周助役で出演し、本格的に俳優としての活動を開始。09年、「侍戦隊シンケンジャー」にシンケンブルー/池波流ノ介役で出演し、人気を博す。映像のほか、声優など幅広い活動を行い、現在は舞台を中心に活躍。ニコ生チャンネルにて「相葉裕樹の夜ふかし。」を不定期放送中
【代表作】舞台/「HEADS UP!」(2015年)、「ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち」(2015年)、「BACK STAGE」(2014年)、TSミュージカル「ちぬの誓い」(2014年)、「SEMINAR-セミナーー」(2013年)、「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」(2013年)、「3150万秒と、少し」(2013年)、「リトルショップ・オブ・ホラーズ」(2012年)、「CLUB SEVEN」(2011~15年)、「新春戦国鍋祭~あんまり近づきすぎると斬られちゃうよ~」(2011年)、「PIPPIN」(2007、08年)、ミュージカル「テニスの王子様」(2005~08年) 映画/「王様とボク」(2012年)、「カフェ代官山」シリーズ(2008~09年)  TV/「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」(2010~12年)、「侍戦隊シンケンジャー」(2009~10年) アニメ(声の出演)/「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」(2013年)、「新テニスの王子様」(2012年)
【HP】 http://www.grand-arts.com/
【ブログ】 http://ga-aiba.jugem.jp/
【Twitter】@aibatchi

 

+++ 今後の出演舞台 +++
4s■SHOW CLUB「GEM CLUB」
公演期間:上演中~4月1日(金)
会場:東京・シアタークリエ
全国公演スケジュール:4月8日(金)~4月10日(日) 大阪・サンケイホールブリーゼ、4月11日(月) 愛知・愛知県芸術劇場 大ホール
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.tohostage.com/gem_club/

 

 

 

IMG_9287_s■「朗読劇 私の頭の中の消しゴム 8th letter」
公演期間:4月27日(水)~5月8日(日)
※相葉の出演日は5月1日(日)、8日(日)

会場:東京・天王洲 銀河劇場
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト:http://keshigomu.info/index.html

 

相葉裕樹&日笠陽子

 

 

■ミュージカル「グレイト・ギャツビー」
公演期間:7月2日(土)~7月10日(日)
会場:東京・サンシャイン劇場
全国公演スケジュール:7月13日(水) 愛知・芸術創造センター、7月15日(金)~17(日) 京都・ロームシアター(サウスホール)、7/23(土)・24(日) 兵庫・新神戸オリエンタル劇場
>>参照サイト:http://www.shochiku.co.jp/play/others/schedule/2016/7/post_284.php

 

 

デキメン列伝【第13回】安西慎太郎

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第13回】安西慎太郎 SHINTARO ANZAI
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誰かの人生に影響を与えるような

演技ができる役者になりたい


Writer’s view

上手いなと思う俳優ほど謙虚という法則がある気がします。ただそれは、その人がもともと特別に謙虚なわけではなく、環境がそうさせる面もあるのだと気づきました。自分より優れた人たちに囲まれていれば当然そうなるし、常に上を見ているから、目標値もおのずと高くなる。だから若い俳優こそ栄養価の高い超一流の現場を経験するのが望ましいけれど、チャンスをつかむのはなかなか難しいこと。「アルカディア」でその最高の機会を得たのが、22歳の安西慎太郎さんです。

取材・文/武田吏都

 

――現在、「アルカディア」(Bunkamuraシアターコクーンにて4/30まで。5/4から森ノ宮ピロティホールで大阪公演あり)の本番中ですね。優れた舞台をたくさん手掛けてきたシス・カンパニーの製作で、世界的劇作家トム・ストッパードの最高傑作を、日本を代表する演出家・栗山民也さんが演出。共演者も堤真一さん、寺島しのぶさんはじめ、井上芳雄さん、浦井健治さん……と豪華な顔ぶれで、開幕前から大きな話題を集めていた作品です。安西さんにとっては何にも代えがたい経験の真っ只中ではないかと思いますが、この舞台に立っている現在の心境は?

安西 毎日が大冒険というか、自分が知らないことや出会いが稽古中からとてもいろいろあって、本番に入っても毎日ワクワクしながら舞台に立っています。今回、“相手のためにお芝居をする”ということをすごく学びまして。「アルカディア」で特にたくさん絡むのが、堤さん、しのぶさん、浦井さんといった方々なんですけど、皆さん本番前や終わった後に、「あそこやりにくくない?」とか「あのシーンをこうしたいんだけど、対応できる?」とか声を掛けてくれて、相手役の僕のこともちゃんと観てくださっているんですよね。同じ目線で相手のことも考えて自分の役を演じるっていうのがすごく大切なことだなと、改めて気づきました。それに、ベテランの方たちが早い時間に劇場入りをして、たくさん練習をされてるんです。本番前に台詞の確認をお互いにしたり、今日はこういう感じでいこう、ここを目指そうっていうのが毎日あって、そういうのがすごいなと間近で見て感じています。役者として、当たり前なことなのかもしれないんですけど。

 

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「アルカディア」(2016年) 撮影/加藤孝

 

――この作品に出演することになったときの率直な感想は?

安西 やっぱり一番は「ビックリ」でした。もちろん知っている方たちばかりで、この方たちと芝居を作り上げるということが、頭の中で考えただけでもすごくうれしかったです。選んでいただいた限りは自分の持っている全てのもの以上を出さないといけないなって、最初にお聞きしたときに思いました。

 

――栗山さんの演出を受けることができるという点については?

安西 栗山さん演出の「アドルフに告ぐ」(2015年)を観て、いつかご一緒してみたいと思っていました。あれからちょうど1年ぐらい経って、今実際にやれているっていう……。毎日、栗山さんからいろんな言葉をもらっていることが幸せでしかないというか。いろんなことを含めて「アルカディア」という作品に携われていることが本当にうれしいですし、楽しいですし、幸せだなと思っています。

 

――表情からも、その気持ちは伝わってきます。役についてなど、「アルカディア」のことはまた後ほどお聞きするとして。現在22歳の安西さんが、俳優という職業に就いた経緯を教えてください。

安西 まず中学まで野球をやっていたんですけど、ケガをして辞めてしまって。

 

――プロフィールに“シニアリーグ 関東大会ベスト8”とあるので、趣味というよりは本格的にやっていたんですね。

安西 野球への夢は絶たれてしまい、高校はパフォーマンスコースのある学校に入りました。そこで演技や歌やダンスや殺陣をやっていたんですけど、このコースでプロを目指す人は全体の3、4割で、僕も入ったときは全く目指していませんでした。学校に入ったきっかけは、そのコースの先輩たちのパフォーマンスを見たときにすごく輝いていて、自分もこういう人間になりたいなって単純に思ったから。で、学校に入ると、幼稚園や養護学校に交流をしに行く機会が多かったんですよね。そうして子供と接するうちに子供がすごく好きなことに気づいて、保育士になろうと思いました。でもあるとき「ギルバート・グレイプ」という映画と出会って、レオナルド・ディカプリオの演技にものすごい衝撃を受けたんです。そこで初めて、自分も本格的に演技がしてみたいと思いました。

 

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――補足しますと、「ギルバート・グレイプ」は1993年の映画で、ディカプリオは当時まだ10代でしたね。ジョニー・デップと兄弟役で、知的障害を持つ弟を演じて、アカデミー賞にもノミネートされました。世界中の多くの人が彼を知るきっかけになった映画です。感動したというだけじゃなくて、「俳優になりたい」とまで思わせた強い衝撃は、どういったものだったんでしょう?

安西 「ギルバート・グレイプ」を観るまで、映画とかほとんど観ていなかったんです。というのもあって、最初にあの映画を観たとき、内容とかをすごく理解していたかっていうとたぶんそうでもなくて。だから物語以外のところで感銘を受けたんだと思います。言葉の向こう側、じゃないですけど。一番大きな衝撃を受けたのは、やっぱりディカプリオ。僕何も知らないので、役ではなく、本当に障害のある方なのかななんて思っていたんです。で、調べてみたら今でいうイケメン俳優というか、そっち路線の人だって知って「え!?」ってなって。「何それ、ズルいわ!」と思ったんですよね(笑)。同時に、「これって面白い。人を演じるってこんなにも素敵なことなんだ」って思いました。僕は昔から、「負けたくない」って気持ちが人一倍強くて。それまでは保育士になることしか考えていなかったんですけど、俳優と保育士を比べたとき、保育士は勝ち負けとかは関係ないけど、俳優は本当に実力がなければ勝ち残れない世界だなと思って。当時の自分にはそっちの方が魅力的だなと感じたんです。デンジャーな道だけど、人生は1回しかないし、そこに踏み出してみた方がいいんじゃないかって。

 

――俳優の仕事に興味を持ち始めた頃、現在の事務所にタイミング良くスカウトされた?

安西 学校の舞台を観て声を掛けていただいたんですけど、最初は確か2年生のときだったんです。当時は保育士になりたかったから、「うーん……」という感じで。でも3年の終わり頃にご挨拶したときはもう役者になりたいという気持ちになっていたので、運の巡り合わせというか。

 

――「ギルバート・グレイプ」を観たのはいつですか?

安西 3年生の夏ぐらいです。

 

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――ではそれがもうちょっと遅かったら、安西さんは首を縦に振らず、保育士になっていたかもしれないと。事務所さんにとっては、ディカプリオ様様ですね(笑)。

安西 ほんと、いい意味で自分はディカプリオに人生を変えられたみたいなところがあります。それにちょっと運命を感じているのは、僕「ギルバート・グレイプ」が作られたのと同じ1993年生まれなんです(笑)。

 

――そして俳優としてのデビューは青山円形劇場での「コーパス・クリスティ 聖骸」(2012年)。“キリストが現代のアメリカでゲイの若者として育ったら”という設定の翻訳劇で、安西さんが初めて出会った演出家は青井陽治さんでした。

安西 霊にとりつかれる役とか、ずっと「ファッ●ユー!」って言ってるような役とか(笑)複数の役をやりました。高校で芝居を少しやっていたとはいえ全然環境が違って、いろんなことが一切わからなくて「どうしよう」ってなっていたとき、青井さんや共演者の方が、すごくよくしてくださって。特に青井さんは今でも舞台とか観に来てくださるんですけど、当時からすごく、役者が演じることに対して真剣に見て、いろいろなものを与えてくれる方でした。そういう風に見てくれる人たちがいるならば、どれだけヘタであってもダメと言われようと、自分が思ったこと感じたことをやってみようっていう気持ちは、そこから始まっています。だから初めてが「コーパス・クリスティ~」じゃなかったとしたら、今の自分はたぶんないなってすごく思うんですよね。

 

――言わば素人同然の18歳の少年に対して、青井さんは頭ごなしに否定したりせず、一俳優としてちゃんと向き合ってくださったんですね。

安西 そうなんです。褒められたというわけじゃないんですけど、僕が持っているものや演じることへの考え方とかアプローチを大切にしてくれて。僕の「こう思ったんですけど」ということに対して、「甘いよ」みたいに返すのではなく、ちゃんと一緒になって考えてくださった。その光景は頭に残っていますし、あのときの経験が今でも生きてるなと思います。

 

――演出家というところでいえば、舞台4本目の「エドワード二世」(2013年)で、早くも森新太郎さんの演出も経験しています。その「エドワード二世」でも読売演劇大賞の最優秀作品賞と最優秀演出家賞を受賞している気鋭の演出家さんですが。ちなみに、あの作品で演じた皇太子役を「アルカディア」のプロデューサーさんがご覧になっていたという縁も、今回の出演のきっかけとしてあるようですね。

安西 「エドワード二世」では森さんにとても引き出してもらったなっていう感覚がありますね。「エネルギーをどんどん輝かして飛ばして」って言われたことを、すごく覚えています。最後、モーティマーの首を刺して持ち上げるシーンがあるんですけど、「表情や気持ちは好きにやっていい。今の自分が持っている感性を、作らないで素直に表現して」って。森さんマジックというか(笑)、そういう言葉があったからこそ、当時ああいう風にできたのかなと思います。

 

――俳優として最初に飛び込んだフィールドが舞台だったことは、ご自身としてどうでしたか? 「ギルバート・グレイプ」がきっかけであれば、例えば映画への憧れが強かったりは?

安西 そういうことは特になかったですね。ジャンルは関係なく、とにかく何か演じたい。ほんとにその一心でした。もちろん、映画には憧れます(笑)。でも当時も今も、自分の実力でディカプリオみたいに観る人に何かを与えられるかっていったらそうではないし、まだまだ足元にも及ばない。だから今は焦らず長い期間をかけて実力をつけて、いつか彼のように何かを与えられる人になれればという風に思っているんですけど。

 

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――ディカプリオは安西さんの中で本当に大きな存在なんですね。彼みたいな俳優を目指しているという受け止め方でいいんでしょうか?

安西 ディカプリオに対して一番思うのは、やっぱり“自分を変えてくれた人”ということ。それは演技が素晴らしいからというのはもちろんあるんですけど、でも目標としているかというとちょっと違うのかも。いろんな映画を観たりすると、「あー、この人もいいな」とか、ちょっと浮気みたいな感情が(笑)。それでいうと、ケビン・スペイシーとクリスチャン・ベールの演技はやっぱり圧巻だなって思います。ディカプリオに対しては演技以外の感覚も含まれちゃうんですけど、単純に演技だけでいうと、僕はこの2人ですね。ケビン・スペイシーは「ユージュアル・サスペクツ」、クリスチャン・ベールは「ザ・ファイター」「マシニスト」あたりがすごく印象に残っていて。特にベールの役作りの仕方は、その役ごとに体重を減らしたり増やしたり、髪の毛を抜いたり歯を抜いたりっていう。演じる以前の、役に対する気持ちや責任感をすごく感じます。それが実際の演技を見たときに感じる、「この人はほんとにお芝居が好きなんだな」っていうところにつながるんだと思いますね。

 

――体全体を改造していくような非常に徹底した役作りを“デ・ニーロ・アプローチ”と呼んだりしますが、そういう、いわゆる“カメレオン俳優”たちにやはり憧れる?

安西 僕の感覚ですけど……他者にはなれないと思っているんですよね。ただ、“寄る”ことはできる。お芝居って、それまで生きてきた環境とか経験が本当に物を言うもので、やっぱりどこかで自分というか、自分の中に眠る感情がすごく出ちゃうと思うんですよ。もちろん、それがいい方向に働かなきゃいけないんですけど。だから完全に役になりきってしまうカメレオン俳優っているのかなっていうか、やっぱり自分自身が出ると思っているから……。

 

――意志的に、自分を消そうとするタイプではない?

安西 ではないと思います。自分を消すってイコール、僕の中では自分にフィルターをかけて嘘をつくって感覚があるんですよね。演技のことをまだ全然わかっていない者の意見ではあるんですけど……。ただ僕はフィルターをかけるよりは外して、もちろん自分としてやるわけではないけれど、経験とかを全て出した方が、自分の場合は役が魅力的に見えるのかなと思います。

 

――知名度を上げた「テニミュ」(=ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン)など2.5次元作品にもいくつか出演していますが、その場合も同じ感覚ですか?

安西 2.5次元のキャラクターの場合は、逆になるべく自分を出さないようにします。とにかくキャラクターを尊重するタイプだと思いますね。最初の2.5次元は「テニミュ」だったんですけど、原作のイメージはもちろん、僕の前に同じ役(白石蔵ノ介)をやった先輩がお二方いらして。かつ、当時は僕のことなんて誰も知らない状態だったから、そんな中で自分の良さを生かす、とかいうのはちょっと違うなと思っていて。お客さんはあくまでその作品の中で生きているキャラクターを観に来ている。コピーというと言い過ぎですけど、そのくらいキャラクターをとらえた上でやろうと思っていました。そう思ってもたぶん自然と、自分って出ちゃうんですよね。キャラクターにかなり寄せた部分と、そのちょっと醸し出ちゃうぐらいの自分が、ちょうどいいバランスじゃないかなって。

 

――今は2.5次元作品からキャリアを出発する若手男優が多いですが、安西さんは逆パターンというか、青井さんや森さんの演出を経てからの2.5次元だったんですね。安西さんの演技は他の同世代の男優に比べてちょっとタイプが違う印象が私にはあるんですが、そういうルートの違いみたいなものも影響しているのかも、とちょっと思いました。

安西 2.5次元のキャラクターはもともとは絵で、この世に存在しないものなんですけど、僕はそれを人間化したいというか、ほんとに生きているものとしてとらえたいなと思っているんです。大好きな漫画やアニメのキャラクターが本当にそっくりだったり、それ以上のものが出てきたときにいろんな感動を与えられるのが2.5次元だなという風に思っていて。「アルカディア」のような演劇と2.5次元作品は異なるフィールドではあるかもしれないけど、いろんな感動を与えられるという面では一緒だと思っています。だから、それぞれの場所で輝きたいんですよね。演劇はできるけど2.5次元はできないとか、逆に2.5次元はできるけど演劇はできないとかいうのではなく。

 

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――最近の作品だと鈴木勝秀さんが演出した主演作「僕のリヴァ・る」(2016年)が印象的でした。キャストは4人だけの3話オムニバス。かつ、あのようにセットはほぼ何もないシンプルなステージは、あまり経験がなかったのでは?

安西 そうですね。初舞台の円形のときもそうだったんですけど、周りをお客さんに囲まれているステージはやっぱり緊張はします。でも隙なく演じられるというか、逆にどこかで隙を見せるとやられるなっていうところで、すごくいい経験になりました。やっぱり、シンプルだからこその楽しさがありましたね。初期段階からスズカツさんが「考えることをやめるな」と言ってくださって、「どんなものでもいいから持ってこい」と。特にACT1は作品のプロローグでもあると思うから、ここでお客さんの空気をつかまないとっていうところで、ギャグというわけではないんですけどネタみたいなものを、(小林)且弥さんと毎日喫茶店で考えました。それをスズカツさんに披露して笑わせてやろう、みたいな(笑)。スズカツさんはそれに対して、ほんとにはっきり○×を言ってくれるんです。あと「リヴァ・る」は、初共演だった鈴木拡樹くんのこともすごく印象に残っていて。

 

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「僕のリヴァ・る」(2016年) 撮影/阿部章仁

 

――鈴木拡樹さんとは6月に控えるDisGOONie「Sin of Sleeping Snow」で、今度は時代劇での再共演が決まっていますね。

安西 いろんな方から「彼の演技はすごいよ」って聞いていたんですけど、想像を遥かに超えるものがありました。何がすごいかって、さっき僕が言っていたフィルターをかけないというところなのかなと思います。2.5次元を多くやられていますけど、拡樹くんとしゃべっているときに一番印象的だったのは、「僕は役の根っこに生えているものをつかまえる作業をしてる」と。それは2.5次元でも普通の演劇でも変わらないという風におっしゃってて。考え方は僕と一緒なんですけど、なんか改めて新鮮に感じました。

 

――ではまた「アルカディア」について。安西さんは現代の登場人物のガスと、19世紀の登場人物のオーガスタスの2役。この2つの役を同じ俳優が演じることは、戯曲で指定されています。実際に演じる安西さんも、作者がそこに託した意味を探るところから始まったのでは?

安西 そうなんです。栗山さんと話している中でも、「正直、ガスとオーガスタスを別の役者にやらせても特に問題はなさそうなのに、そこを一人の役者にやらせる意味ってなんだろうね?」と。じゃあ、同じ場所での現代と200年前を描いているこの物語の中で、体や形は変わっても魂だけ残っているとしたら、一人の人間が演じる意味があるんじゃないかと。それがお客さんに伝わるかどうかは別として、そういう風にはとらえてやっています。

 

――ただ、やんちゃな感じのオーガスタスと、一言も言葉を発しない繊細なガスとではキャラクターが真逆なくらい違いますよね。

安西 全体の5分の4くらいはガスとして出ていて全くしゃべらなかったのに、オーガスタスとして出てきたら急にしゃべるから、たぶんお客さんはびっくりしますよね。「しゃべった!」って(笑)。

 

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「アルカディア」(2016年) 撮影/加藤孝

 

――ガスは言葉で表現できない部分が非常に難しいだろうと、観ていて感じました。

安西 稽古に入ったぐらいのとき、栗山さんや堤さんが「自己表現を強くしすぎない」ということを伝えてくださって。ガスはしゃべらないからには何か表現をしなきゃいけないんですけど、でも表現しすぎちゃってそっち(ガス)に目が行ってしまうと、情報量がすごく多いこの舞台においては、大事な情報を見逃しちゃう場合があるので。どこまでガスという人間を表現して、でもここは抑えるというそのバランス感が今回すごく難しいです。

 

――しゃべらないからこそ、別の方法で表現したくなるのが普通でしょうし。

安西 そうなんです。だから稽古のときには、まず広げてからちっちゃくしていこうと思っていました。いろいろ表現して、そこまでやったら違うだろうというぐらいのところから徐々にこう、狭くしていく。で、栗山さんがそこだとおっしゃるところに収めて、その範囲内からアプローチしていくという、そういう形で作り上げていきました。

 

――広げてからちっちゃく、というのは栗山さんのアドバイスですか?

安西 いえ、栗山さんはガスのイメージをよく「この世のものとは思えない妖精のように」とか、「空を飛ぶ小鳥のように」っておっしゃていたんですけど、それが僕にはちょっと範囲が広すぎる感じがしてしまって(笑)。なので、せっかくこの素晴らしい環境でやらせていただくんだから、失敗というかチャレンジをたくさんしていこうと思って、いろいろ試すことから始めました。そうするうちに、こうだなっていうのがどんどん見えてきた感じです。ただ正直な話、ガスって謎だらけで、観る人によって全然解釈が違うなと感じていて。しのぶさん演じるハンナのことが好きっていうのはあるけど、じゃあなぜ好きなんだろうっていう根本の部分であるとか。それを伝えるには、言葉を使えないガスは何かアクションをしなきゃいけないんですけど、でもそれをしすぎてしまうとお客さんの中で単純な「なるほど」で完結してしまって、ガスという役が魅力的ではなくなってしまう。そうなると、すごくもったいないなと感じるし。だからこちら側で何か完結したものを提示するより、お客さんに謎を解いてもらうみたいな方が、今回の場合は面白いんじゃないかと。「なぜあのときリンゴを渡したの?」とか「なぜずっと葉っぱを見てるの?」とか、わからないことにお客さんがモヤモヤッとするんじゃなく、ワクワクしてもらえるといいなと思っているんですけど。

 

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「アルカディア」(2016年) 撮影/加藤孝

 

――ガスの何気ないアクションでの印象的なシーンはいくつもありますよね。例えば、手をパーンと叩くところとか。あそこは戯曲のト書きにはなかったような?

安西 ないです。あそこはヴァレンティン(浦井)とクロエ(初音映莉子)が連続してハケていくというシーンで、最後にハケる僕は完全にオチだなと思ったんです(笑)。だから稽古場でも何かしたいと思いつつ、いつも何もせずにハケていたんですけど、それを察したのか栗山さんが、「何かしたいならしていいよ」と言ってくれて。でも思いつかずにいたら、栗山さんが「ガスが苦手な“音”をあえて出してみて」と。足でドンッてするのも考えたんですけど、これはいろんな人がやっているし、ちょっと違うなと思ったんですよね。もっと耳に近いところで音を立てたいなと思って、手をパーン!と叩いたら、「それにしようか」と。ギャグでしかないような感じもありますけど(笑)。

 

――でもあの笑いと緩和があるから、観客とガスの距離が少し縮まる感覚があります。

安西 そうなんですよね。なんかお客さんを味方につけないと、「彼はなんだったんだろう?」っていう謎のままで終わっちゃうような気もして。表現しすぎないというのがありつつ、お客さんの心を引く瞬間をいくつか提示しておかないと、最後のシーンもきっと美しくならないんじゃないかと思ったし。だからガスの場合は一瞬一瞬がわりと勝負で、タイミングを外さず「そこだ!」ってところでアクションを入れないとならないし、ああいう一見ギャグのようなシーンも真剣に大切にやっています。

 

――そして非常に印象的なのが、今ちょっと触れていたラストシーンです。これから観劇の方のために多少ぼやかしますが、寺島しのぶさん演じるハンナとの、本当に美しい場面ですね。

安西 稽古中もずっと“混沌”というワードが飛び交っていたんですけど、始まりからどんどん加速していって、あの作品に出てくる具体的なモノとか気持ちであるとか、いろんなことが全部混沌となった末に、あのシーンで現在と過去が完全に一緒になるんです。その最後の瞬間を客観的に観てみたいっていうのは、観られないけど思いますね(笑)。でもしのぶさんとああいうことができるっていうのは、まずない経験じゃないですか。最初は手を握るのも緊張しちゃって。手汗がすごかったです(笑)。しのぶさんも「練習したいときはいつでも付き合うから」って声を掛けてくださったり、とてもよくしてくれて。お互いの意見交換もしっかりできていますし、本当に夢のようです。ガスとしても安西慎太郎としても、いつも夢のように気持ちよく終われています(笑)。

 

――来月に千秋楽を迎えたとき、「アルカディア」は安西さんにとってどんな作品になっていると思いますか?

安西 いい意味での緊張感やワクワクする気持ちが、最初の稽古のときから今もずっと継続されていて。その中で聞いたいろんな話とか演技で直で受けたこととか、そういう経験は体にしみ込んだり脳内に刻み込まれると思うので、これから先も演技をやっていく中で、かなり大きな財産になるのは間違いないです。とはいえまだ終わっていないので、最初に“大冒険”って言いましたけど、1回1回の公演でいろんなものを拾って、最後までたどり着きたいですね。実は……「アルカディア」も1993年初演なんですよ。

 

――素敵です! 同じ年生まれの「ギルバート・グレイプ」と「アルカディア」は、安西さんの中にいつまでも残る“運命の作品”にきっとなるでしょうね。

 

デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
人によって解釈はもちろん違うんですが、僕自身は特に内面のイケメンでありたいと思っています。だから内面を磨くには外見も磨かなきゃだし、その逆も。常に、心身ともにイケメンと言われるようにしていきたいです。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
事務所の先輩の成河さん。お芝居のエネルギー、身体能力、自在性……ほかにも数え切れないほどの魅力がありますが、一番感じるのは“演劇を愛している”ということ。「芝居、大好きだよ。とにかくずっと考えてる」とおっしゃってて、僕もそんな役者でありたい。憧れの存在です。
インタビューで話した鈴木拡樹くんも、ちょっと格が違う感じがします。人柄もすごく素敵ですし、欠点がない役者さんだなって思いますね。

Q.「いい俳優」とは?
人に影響を与えられる俳優。
僕がディカプリオに影響を受けて役者を志したように、自分も何かしらの形で人の人生に影響を与えられる俳優でありたい。もちろんその根本には、「芝居が好きだから」という気持ちがあります。

 

マネージャーから見た「安西慎太郎」

素顔はとても天然なキャラで、イマドキな感じはなく、とにかくアナログ……。しかし、お芝居のことに関しては、集中力と瞬発力を発揮します!
これからも人との繋がりを大切に、いろいろな役にチャレンジさせ、感情表現させたいと思っています。

(スペースクラフト・エンタテインメント株式会社 担当マネージャー)

 


Profile
安西慎太郎 あんざい・しんたろう
1993年12月16日生まれ、神奈川県出身。A型。2012年、舞台「コーパス・クリスティ 聖骸」で俳優デビュー。翌年、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズンに白石蔵ノ介役で出演し、人気と知名度を高める。キャリア4年ながら多くの舞台に出演し、主演作も多数。
【代表作】舞台/「僕のリヴァ・る」主演(2016年)、「晦日明治座納め・る祭」(2015年)、「武士白虎 もののふ白き虎」主演(2015年)、舞台「K」第二章-AROUSAL OF KING-(2015年)、「滝口炎上」(2015年)、「戦国無双~関ヶ原の章~」主演(2015年)、「ドン・ドラキュラ」(2015年)、舞台版「心霊探偵八雲 祈りの柩」(2015年)、「聖☆明治座・るの祭典~あんまりカブると怒られちゃうよ~」(2014年)、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン(2013~14年)、「エドワード二世」(2013年)、「合唱ブラボー!~ブラボー大作戦~」(2013年)、WBB「川崎ガリバー」(2013年)、「コーパス・クリスティ 聖骸」(2012年) TV/「アリスの棘」(2014年)
【HP】 http://www.spacecraft.co.jp/anzai_shintaro/
【ブログ】 http://ameblo.jp/anzai-shintaro/

 

+++ 今後の出演・参加舞台 +++
4s■「アルカディア」
公演期間:上演中~4月30日(土)
会場:東京・Bunkamuraシアターコクーン
大阪公演スケジュール:5月4日(水・祝)~5月8日(日) 大阪・森ノ宮ピロティホール
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.siscompany.com/arcadia/

 

 

□「晦日明治座納め・る祭~将の器~」上映会イベント
公演期間:東京・5月8日(日) 大阪・5月14日(土)
会場:東京・有楽町朝日ホール 大阪・サンケイホールブリーゼ
※安西慎太郎の出演は大阪公演のみ
>>参照サイト:http://le-himawari.co.jp/releases/view/00595

 

 

IMG_9287_s■DisGOONie Presents「Sin of Sleeping Snow」
公演期間:6月9日(木)~6月12日(日)
会場:東京・Zeppブルーシアター六本木
>>公式サイト:http://disgoonie.jp/stage/vol3/

 

 

□舞台「戦国無双」~四国遠征の章~
公演期間:6月29日(水)~7月4日(日) ※安西慎太郎は声の出演
会場:東京・AiiA 2.5 Theater Tokyo
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.marv.jp/special/stage-musou/

 

 

□もののふシリーズ「瞑るおおかみ黒き鴨」
※安西慎太郎は9月4日(日)夜公演のアフタートークのみの参加
公演期間:9月1日(木)~9月11日(日)
会場:東京・天王洲 銀河劇場
全国公演スケジュール:9月19日(月・祝)・9月20日(火) 大阪・森ノ宮ピロティホール、9月22日(木・祝) 福岡・北九州芸術劇場 大ホール
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.mononofu-stage.com/

 

 

IMG_9287_s■「幽霊」
公演期間:9月29日(木)~10月10日(月・祝)
会場:東京・紀伊國屋ホール
全国公演スケジュール:10月13日(木)・10月14日(金) 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
>>参照サイト:http://www.stagegate.jp/

 

 

デキメン列伝【第14回】鈴木勝吾

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第14回】鈴木勝吾 SHOGO SUZUKI
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「サボるな」「もっと!」ということを叩き直されました


Writer’s view

生で目撃する舞台では、「この俳優さん、いま波にノッてるな」という“快進撃”を体感する機会がままあります。現在27歳の鈴木勝吾さんは、まさにその真っ只中にいる人ではないでしょうか。特に2014年の初主演舞台ぐらいからの活躍が目覚しいのですが、さかのぼってそれ以前の映像作品などを見ると、雰囲気も顔つきも大きく違うことに驚かされます。俳優としてだけでなく、人間・鈴木勝吾としても何か転機が? 本番中の多忙な中にお時間をいただき、その真相を探ってきました。

取材・文/武田吏都

 

――WBB「懲悪バスターズ」東京公演の初日が明けたばかりのタイミングでインタビューをさせていただいています。幕が開いての感触は?

鈴木 もともとWBB(佐野瑞樹、佐野大樹兄弟によるプロデュース公演)を応援してくださっている人たちが初日は特に多いと思うので、温かい中でいい初日が開いたなって感じがありました。コメディなので、笑いにたくさん助けてもらいながら。

 

――私は初日前の、客席は関係者やマスコミのみのゲネプロで観たのですが、ああいうコメディはお客さんの反応があるかないかで、演じる方の感覚も相当違うでしょうね。

鈴木 もちろん舞台ってこっち側だけが提示するものではないんですけど、特に今回は笑いや間なんかが、こっちの芝居にすごく影響するような作品だなっていうのを改めて感じました。稽古場はお客さんもいないので、こうでいいのかなと思ったこともあったんですけど、演出の(佐野)大樹さんがコメディとしての間だったりテンポだったりをずっと注意して言ってくださっていたんです。それを稽古のときから守っていて。で、実際にお客さんが入って真実味が出たというか、輪郭として見えていたものの中に、中身がちゃんと詰まったかなという感じです。

 

――鈴木さんが演じているのはアミットという悪霊。といってもおどろおどろしいものではなくて、落ちこぼれのポップなキャラクターですよね。まず、あの作り込んだビジュアルに驚きました。今も指先のマニキュアにアミットの名残がありますが。

鈴木 劇場行って、またちゃんと塗り直そうと思って(笑)。あのビジュアルが決まった段階で、「あ、こういう感じなんだ。じゃあ、こうしよう」っていうのはやっぱり何か自分の中で決まりましたね。「なるほど、なるほど」みたいな。アミットに対してなんとなくのイメージとしてあったものが、「この衣裳でこのメイクってことはこういうことですよね?」って作業に変わったので。要は“悪霊”って存在が最初よくわからなくて、どう人間と違う感じでいようかってことをずっと考えていたんですけど、作り手が描いているものから拾っていく作業が一番近かった。で、何も言われなかったから(笑)、作り手と僕のイメージに、あまりズレはなかったと思っています。

 

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――客席から観ていて、アミットというよりは鈴木さんがすごく“引っ張っていってる”ような印象を受けたんですが、演じている役柄ゆえなのか、意図的なのかが知りたいなと。

鈴木 そうですね、僕が最初にホンを読んだ印象がそれだったので。「うーわ、これ回さなきゃいけない」っていうか。それは最低限の裏の役割で、そこに役としての旨み――甘いでも辛いでも苦いでも、をどう出していくか。どんな作品でも、役割と役柄は絶対あるんですけど、今回はコメディかつこういう役だったので、役割に役柄を乗っけていくことの大変さは、顕著にありました。特に僕はあんまりコメディをやる機会がなかったので、例えて言うなら自分の使っていない筋肉を使ったというか、また新しい演劇に出会ったって感じが一番強いですね。

 

――コメディをあまりやってこなかったというのはたまたま?

鈴木 避けてきたわけじゃないんですけど、そういう機会がたまたまなかったというか……。僕の中でコメディは、“真剣にやってるから、結果面白い”という感覚です。そういう意味では、今回の作品はド定番の、ベタなヤツですよね。僕は芝居だったり恋愛だったり、ベタっていうのは好きなんですけど、ただ笑いに関してはそうではなかったのかな。やるというチョイスを自分ではしてこなかったから自然と、そういう作品に出会うこともなくて。

 

――例えば、どういうタイプのコメディが好きな傾向にありますか?

鈴木 西村雅彦さんと近藤芳正さんの「笑の大学」(1996年初演/脚本:三谷幸喜)とか。映像で見たんですけど、あれはめちゃくちゃ面白かったな。あと、大人計画さんとか。なんか面白いことをやるんじゃなくて、面白い人間がいるっていう。面白い人が、面白い話や行動をするんじゃなくて、その人にとって自然なことをやっているのが面白いっていうのが、やっぱり好きかなぁ。

 

――「結果、コメディでした」ぐらいの。

鈴木 そう! その人にとってはリアルっていう。でも大樹さんが最初に「キャラクター同士がどれだけ会話ができるか」っていうことを言っていたから、今回の作品も結局そうだと思うんですけど。ただ、「マンガっぽくしたい」とも言っていて。“会話をする”っていうのと、アニメ・マンガっぽいことを両立するのが、最初はすごく難しかったですね。完全にエンタメ色の作品を、どう“芝居”に昇華するか。役として1本通っていればいいとか、その場で成立していればいいってことでもなくて。そこが今回、楽しくもあり難しくもあり。だから途中からは「コメディって考えるのやめます」っていうか、アミットとして居ることだけを考えようと思いました。いつもみたいに役のバックボーンを勝手に考えてってというよりは、あの衣裳とメイクであの台詞を言う悪霊という設定だけを忠実にやろうという感じですかね。

 

――ダンスシーンもふんだんに盛り込まれていますよね。

鈴木 大樹さんの中には今回、派手なエンタメにしたいっていうのがあったみたいで。僕はダンスが得意な方ではないから、ダンスがあるって聞いたときも「うわ、どうしよ。ニガテなんですよ」って反応だったんですけど、今回でダンスに対する考え方が変わりました。今までダンスの正解っていうのがわからなくて、だからただ「できない」って思っていたんですけど、振付師さんというのは役者が役を背負って踊るから面白いということをちゃんとわかって、そこに重きを置いて振りをつけてくれている。つまり、ダンサーさんのように踊る必要はないんだってことが最近わかったんですよね。作品にもよると思いますけど、俺がダンスのある作品に入るときはそういうことなんだなって、ある意味、踏ん切りがついたというか。だから振りを間違えていいとかそういうことじゃなく、与えられたものはもちろん一生懸命やりますけど、きっぱりと「俺のダンスです」っていう(笑)。

 

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WBB「懲悪バスターズ」(2016年) ※写真右

 

――これから、神戸公演が控えています。関西のお客さんに何かメッセージをいただけますか。

鈴木 普段、東京で仕事をしている人間からすると、地方公演に行けるっていうのが、まずすごくうれしい。特に舞台は観に来ていただかないと観せられないものだから、持っていける、届けられる喜びというものがすごくあるんですよね。その喜びがまた作品力につながるようにと、僕だけじゃなくカンパニーみんなが改めて思っているので、作品を通じてそういう思いを感じていただけるように頑張ります。楽しみにしてください!

 

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WBB「懲悪バスターズ」(2016年)
※5/28・29に新神戸オリエンタル劇場で上演

 

――鈴木さんは2009年、大学生のときに「侍戦隊シンケンジャー」のシンケングリーン/谷千明役でデビュー。いきなりスーパー戦隊の一員というのは、恵まれたデビューですね。

鈴木 恵まれてます。奇跡でしょうね(笑)。

 

――そもそも、俳優になろうと思ったきっかけは?

鈴木 単純に、憧れがあったんです。ドラマとか、楽しいじゃないですか。カッコいいじゃないですか(笑)。「ウォーターボーイズ」みたいな青春やりたいし、キムタクみたいにアイスホッケーやって「maybe」とか言いたいし(笑)。

 

――なかなかのテレビっ子と見ました(笑)。

鈴木 ドラマとか映画とか、映像作品が大好きで。でも最初に言っておくと、芝居が好きってことではないんです。今思うとちょっと異常だなと思うのは、中二病的なところがあったっていうんですかね。「ハリー・ポッター」のふくろう便が実際に届くと思っていたし、「ドラゴンボール」のかめはめ波や気功砲もホントに出せるんじゃないか、みたいな。さすがにこの世界に入ったぐらいのときは、「ハリー・ポッター」は架空の世界で魔法使いはいないってわかってましたけど(笑)、「サンタさんはいる」みたいな感覚はずっとあって。つまり、芝居でその役をやりたいとかじゃなくて、“なりたかった”んですよね。例えば、中学の体育祭では俺がプールサイドでのダンスの振り起こしを全部して、「ウォーターボーイズ」をやったんです。さっきダンスは苦手だとか言いましたけど、あの青春がやりたかったから(笑)。っていうのと、俺が芝居する動機って変わらなくて。絵本の中やテレビの中に飛び込むっていう感覚っていうんですかね。すんごいシンプルです。子供の頃、ごっこ遊びもすごく好きでした。男の子のごっこ遊びなんてあれ、芝居とは思ってないんで。自分のこと、ほんとにヒーローだと思ってますから(笑)。

 

――「演じる」という言葉が鈴木さんの辞書にはなかったという感じでしょうか。

鈴木 わかりやすいことで言うと、この業界に入ってすぐ、好きでずっと見てたドラマのオーディションを受けに行ったとき、「うわ、そうか。あのドラマって役者がやってるんだ」って思ったんです。いや、さすがに18歳だったから、頭ではわかってるんですよ(笑)。でもやっぱり俺の中のどこかが素直に驚いたんですよね。

 

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――面白いですねえ……。では今うかがった感じだと、どのジャンルをやりたいとか、そういう意志はデビュー当時はなかった?

鈴木 全然。今みたいに舞台をやるようになるとは思ってなかったですし。

 

――初舞台は、「源氏物語songs大黒摩季~ボクは十二単に恋をする~」(2010年)。そこからコンスタントに舞台に立っていますが、個人的に非常に印象に残ったのが、「ロボ・ロボ」(2014年)のコック900(料理ロボット)役でした。その1本前には初主演舞台となったミュージカル 『薄桜鬼』 風間千景篇(2014年)がありましたし、その付近で何らかの種が蒔かれ、それが芽吹いて、昨年今年の快進撃につながっているのではないか、と勝手に感じていたんです。ズバリ、2014年あたりに何かありましたか?

鈴木 確かに「ロボ・ロボ」での芝居も好評をいただけて、周りからはやっぱり「風間篇」から変わったと言われます。その「風間篇」の前に、去年公開の映画「野良犬はダンスを踊る」を撮っているんですよね。その、窪田将治監督との出会いが大きくて。愛のある方で、「もっと!」「サボるな!」ってことを、僕ら若手に対してすごく教えてくださった。役作りの熱量、角度、深さ……いろんな言い方がありますけど、“人間を作る”ためにそういうことをもっと惜しみなくっていうのを叩き直されたんです。頭ではわかっていたしやっていたけど、“やってたつもり”だったってことに気づいたというか。その後の「風間篇」で目に見えて変わったっていうのは、窪田組で培ったものを存分に使わせてもらって、「『もっと!』ってなんだろう?」というのを探すようになった結果かなと思います。風間はずっとやってきた役で、それまでも別になんとなくやってたわけじゃないけど、原作があってこういう役だという風に作っていて。でも「風間篇」では、「彼の過去に何があって今こうなっているんだろう?」という考え方で、人間を1から作り直していった。でもそうした方が、原作ファンの方に「(原作の)風間に似ましたね」って言われたり。似せたわけではなかったんですけど、風間のことをより理解すればするほど、説得力がある人間がそこにひとつできるという楽しみを感じることができました。

 

――その「風間篇」は、鈴木さんにとって初の主演舞台。シリーズ1本目から出演しているミュージカル『薄桜鬼』という作品への思い入れも強いと思いますが、主演ということに気負いのようなものはありましたか?

鈴木 気負いはハンパなかったですね。でもだからといって何かしたわけではなかったし、先輩や後輩、スタッフさん、お客さんとかたくさんの人の力があって、ほんとにいろんなもののバランスで1個の作品が成り立っている。そこに、自分がいさせてもらえるんだなって改めて思いました。今かわいがっている後輩って松田凌とか宮崎秋人とか柏木佑介とか「薄桜鬼」のときのメンバーが多いんですけど、「風間篇」のときは松田が「薄桜鬼」を卒業するかどうかというタイミングだったんですよね。でも俺の座長公演だから絶対に出たいとマネージャーさんにも言ってくれて、「出られるんです!」っていうときの喜びとか……。「勝吾くんは勝吾くんらしくやってください。僕らは背中を見て着いていきますから」って、クッサい台詞をちゃんと言ってくれた彼らの青さや思いもすごくうれしかったし。そして本番では、この公演のために、つまりは座長である俺のためにみんながグンッと上がった瞬間を見ました。自分で言うようなことじゃないかもしれないけど……あのとき「風間篇」を応援してくれたファンのために話します。それまで風間という、無冠というかちょっと独特のポジションを全員とマッチアップしながら、自分ではやるべきことを淡々とやってきたと思っていたんですけど、「やってきたことはやっぱり間違ってなかった」って。だから、周りのみんなに座長にしてもらった座長でした。座長だから自分が一番オイシイとかじゃなく、作品のためにちゃんと全うするということを忘れずに人一倍やっていれば周りは見ていてくれて、それが作品力になり、自分の人間力や芝居力にもなるっていうのを如実に感じたのが「風間篇」でした。

 

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ミュージカル 『薄桜鬼』 風間千景 篇(2014年)
©アイディアファクトリー・デザインファクトリー/ミュージカル『薄桜鬼』製作委員会

 

――そんな「風間篇」を経ての「ロボ・ロボ」。鈴木さんが演じたコック役の何が印象的だったかというと、“明るさ”でした。血の通わないロボットの役なので、明るいといってもそんな単純な話ではないのですが、人間的にもあのままの明るい方なのか、そうではないから演じることができたのかなど、いろいろ想像させられたほどでした。

鈴木 ありがとうございます。演出の(西田)シャトナーさんにも言われましたね。「コックで勝吾くんに出会ったから、『小林少年』をやれた。やれる役者を探してたんだ」って。

 

――補足しますと、鈴木さんは「ロボ・ロボ」の後に、同じ西田シャトナーさん演出の「小林少年とピストル」(2015年)で主演。明智小五郎の弟子の、小学5年生の少年探偵役でした。言われてみれば、ロボットと少年には根本的に共通する部分がある気がします。

鈴木 小林少年はやっぱり子供だから、心が老いたり渇いたりしわくちゃになった人間よりもピュアというか、シンプルじゃないですか。コックの役作りも、俺の中では本当にシンプルだったんです。台詞を読んでいるとちょっと能天気でずっと笑っているイメージがあったから、ああいう風になりました。悲しくてもなんでもずっと笑っているのがフォーマットであるというか。人間の場合は何重にも複雑なんですけど、コックはロボットだからひとつの目的のためだけに存在していて、一色だった。だからロボットを演じるって、役作りの基礎みたいなところがありましたね。それにどれだけなれるかっていう。また“サボらない”という話になるんですけど(笑)。

 

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「ロボ・ロボ」(2014年)

 

――「サボるな」という言葉で覚醒をして、ロボットを演じるという基礎に触れ。2014年はある意味、鈴木さんが俳優としての再生をしたタイミングだったのかなと、うかがっていて感じました。

鈴木 そうかもしれないです、うん。

 

――あと、特筆すべきは“声”ですね。やはりあのスコーンと通る高い声は、特に舞台をやるにあたっては素晴らしい武器だと思います。

鈴木 今でこそわかるのは、楽器としてすごく恵まれているということ。声帯も丈夫だし、高音を出すという意味においては、頭の骨格にも恵まれているんです。歌の先生に「あなたは(頭の骨に)当てれば(高音が)出るんだから」って言われたんですけど、普通はトレーニングしなきゃ出ないし、日本人にはあまりいないって聞きました。

 

――歌うことは昔からやってきていたんですか?

鈴木 歌うことは大好きでした。音楽の授業でも、楽器は大嫌いだったけど、合唱とかは好き。でもトレーニングは全然してこなかったし、ただ好きなだけで。

 

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――歌う仕事としてはこれまでの集大成、かつこれからの始まりかなと感じたのが、3月のミュージカル「Color of Life」。日本人クリエイターの作った男女2人ミュージカルで、オフ・オフ・ブロードウェイの国際演劇祭で最優秀ミュージカル作品賞などを受賞。それが初めて日本で上演されるという逆輸入的なミュージカルでした。鈴木さんの中には、どんな作品として残っていますか?

鈴木 舞台に立つ人間として、あらゆるものが試された作品だったなっていうのがまずあります。そして、このミュージカルの脚本を書いて演出した石丸さち子さんと出会ったこと、石丸さんのこのホンに出会ったこと、伊藤靖浩さんの音楽に出会ったこと、はねゆりという女優と一緒にできたこと。この4つがすごく思い出深い。まず、ホンと出会ったとき、「すごいホンだ!」と思ったんです。さっき“絵本に飛び込む”と言いましたけど、飛び込みたいなと思う絵本じゃないと、飛び込み方が心のどこかで中途半端になる。でも「Color of Life」のホンからは、本当に飛び込みたくなるきれいな画が見えて。森の中に、淡いブルーから深いブルーまで全部が含まれているような流れの美しい泉があって、その風景の中に、風で水面が波打っていたりたまに鳥が飛んできたりっていう、生の血が流れているようなイメージ。だから読んだとき、「うわ、これやれるんだ! 俺、幸せな人だな」と思いました。
そして稽古に入ってみると、それを書いた石丸さんという人との出会いがあった。“厳しい”とかチンケな言葉では、表現できません。あんなに心血を注いで作品を作る人が今いてくれることがありがたいし、あの作品を生んでくれたことや、とにかく出会えたことに感謝です。

 

――石丸さんは、蜷川幸雄さんのもとで長く演出助手をされていた方。最近また蜷川さんの演出法がクローズアップされる機会が多いですが、石丸さんの中にもやはり“厳しくも温かい”そのイズムはありますよね。

鈴木 ありますね、きっと。実際、蜷川さんが書かれた「千のナイフ、千の目」という本を石丸さんからいただきました。石丸さんとはまた一緒に仕事がしたいし、あの人に響くような役者になっていきたいっていう、ひとつ目標ができました。そして、パートナーのはねゆりさん。彼女はミュージカル自体初めてだったんですよね。彼女もやっぱり、自分が「もっと!」を感じるかなんだなって話をしてて。「Color of Life」のときは俺も常にそうでしたけど、彼女が変化していくのを一緒に体感していく中で、「やっぱサボれないんだな」ってことを再び思うことができました(苦笑)。もし相手がはねゆりさんじゃなかったら、「俺これぐらいでいいかな」と思ってたかもしれない。……いや、わかんないです。血と肉と涙から生まれてきたような石丸さち子という人が生み出したホンを、あの稽古場であの密度で2人でやってたら、誰でもそうならざるを得ないのかもしれないですけど。でも俺にとっては、それがはねゆりだったっていう。

 

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ミュージカル「Color of Life」(2016年)

 

――「Color of Life」を機に、本格的なミュージカルも今後の活動の視野に入ってきそうですか?

鈴木 歌うことは大好きなんですよ。でもミュージカルで歌うっていうのは、楽しく気持ちよく歌うってだけじゃなく、ピッチやテンポや息の量……要するに楽器になるようなことだと思うんです。で、楽器を演奏するのは僕、嫌いじゃないですか(笑)。音楽は何かしらの形でやっていきたいんですけど、それがミュージカルなのかは正直わからなくて。ただ、試したい気持ちもある。僕は、“上手い人”より“すごい人”になりたいんです。でもミュージカルはより技術が問われるイメージが、僕の中にあるんですかね。で、練習すれば誰でも上手くなるとは思います。だからこそ、歌好き、芝居好きな俺がミュージカルで試して、上手い下手とはまた違うところで“すごく”なってみたい。そういうシンプルな気持ちはあります。例えばシャトナーさんが「小林少年ができる人を見つけた」と言ってくれたのは、芝居の上手さではない、理由のない何かだったわけですよね。どんな作品でもほんとはそうありたくて、ミュージカルにおいてもそうなれる可能性があるなら、試してみたいです。

 

――正直な方という印象なので、鈴木さんにとって本当に心が動く、ワクワク、イキイキとできることを続けていってほしいなとも感じます。

鈴木 たぶんそれがないと“すごい”にはならないと思う。イキイキできる裏づけには技術も上手さもあるんですけど、まずそのマインドがないと。ただ、さっき話した蜷川さんの本の中に、「役に立たないのにどうして学校の勉強をしなくちゃいけないの?」って娘さんから聞かれて、「大人だって全部やりたいことをやってるわけじゃない。父さんだって好きな仕事だけしてるわけじゃないぞ」みたいなくだりがあるんです。だからもっと言うと、自分自身がワクワクする作品だけをやるのではなくて、どんな作品でも自分が前のめりになってどんどん面白くして、観に来る人をワクワクさせてあげられるような人になりたいですね。作品でもなんでも、結局は出会いですから。

 

デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
言われたら、「あざーっす」ってカンジです(笑)。このご時勢、この言葉には皮肉が入っていることもあって難しいんですけど、だからといって「いや、俺は役者です」とかそういうのメンドくさいから、その場合も「あざーっす」だし、本当にいい意味で言ってくれている場合も「あざーっす」。どう来ても、「はい、ありがとうございます」ですね。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
1度ドラマ(「ST 赤と白の捜査ファイル」)でちょっとご一緒させていただいた藤原竜也さん。台詞がめちゃくちゃ長くて専門用語もいっぱいあったんですけど、ドライ(リハーサル)から一切噛まない。一切! すっげーなと思っちゃいました。「サボらない」なんてさんざん言ってるけど、俺はどれだけできてるのかな、なんて。
同世代は考え出すとキリがないんですけど、やっぱり松坂桃李、相葉裕樹、相馬圭祐っていう、シンケンジャーのメンバーになるのかな。“デキメン”だから男子を挙げたけど、女子もそう。それぞれの人たちが僕は大好きすぎて、それぞれに尊敬できるし、憧れてます。同じ俳優としてのライバル心とか悔しさもあった方がいいのかなとも思うけど、負け惜しみでも何でもなくて、彼らにはないんです。今も疲れたときとかに、ファイナルライブツアーのDVDや楽屋裏でプライベートで撮ったビデオを観たり。今振り返るとぬるかったなとも思うけど、ほんとに幸せな時間だったから。僕にとってはやっぱり、帰ってくる場所みたいな感じなんですよね。

Q.「いい俳優」とは?
サボらないことを実践し続けられる人。
俳優に限ったことじゃなく、仕事をする人全部に言えることだと思います。

 

マネージャーから見た「鈴木勝吾」

自分の気持ちにとにかく正直で真っ直ぐ! そしてお芝居が大好き!!
19歳のとき「侍戦隊シンケンジャー」でデビューさせていただき、その後もありがたいことにたくさんの方々との出会い、そして作品との出会いがあり、感謝をいつも忘れずにいられる俳優だと思います。とにかく真っ直ぐなので、物事に対してだけではなく役に対しても、納得できるところまで向き合う一生懸命な俳優です。たくさんの経験を経て、気持ちの面でもいろいろ変わってきたような気がします。
この先も初心を忘れずにいろいろな経験をして、様々な作品に声を掛けていただけるような俳優に育っていってほしいと思っています。

(株式会社ヒラタオフィス 担当マネージャー)

 


Profile
鈴木勝吾 すずき・しょうご
1989年2月4日生まれ、神奈川県出身。A型。2009年、「侍戦隊シンケンジャー」シンケングリーン/谷千明役でデビュー。10年に初舞台を踏み、以降、舞台でも活躍。若手男優(他のメンバーは鎌苅健太、細貝圭、米原幸佑、井出卓也)たちで結成したバンド「ココア男。」(2012年解散)ではギターを担当していた。映画「任侠野郎」が6月4日公開。
【代表作】【代表作】舞台/ミュージカル「Color of Life」(2016年)、少年社中×東映 舞台プロジェクト「パラノイア★サーカス」(2016年)、ミュージカル『薄桜鬼』シリーズ(2012~16年)、「ベイビーさん~あるいは笑う曲馬団について」(2015年)、「小林少年とピストル」(2015年)、「東京喰種トーキョーグール」(2015年)、「ロボ・ロボ」(2014年)、「おれの舞台」(2013年)、「ダブルブッキング」(2013年)、「コーサ・ノストラの掟」(2012年)、「源氏物語songs大黒摩季~ボクは十二単に恋をする~」(2010年) TV/「ソイカレ~わたしがイケメンと添い寝する30の方法~」4・6・11話(2015年)、「青空の卵」(2012年)、「同窓会」(2010年)、「侍戦隊シンケンジャー」(2009~10年) 映画/「野良犬はダンスを踊る」(2015年)、「カバディーン!!!!!!!~嗚呼・花吹雪高校篇~」(2014年)、「忍たま乱太郎 夏休み宿題大作戦!の段」(2013年)、「Miss Boys!」シリーズ(2011年・12年)、「BAD BOYS」(2011年)
【HP】 http://www.hirata-office.jp/talent_profile/men/shogo_suzuki.html
【ブログ】 「SMILING DAYS」

 

+++ 今後の出演・参加舞台 +++
4s■WBB vol.10「懲悪バスターズ」
公演期間:5月28日(土)・5月29日(日)
会場:兵庫・新神戸オリエンタル劇場
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://www.w-b-bros.jp/

 

 

 

△舞台「東京喰種トーキョーグール」スペシャルイベント
公演期間:7月10日(日)
会場:東京・Zepp Tokyo
全国公演スケジュール:7月3日(日) 大阪・大阪メルパルクホール
※鈴木勝吾は大阪・東京共に出演
>>公式サイト:http://www.marv.jp/special/tokyoghoul_stage/

 

△「パラノイア★サーカス」アフタートーク付スクリーン上映会
※鈴木勝吾のアフタートーク登壇はなし
公演期間:7月10日(日)
会場:東京、名古屋、京都、大阪の映画館(計4箇所)
>>公式サイト:http://www.shachu.com/pc/

 

IMG_9287_s■ミュージカル『薄桜鬼』HAKU-MYU LIVE 2
公演期間:8月16日(火)・8月17日(水)
会場:東京・Zepp Divercity
全国公演スケジュール:8月12日(金)・8月13日(土) 京都・京都劇場
>>公式サイト:http://www.marv.jp/special/m-hakuoki/

 

IMG_9287_s■もののふシリーズ「瞑るおおかみ黒き鴨」
公演期間:9月1日(木)~9月11日(日)
会場:東京・天王洲 銀河劇場
全国公演スケジュール:9月19日(月・祝)・9月20日(火) 大阪・森ノ宮ピロティホール、9月22日(木・祝) 福岡・北九州芸術劇場 大ホール
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト:http://www.mononofu-stage.com/

 

デキメン列伝【第15回】太田基裕

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第15回】太田基裕 MOTOHIRO OTA
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淡白に思われがちなんですけど、そうではないつもりです(笑)


Writer’s view

“もっくん”の愛称でおなじみの太田基裕さん。たくさんの若手俳優たちと取材を通じて対話させていただく中で、彼が醸し出す空気感がとても気になっていました。異空間を難なく生み出せる、時に近寄り難いほどのルックスを持ちながら、一言でいうと“癒し”とも表現できそうな、ほわっとした雰囲気。激しい競争社会を生き抜く若手俳優たちの中で、そうした印象を残す人は案外いません。彼を語るためのキーワードは“ニュートラル”。30歳になったばかりのもっくんを、深堀りしてきました。

取材・文/武田吏都

 

――シンプルだけれどズシリとくる、骨のあるミュージカル「手紙」に現在出演中。映画化もされた東野圭吾さんの大ベストセラーが原作で、このミュージカル版は昨年初演されました。太田さんは、今回の再演からの参加です。

太田 お話をいただくだいぶ前、まだ学生のときに原作を読んでいて、映画も観ていました。去年ミュージカルになったことは知っていて、「え、マジであの『手紙』? ミュージカルってどういうこっちゃ?」みたいな(笑)。時間があれば観に行きたいと思っていたんですけど結局観られなくて、でも「いいなあ、興味あるなあ」って気になっていて。そしたら再演にあたってたまたまお話をいただき、「マジすか!? それはちょっと、いやだいぶ興味あります!」と(笑)。しかも「ジャージー・ボーイズ」でもお世話になる藤田(俊太郎)さんの演出だし、そのご縁も面白いなと思いましたね。

 

――蜷川幸雄さんのお弟子さんでもあった藤田俊太郎さんは、つい最近「読売演劇大賞」の優秀演出家賞を受賞されるなど、大注目の若手演出家(1980年生まれ)。俳優にとっては“いま最も演出を受けたい演出家”というような存在だと思うのですが、連続して藤田演出が受けられるというのはなかなか凄いことですよね。

太田 ありがたいことに。ただ僕自身は「藤田さんだから」「今ノッてる演出家さんだから」みたいなヘンに気負った意識はなくて、単純に「ジャージー~」でやらせていただいて、人間性がとても素敵な方だなと思ったんです。この演出家さんのために頑張りたいと思えるような。そういう意味では素敵な人に出会ってよかったなと思いますし、縁があるんだろうなという風にも感じています。

 

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――思い出しました。太田さんは人を色眼鏡で見ないというか、肩書きとか評判にはあまりとらわれないニュートラルな方でしたね。

太田 正直、無知だからってこともあると思うんですけど(笑)。僕自身エンゲキエンゲキしたタイプじゃないので、「この劇団や演出家さん、ゲキアツだぜ!」みたいなことがなくて、知識を無理に得ようとしないっていうんですかね(笑)。そして出会ったら「ああ素敵だな」と思うだけなので、ヘンな意識はないっちゃないんです。

 

――芸能界というところにいて、中でも特に競争の激しい若手俳優界隈の真っ只中にいながら、なぜそのニュートラルさを保てるのだろうと。今回はその秘密も探りたいと思っています。

太田 大した話はないと思いますけど(笑)。

 

――さっきおっしゃった藤田さんの素敵さは、どんなところに感じていますか?

太田 2回しか一緒にやらせてもらっていないので、全てを知っているという風には言えないんですけど、まず演出助手をずっとやられていたので人に対して丁寧で、エラそうじゃないんです。すごく親しみやすいし、いろいろ聞きやすいですね。僕が受けた感じとしては、不器用な方でもあるんですけど、スイッチが入ったときの感性に引き込まれるっていうか。意外と、テンパる方でもあるんですよ。藤田さんにとっては共に作品を重ねている戦友のような、吉原光夫さんって方が現場にいるから特に(笑)。僕は「ジャージー~」でも「手紙」でも吉原さんといる藤田さんしか見れていないから、わりといつもテンパッていらっしゃるんですけど(笑)、そういうところもすごく人間らしくて。演出家さんに対して失礼ですけど、“愛おしい”という感じもあったりして(笑)。でも、呼ばれてダメ出しを聞いたりすると、「あ、なるほどな」ってところはもちろんたくさんあるし、その感性の豊かさと繊細さに引き込まれます。すごく尊敬してるし、その感覚をもっと知りたいなと思える演出家さんですね。

 

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ミュージカル「手紙」2017(2017年)

 

――再演では新曲が加わったり、役が変わったキャストがいるなど、様々な変化がありますが、太田さん演じる直貴がWキャストになった(初演は三浦涼介のシングルキャスト)のが、やはり大きな変化ですよね。もう一人の直貴は柳下大(とも)さんが演じています。

太田 同じ役を稽古していても、僕とトモくんの直貴では全くと言っていいほど違う。演出が違うというより、それぞれの役のアプローチの違いですね。そりゃ同じ人間っていないわけだけど、とらえ方というのがこんなに違うんだって勉強になるし面白いです。僕、全部がWキャストの作品はだいぶ昔に経験あるんですけど、こういう一部がWっていうのは初めてなんです。なので、取り組み方が難しくはあったんですけど。やっぱり稽古場も一緒なので、意識しないってわけにもいかず。

 

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ミュージカル「手紙」2017(2017年) ※写真中央

 

――ニュートラルな太田さんでもライバル意識のようなものが芽生えた?

太田 (ライバル)のつもりでは全然ないんですけど、でも同世代の役者ではあるので、互いにやっぱりどこかしら意識はしちゃうというか。だからなるべくひねくれないようにしたいなって思いながら(笑)現場にいたりとか。

 

――そういう太田さんもいるんですね。

太田 もちろんもちろん。トモくんが素敵なお芝居されているとすごく勉強になって、「あー自分はまだまだだな」って思う瞬間もいっぱいありました。でも「そんな自分でもできることはあるだろうな」と思いながらやったりとか。ほんとは作品だけに集中したいんですけど、やっぱりそういうことを考えちゃって、いや考える必要ないんだと思うんですけど、そういう辛さは多少感じましたね。

 

――そして演じる直貴は、兄・剛志(吉原光夫)が殺人を犯してしまった、加害者家族という役柄。兄の罪によって直貴も苦しめられていくのですが、罪を犯した当事者ではないというところがやるせないし、演じる上では難しいところですよね。

太田 そうなんです。でも、直貴をただただ悲劇のヒロインみたいに演じるのは違うっていうのが、やらせてもらう中でずっとあって。確かに辛くて重くて悲しい話だけど、絶対にそれだけじゃないってところを出していかないと、この作品の本質は伝わらないのかなとか。暗くしようと思えばいくらでも暗くできそうな話じゃないですか。で、直貴みたいな立場になったことはないけれど、でもできる限り思考を働かせて、いろんなことを台本から読み取っていきたい。だから自分の中にこれだっていうのは別になくて、そのときに感じたもので1本の話につながっていけたらいいなって、そんな感じで向き合っています。ほんとに難しい役なんです……。今も、難しいなと思いながら話しています(苦笑)。

 

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ミュージカル「手紙」2017(2017年)

 

――今回のように難しい役柄のとき、先ほど言っていた「これだ」というものは無理やりにでも掴んで本番を迎えるものなのでしょうか? それとも、本番においてもその葛藤があるタイプ?

太田 稽古中に「これだ!」を掴んで、そのまま行っちゃえば楽なんですけど。「これかな?」っていう瞬間はもちろんあるんですよ。だけど「あれ、なんかやっぱ違うな」って、すぐ崩れちゃいますよね。自分の場合、それをずっと繰り返している感じはあるかもしれないです。正直な話、本番に入っても。本番は常に同じクオリティでお客さんに見せたいって気持ちはもちろんあるんですけど、なかなか難しいですね。いつかできるようになるんだろうか……。でもやっぱりその日その日で違うスイッチがあったりもするし、新しく感じたこともやっぱり出てきちゃうし。

 

――舞台はライブの出来事ですから、当然だと思います。

太田 ミュージカル「テニスの王子様」から舞台をやらせていただいていますけど、そこからもうずっと同じことを繰り返している感じっていうか(苦笑)。

 

――デビュー作のお話が出たのでその頃のお話を。先ほどから出ている“ニュートラル”であるとか、また以前インタビューをしたとき、「平和が一番。平和主義です」という発言をされていたのが印象に残っているんですけど、そういった穏やかな性質はデビュー前から?

太田 だと思います。もともと目立ちたがり屋でも全然なかったから。

 

――目立ちたくはなくても目立っていたのでは? モテたでしょうし。

太田 それが、中高6年間男子校だったんです。そういうところもあるのかもしれないけど、すごく地味でした。だから今この仕事をしているのは、自分でもマジでびっくり(笑)。

 

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――芸能界入りのきっかけは、自分からではない?

太田 妹がオーディションに書類を出したんです。悶々とした日々を送る兄を見て、「何かしらやれば?」ってことだったんじゃないですかね(笑)。ギターが好きで、人前で歌ったことはないけど、その願望はあったんですよ。と言いつつ、恥ずかしくてカラオケにも行けない学生だったんですけど(笑)。みんなと一緒に行っても自分は頑なに歌わないっていう、一番メンドくさいヤツ。当時はカラオケの採点が流行っていて、それがとにかくイヤだったんですよね。まず人前で歌うことの恥ずかしさがあるのに、その上採点なんてされたらたまったもんじゃない、みたいな。でも家ではギターを弾いて、好きなバンドの真似したりして、のびのびやっていたわけです。完全なる内弁慶(笑)。で、妹が送ったそのオーディションに合格して事務所に入ることになったんですけど、特に仕事があるわけではなく、そこからまた悶々とした日々が始まり。そしてまた少し時間が経って、大学に入ってから「テニスの王子様」に出演しました。そこが、お芝居のちゃんとしたスタートですね。

 

――その初舞台は、ミュージカル「テニスの王子様」The Final Match 立海 Second feat.The Rivals(2009~2010年)。当時のこと、覚えていますか?

太田 全くの素人がいきなり日本青年館に立ったんですよ。2日目に舞台上で転んだことが、記憶に鮮明に残っています。それも試合(のシーン)中、ピン(スポット)が自分にだけ当たっていて、ストップモーションでカッコいいキメ台詞を言うときにステン!って。ドライアイスの演出で床がちょっと濡れていたんですけど、そういうときは気をつけなきゃとかそんな知識もないから、「一生懸命やるだけでしょ」って思ってて、一生懸命転びました(笑)。もう、頭真っ白になりましたね。でも初舞台で、それまで必死になって練習したからか、面白いことに、頭は真っ白になっても体は動いていたんです。サッと立ち上がって、ちゃんと台詞も言ってて。だから演出だと思ったお客さんもいたみたいで。でもあの真っ白になった瞬間はゾッとしたし、今でもその感覚は覚えています。

 

――当時は“テニミュ”が若手男優の登竜門として定着し始め、内部にもいい意味でのギラギラ感があったのではないかと想像します。そこを、“ニュートラル太田”としてはどう生き抜いてきたのかなと(笑)。

太田 だから大変でした(苦笑)。まず、普通はライバル校ってチームごとに追加されるんですけど、この公演のとき、僕の役(伊武深司)は学校(不動峰)を代表して一人だけ出ていて。他のみんなは初めてじゃないのでできあがっている状態で、そんな30人の中に全く何も知らない自分が一人ポンと入れられたので、正直ホントに恐ろしかったです。そして誰かが手取り足取り優しく教えてくれるほど、甘い世界じゃない。例えばダンスの稽古をしていても、なかなか鏡の前に立てないんですよ(笑)。みんな自分の姿を確認するのに必死で、何もできない自分なんてとても、その中に割って入れない。結果、鏡の端の端にちょっとだけ映った自分を見ながらダンスの稽古をしてて(笑)。「俺、映ってないです」とか言えばよかったんですけど、周りはみんな先輩だからその勇気もないし。つまり稽古場でやれることだけだと全然足りなくて、だけど本番は来るし、自分には責任がある。じゃあこれは家でやるしかない、と。実家に大きい鏡を買って、リビングで練習してました。広くないリビングでラケットをぶんぶん振り回して(笑)。で、天井に痕つけちゃって親に怒られたり。当時はほんとにやらなきゃいけないことでいっぱいで、ずっと追われている感じでした。だから僕的には、ギラギラする暇もなかったです(笑)。

 

――なかなかハードなスタートだったんですね。そしてそこから今に至るまで、途切れることなく舞台の仕事が続いています。

太田 徐々につながってきたという感じで、ありがたいですね。2009年に初舞台だから10年まではいっていなくて、8年ぐらいですか。よく続いてるなあって自分でもびっくりします(笑)。

 

――辞めたいと思ったことはありましたか?

太田 基本的に何かしらに追われているので、ないですね。僕、精神状態が基本ニュートラルな真ん中のところか、そのちょっと下にいるので、落ちる幅が少ないんですよ。たぶん、上から急にドンと下がるとかだと、幅に耐えられなくて辞めたいって思うんだろうけど、そこまでいかない。多少落ちたら、「ハイハイ、この時期来ましたか」みたいな(笑)。「ここ乗り越えればとりあえず楽になるんだろうな、頑張ろう」みたいなことの繰り返しというか。

 

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――なんかちょっとうらやましい気がします。その境地、身につけたい(笑)。

太田 えー、地味ですよー。「イェーイ!」ってならないんですから(笑)。

 

――初舞台から10年に満たないとは信じられないほどの数の舞台をこれまでに経験しています。代表作というのも、太田さんの場合は絞りにくいですよね。初期でいうと、まず「マグダラ」(マリア・マグダレーナ来日公演「マグダラなマリア」)シリーズ(2010~2013年)が挙げられるでしょうか。

太田 そう言っていただくことが多いですね。「テニス」が終わって間もなくのお仕事だったんですけど、そこでの演出家さんとの出会いは自分の中で大きかった。食事もノドが通らないぐらい、相当絞られたんです。「テニス」は環境になじむ大変さがあったけど、「マグダラ」のときは作品や役への向き合い方に対する大変さ。“役者として”の苦悩はそのときに初めて感じました。コメディでもあったので、テンポ感とかの指示がもうびっくりするぐらい細かくて。当時共演した藤原祐規さんとか米原コーちゃん(幸佑)とかを見てても思うんですけど、お芝居への向き合い方は「マグダラ」で学んだんじゃないかなって。だから彼らとお芝居をすると、やっぱり波長が合います。「どこかで『マグダラ』で学んだものを使ってるな、俺ら」みたいな。そういう意味では、「テニス」的な見せ方しか知らなくて何もなかった自分の引き出しが、あの作品でだいぶ増えたような気がします。もちろんやってる最中は必死だから、「引き出し増えたぞ」なんて思ってないですよ(笑)。後で思えば、「やっぱり『マグダラ』がデカかったんだ」とか、そういう感じ。いつの間にか増えてた、みたいな。僕、生きている中でその“いつの間にかパターン”が結構あります(笑)。

 

――その「マグダラ」もですが、他にも「弱虫ペダル」(2012~2016年)、「Club SLAZY」(2013~2016年)、「幕末Rock」(2014~2015年)、「メサイア」(2013~2015年)、また「恋するブロードウェイ♪」(2011~2014年)など、1回で終わらずシリーズ化される作品への出演が多いです。そういう作品の場合、別の方が役を受け継いだりして、“卒業”という形で作品を離れることが、ある意味お約束にもなりますよね。そういうとき、率直にどんな気持ちになりますか?

太田 誇らしいしありがたいです。その作品を愛してもらったからこそ、積み重ねられたから。自分たちもその作品をたくさん愛して、お客さんと一緒に大事に作ってきたんだなっていうのが実感できるし、すごく誇らしい気持ちになります。とにかく、感謝の気持ちが強い。今はお客さんを呼ぶのもそう簡単ではない時代ですから、なおさらですよね。

 

――単純な寂しさとか、作品や役に対する執着などは? 共演者たちと現場で会えなくなるということだったり。

太田 この界隈はみんな、どこででも会いますからね(笑)。作品に対しても、寂しさっていうのはないです。その作品で感じたもの、感謝や誇らしさを自分の中に大事に持ちながら前に進もうっていう考えだし、他の役者のみんなもそういう思いじゃないのかな。自分たちはこの作品をここまでお客さんと一緒に愛せた。じゃあもっと愛してもらえる作品に出会うために、また前に進もうって。

 

――好きだからこそファンは執着してしまうものだったりしますが、演じる俳優がそういう考えをしっかりと持っていることは、とても良いことだと感じます。

太田 でも親とかに言われたりしますよ。ほら、千秋楽の次の日にはもう次の仕事だったりするじゃないですか。で、自分としては切り替えるからブログに書いたりするんだけど、「お客さんは余韻に浸りたいから、次の日に別の稽古の話とかってイヤなんじゃないの?」って(笑)。「なるほど、確かにそうだ」とは思ったんですよね。でも前の仕事を適当に扱っているつもりは全くないんです。昨日まであったことは自分の中ですごく大事。でもやっぱり次へ行くっていう気持ち。淡白に思われがちなんですけど(笑)、そうではないつもりです。

 

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舞台「弱虫ペダル~総北新世代、始動~」(2016年) ※写真左
©渡辺航(週刊少年チャンピオン)2008/「弱虫ペダル」GR製作委員会2014
©渡辺航(週刊少年チャンピオン)/マーベラス、東宝、セガ・ライブクリエイション

 

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「Club SLAZY The Final invitation~Garnet~」(2016年)
©2016CLIE/CSL 撮影/鏡田伸幸

 

――そういう気持ちも関係しているのかなと思いますが、本当に役の幅が広いですよね。

太田 いろんなタイプの役のお話をいただきますね。暗めな感じも結構あるし、かと思えばすっごい元気な単細胞キャラもあるし、女装の役回りもあるし。楽しいですよ。自分は何ができるか、自分ではよくわからないんです。でもキャスティングしてもらったってことは、やれるだろうと思われたってことだから、もし自分の中でかけ離れていたとしても挑戦すべきだし、楽しまないとなって思ってやっています。

 

――そして、昨年の出演作にまた驚かされました。東宝が手掛けるシアタークリエでの本格ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」と、フランク・ワイルドホーン作曲というこれまた本格的な大作ミュージカル「スカーレット・ピンパーネル」(=「スカピン」)に立て続けに出演。さらに、公演中のミュージカル「手紙」と続くわけですから……

太田 「ミュージカル俳優やないかい!」っていうね(笑)。

 

――周りがそう感じてもおかしくないですよね。実際、初の本格ミュージカル「ジャージー~」での堂々とした姿とハリのある歌声は印象に残りました。

太田 ソロ曲があったわけじゃなくて、僕の役は主にコーラスの役回りでしたけど。でも声に特徴があるっていうのは、いろんな人が言ってくださって。「スカピン」のときも「もっくんってどういう発声してるの?」って、音大出のシュガーさん(佐藤隆紀<LE VELVETS>)に興味を持っていただいて(笑)。シュガーさんって発声マニアなんですよ。「もっくんの発声はここが響いてて面白い。いい声してるよ」なんて稽古が始まってすぐに言われて、「え、マジすか!?」みたいな(笑)。声に特徴があって通るっていうのは、舞台をやっていくには大事なことかなと思いますけど、かといってずっと歌を学んできたわけではないので、「ジャージー~」は大変でした。まず歌稽古だけで2、3週間あったんです。みんなでずっと歌ばっかりやるんですけど、たくさんあるハモリとか、ほんとわからなくて、居残ってやってました。お客さんはあまり気づかないと思うんですけど、20曲ぐらいハモリで参加してるんですよ。舞台の裏で着替えたりしながら、♪ハァ~ ってやってて。

 

――なるほど。実際、どっぷりとミュージカル体験ができた作品だったんですね。

太田 ミュージカルへの向き合い方を「ジャージー~」で初めて知ったというか。でも始まりがこの作品ですごく良かったと思います。内容もそんなにお堅いものじゃなく、音楽もポップス寄りだったので、ヘンに気負わず楽に、それこそ多少ニュートラルな気持ちでもいられたというか。

 

――ただキャストは主演の中川晃教さんを筆頭に、多少気負わざるを得ないようなミュージカル界の錚々たる顔ぶれが揃っていましたよ? ……あ、そこもやはり“ニュートラル太田”で(笑)。

太田 皆さんのことは、お名前は存じ上げております……というぐらいだったので、(吉原)光夫さんに対しても全然ビビんなかったですもん(笑)。

 

――太田さんが演じたボブ・クルーは、バンド「ザ・フォー・シーズンズ」のプロデューサー。つまりボブが、中川さん演じるフランキー・ヴァリらメンバーを束ねるような役割でもあるわけで、普通ならとてもプレッシャーを感じたりもすると思うんですけど、さすがですね(笑)。

太田 いや、「4人をまとめるプロデューサーなんだ」みたいなプレッシャーは、多少はありましたよ(笑)。そしてやっぱりこのボブという人ならではのちょっと特別な、なんかスカッと抜けたものがないとダメだと思ってやってはいました。でも藤田さんがわかりやすくいろいろアドバイスしてくれたというのもあるのか、あの役はすごくやりやすかったです。作品は本格的なミュージカルなんですけど、役者として関われる役というか、今までやってきたことを出せるし、ヘンに気負わなくてよかった。という意味で、作品も役もすごく向き合いやすかったです。

 

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ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」(2016年) 写真提供/東宝演劇部

 

――改めて確認しますが、昨年からの流れは、ミュージカル俳優へのシフトというわけではなく……?

太田 一瞬ね、そう思われたかもしれないですけど、たまたまそういう流れで、勉強になる作品が続いたということですね。間に「Club SLAZY」もあったので歌モノが続いたんですよ。単純に歌う機会が増えたので、歌うことに対して昔よりはだいぶ気が楽になってきて、なじんできた感覚は多少ありますね。だからミュージカルの方たちって、こうして定期的に声を出していくことで、歌うことがどんどん楽しくなるのかなあ、なんて思ったり。楽しいっていうと失礼かな(笑)。「ジャージー~」のアッキー(中川晃教)さん、「スカピン」の(石丸)幹二さん、安蘭(けい)さん、石井(一孝)さん……ご一緒させていただいたミュージカルの方たちは皆さんほんとに素晴らしかったですね。感動したなあ。思えば「恋ブロ♪」で一緒だったメンバーも、海宝(直人)くんとか(内藤)大希とか小野田のリュウ(小野田龍之介)とか、どんどん帝劇のプリンシパルになってますよね。みんな頑張ってる! スゲエわ。昔から、そういうメンバーたちにも刺激をたくさんもらっていて、だからミュージカルというジャンルに対して、ヘンな偏見なく入っていけたところもあるかもしれない。……なんか、つながりましたね。これまでのことって全部つながっていたんだなって、今話してて思いました。

 

――さて、30歳になったばかりでもあります。どんな30代を過ごしていきたいですか?

太田 まあ特殊な仕事ですから、不安っちゃ不安なんですけど。とにかくお芝居に関しては勉強が足りないことばっかりなので。かといってヘンに上手くなりすぎたり、お芝居をこなすみたいになっていくのはイヤなんです。なんか常に「あー自分はダメだな」と思いながら、磨いていったり成長していけるような……だからたぶん変わらないですね、30代に入っても。今思いました、たぶん変わんない!(笑)

 

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3~4月、ミュージカル『刀剣乱舞』 ~三百年(みほとせ)の子守唄~ に、千子村正役で初登場!(写真左上)
©ミュージカル『刀剣乱舞』製作委員会

 

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6~7月、舞台「黒子のバスケ」OVER-DRIVE に、花宮真役で初登場!(写真左上)
©藤巻忠俊/集英社・舞台「黒子のバスケ」製作委員会

 

 

デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
自分も男の人に対して「うわ、イケメンだ!」とか使います。それは顔がカッコいいというよりは、持っている空気感とか味がカッコいいなと感じたときに「イケメン」って言うかもしれないですね。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
最近だとやっぱり「スカーレット・ピンパーネル」でご一緒した石丸幹二さんは凄いと思いました。「あ、スターだ!」って。キラキラしてて上品で、繊細さも持ち合わせていて、とにかく美しかった。それでいていろんなことを楽しんでやっているし、自然体なんです。なかなか出会えない方だと思いました。
同世代は……みんな面白いですけどねえ。いま共演している加藤良輔とか単純に大好き。彼こそニュートラルな役者だって思っているんですけど。コイツ器用だなってことだと井澤勇貴とか。玉ちゃん(玉城裕規)も面白い空気や味を出すから凄いなって思いますね。

Q.「いい俳優」とは?
お芝居って、言ったら“嘘”じゃないですか。だから、いい嘘をつきたいとはすごく思っています。例えば2.5次元の作品で、現実には絶対言わないっていう台詞でも、いい嘘のつき方をしたい。お芝居でも歌でも“ニュートラル”っていうのは大事にしているところです。でもやっぱりどこか力が入って、ヘタクソな嘘をいっぱいついちゃうんですよね。今もそんなんばっかり。でも、それがいつかいい嘘になるといいなと思いながら稽古しています。

 

マネージャーから見た「太田基裕」

インタビューでも話していましたが、いきなりハードな経験をした初舞台のミュージカル「テニスの王子様」でステージに立つ怖さを味わったはずで、その怖さを補完するものは、やはり経験値。ステージの大きさ、演出家さん、作風、役柄などは、なるべくいろいろなものを提供しようと思ってやってきて、その方針は今も変わりません。本人はネガティブな不器用キャラを自称していますが、意外と適応能力があるようにも感じています。
初舞台の頃から感じていたのは、ステージに立つとどこかキラキラ感というか、華があるということ。普段は別として(笑)。実際、演出家さんやスタッフさんもそう言ってくださることが多いですし、その持って生まれたギフト的なものを大切にしてほしいです。そしてそういうものを一番生かせるのは舞台。この先もちろん映像なども機会があればやらせていただきますが、太田にとってずっと大切な礎となるのは、舞台の活動だろうなと思っています。

(株式会社アバンセ 担当マネージャー)

 


Profile
太田基裕 おおた・もとひろ
1987年1月19日生まれ、東京都出身。A型。2009年にミュージカル「テニスの王子様」The Final Match 立海 Second feat.The Rivals(伊武深司役)で初舞台。以降、ストレートプレイ、ミュージカルなどジャンル問わず、舞台を中心に活躍。ニコニコ生放送にて、佐藤永典とのレギュラー番組「さともつチャンネル」に出演中。映画「マスタード・チョコレート」が今春公開予定
【代表作】舞台/「スカーレット・ピンパーネル」(2016年)、「ジャージー・ボーイズ」(2016年)、「ホテル・カルフォリニア」(2016年)、「GO WEST」(2015年)、「逆転裁判2~さらば、逆転~」(2015年)、超歌劇「幕末Rock」シリーズ(2014~2015年)、TRASHMASTERS「儚みのしつらえ」(2014年)、ミュージカル「黒執事」-地に燃えるリコリス-(2014年)、「刻め、我ガ肌ニ君ノ息吹ヲ」(2014年)、「覇権DO!!~戦国高校天下布武~」(2014年)、「Club SLAZY」シリーズ(2013~2016年)、「メサイア」シリーズ(2013~2015年)、「死神姫の再婚」(2013年)、「サヨナラ誘拐犯のパーフェクト・ストーリー」(2013年)、VISUALIVE「ペルソナ4」(2012年)、舞台「弱虫ペダル」シリーズ(2012~2016年)、「恋するブロードウェイ♪」シリーズ(2011~2014年)、「ROCK MUSICAL BLEACH」シリーズ(2011~2012年)、「努力しないで出世する方法」(2011年)、「青の戯れ」(2010年)、マリア・マグダレーナ来日公演「マグダラなマリア」シリーズ(2010~2013年)、ミュージカル「テニスの王子様」(2009~2010年) TV/「祝女~shukujo~」(2010~2012年) 映画/「メサイア-深紅ノ章-」(2015年)、「マジックナイト」(2014年)、「メサイア-漆黒ノ章-」(2013年)、「ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター」(2012年)
【HP】 http://www.avance-net.jp/ota.html
【ブログ】 「Motohiro’s Room」
【Twitter】@motohiro0119

 

+++ 今後の出演舞台 +++
4s■ミュージカル「手紙」2017
※柳下大とのWキャスト
公演期間:上演中~2月5日(日)
会場:東京・新国立劇場 小劇場
全国公演スケジュール:2月11日(土・祝)・2月12日(日)兵庫・新神戸オリエンタル劇場
>>チケット情報はこちら
≫公式サイト:http://no-4.biz/tegami2/

 

4s■ミュージカル『刀剣乱舞』 ~三百年(みほとせ)の子守唄~
公演期間:3月4日(土)~3月26日(日)
会場:東京・AiiA 2.5 Theater Tokyo
全国公演スケジュール:4月1日(土)~4月9日(日)大阪・梅田芸術劇場 メインホール
4月14日(金)~4月23日(日) 東京凱旋・AiiA 2.5 Theater Tokyo

>>チケット情報はこちら
>>公式サイト:https://musical-toukenranbu.jp/

 

■舞台「黒子のバスケ」OVER-DRIVE
公演期間:6月22日(木)~7月9日(日)
会場:東京・AiiA 2.5 Theater Tokyo
全国公演スケジュール:7月13日(木)~7月17日(月・祝)大阪・森ノ宮ピロティホール
>>公式サイト:http://www.kurobas-stage.com/

 


デキメン列伝【第16回(終)】小野田龍之介

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“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男 優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!最終回を飾るのは小野田龍之介さんです!

【第16回】小野田龍之介 RYUNOSUKE ONODA

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大人に負けたくない、
子供扱いされたくないという気持ちが強い子供でした


Writer’s view

まだ年半ばにして、2017年のマイベスト1は不動であろう舞台を観てしまいました。そのミュージカル『パレード』において、若者代表といえるポジションで抜群の存在感を発揮しているのが小野田龍之介さんです。「25歳になりました」という昨年のツイッターでのつぶやきを目にしたとき、「え、じゃあ20代前半だったの!?」と驚いたものでしたが(笑)、テクニックやその雰囲気は若手の域を超え、どの舞台でも頼れる存在。そんな彼の“いろんな顔”を紐解いてきました。

取材・文/武田吏都

 

――やはり、現在公演中のミュージカル『パレード』のお話から伺いたいです。もうご覧になった方には伝わると思うのですが……いやぁ、凄まじい作品ですね。演じていていかがですか?

小野田 そうですね、とりあえず命からがら毎日頑張ってやっている感じです。もちろんやる側としてヘビーじゃない作品なんてないんですけど、特に『パレード』は実在のお話なので。しかも“冤罪”という、ダークという言葉でも片付けられない、もやもやっとしたものが残る実話なので、相当苦しくはなります。まあ、僕が演じるフランキーという役の立場からすれば目的を果たして終われるところはあるんですけど、3時間近く人を恨み続けているというのは……キツいですね(苦笑)。

 

――小野田さんは今回非常に重要なポジションを担っています。ホームページの人物相関図には殺されるメアリー(莉奈)の“友人”としか書かれていなかったので、実際の役割の大きさに正直驚きました。

小野田 この作品は明るいイメージのタイトルからしてそうなんですけど、あの相関図もちょっとトラップなんですよ(笑)。僕自身もはじめは典型的な若者ポジションというか、一幕最初の方の♪映画に行くとこさ(M3『映画に行こう』)って歌っている感じの、ああいう楽しい雰囲気だけをやる役だと思っていたんです。レオ(石丸幹二)とルシール(堀内敬子)夫妻という作品の軸に実は非常に濃く関わる、ひとつのキーパーソンというのは全く想像していませんでした。

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ミュージカル「パレード」(2017年)
※6/15(木) 愛知県芸術劇場 大ホールで公演あり

――かつ、最初に一人だけ舞台上に現われて1曲目の大ナンバー(M1『ふるさとの赤い丘』)を歌うのも小野田さんです。そこはフランキーではなく、南北戦争に従軍する“若い兵士”という別の人物としてですが。この物語の口火を切る役回りというのは、感覚的にどうですか?

小野田 イヤです(笑)。とにかく緊張しますし、憂鬱でしかないです。もちろんこういう大人の皆さんが多いカンパニーの中で、ああいうポジションを担わせていただくことは非常に光栄なことだと思っていますが……。最初に登場して歌うことは別の作品でも経験があるし、物語と直接つながっているような歌だったらまだもう少し楽だったと思うんですけど、『ふるさとの~』はあのシーンだけのドラマとして成立させなければならないので、やっぱり独特な緊張感があるんですよね。稽古場でもそうだったんですけど、すごく張り詰めた状況の中、毎回木の後ろで一度憂鬱な気持ちになりながらスタンバイしていて、直前で「ヨシ!」と役のスイッチに入っていく。共演者のどなたかが「龍之介ぐらい心臓が強くないとあんなのは歌えないね」なんて言っていたんですけど、やってるこっちはもう!(笑) 難しい歌なので、そこに対する緊張もありますし。

 

――素朴な疑問なのですが……小野田さんって緊張するんですか?

小野田 するんですよ! でも、緊張しない人って思われるんですよね。

 

――はい、余裕すら感じます(笑)。

小野田 それもすごい言われるんですけど、本人的には常にいっぱいいっぱいで。『パレード』本番初日の幕が開く前、皆さんが袖にスタンバイしているとき、「龍之介、緊張してるかな?」って話になったんですって。そしたらどなたかが一言、「いや、してないでしょう」と。それで、その会話が終わったっていう(笑)。でもそんなこと全くなくて、呼吸が荒くなったり、手が震えたり。出る数分前がピークですね。出てしまえば、役としているので平気なんですけど。

 

――『パレード』は1998年にブロードウェイで誕生し、トニー賞の最優秀作詞作曲賞、最優秀脚本賞を獲得したミュージカルですが、前からご存知でしたか?

小野田 海外版のCDを持っていて、「カッコいいなあ~」と思いながら音楽は聴いていたんですけど、内容は一切知りませんでした。主役の人が泣いているし、暗い作品であることは間違いないだろうと思っていたけど、でも最後は明るい感じで終わるし、CDだけではどんな物語か全然わからなくて。オファーをいただいて、同時に内容を知りました。第一印象は「暗ッ!」(笑)。こんなセンセーショナルな話だとは、まるで想像がつきませんでしたね。

 

――フランキーは17歳という設定だとか。

小野田 13歳のメアリーからすると、ちょっとお兄ちゃんです。物語としてはやっぱり大人たちの政治的な思惑や差別というところが中心になってくるので、僕ら子供の居方はすごく難しいですね。あと僕は今25歳で、17歳のフランキーとそこまで年齢は変わらないんですが、どうも普通の25歳よりオジサンに見えるらしいので(笑)、最初は大変でした。普通にお芝居しちゃうと、大人たちと同じ空気感になってしまう。なので大人たちのピリッとした空気の中、フランキーはKYな感じ――オーバーに怒っていたりとか、そういうところで色の違いを作っていきました。

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ミュージカル「パレード」(2017年)

――フランキーはメアリーに好意があったという解釈でいいんでしょうか?

小野田 あると思いますよ。もちろん何もない、単純な友達でしょうけど。でも子供のときの“友達”って、本当に大事ですよね。友達が悪口を言われていたりするだけでムカーッときたり。そんな感じで、子供だからこそ一気にブチ切れちゃったっていうのがフランキーなのかなと思います。たぶん途中から、メアリーのためというよりは、怒りの方が強かったんだろうなって。だから彼は疑うことなく、犯人はレオだとずっと思い続けて……。

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ミュージカル「パレード」(2017年)

――フランキーは周りの大人たちとは違い、レオが有罪だと信じている?

小野田 だと思います。ここは演出の森(新太郎)さんとも最初に話しました。フランキーは全く疑うことはなく、というか、彼を犯人だと思うことでメアリーの死を浄化し、また自分の気持ちも落ち着かせている。自分に置き換えていろいろ紐解いていったとき、“疑う”って感情は子供のときあんまりなかったなと思ったんですよね。「あいつがやったんだ」と思ったら、もうそいつをどうにかしてやろうとしか思わない。特にああいう、ガーッとなっちゃう子供ですし。

 

――そこが怖いんですよね。

小野田 フランキー個人の怖さが社会の怖さにもつながるのかなって。大人たちの思想や思考に影響されて、子供たちがガーッとのめりこんでいく。現代の、宗教が絡む争いにしてもそうで、唱えていることは“世界平和”とか実はどれも一緒だったりするのに、相手を叩こうとする大人の思想に引っ張られて、子供たちが「あの人たちは悪い人だ」と攻撃し始めたり。自爆テロの実行犯なんかも若い人が多いですよね。純粋だからこそ洗脳されやすい。そんな狂気みたいなものがフランキーの中に作れたらと思いました。だからこそ、ものすごくキツいんですけど。大人たちはわかっていながらレオを冤罪に追い込んでいくけど、フランキーだけは本当に恨み続けているので。

 

――演出は、新劇の方でこれがミュージカル初演出となる森新太郎さん(演劇集団円所属)。対してキャストは“ザ・ミュージカル”と言えそうな方々が揃っていて。

小野田 それもわりと濃い人たち(笑)、ですよね。

 

――そのマッチングの妙が見事だったのですが、演出を受ける側としてカルチャーショックというか、演出的にいつものミュージカルとは全く違うと感じるようなところはありましたか?

小野田 稽古場で驚いたことは毎日たくさんありました。例えば森さんは「そんな歌い方はできないとか、そんな風に歌ったらノドが潰れますっていうことがあったら、すぐ言ってください」とおっしゃるんですね。つまりあくまでドラマとして作って、最初に歌を気にすることはない。音楽だけで紡いでいこうとする人とは明らかに違いました。ただ役者からしたら、「音程は外していい」と言われても崩しまくるわけにはいかないので、森さんから要求されている(感情の)ヒステリックな部分と歌としてのテクニック的な部分を上手く混ぜていかなきゃならない。そこはミュージカルをやってきた者としての技量や考えで作っていくしかなかったので、すごく難しかったですね。
今回の『パレード』の見え方はやっぱり、森さんの演出あってのものだと思います。これがミュージカルをたくさん手掛けていて、言ってしまえば音楽に操られやすい演出家なら、同じ作品でもまた違う作り方、見え方だったはず。森さんはミュージカルの演出は初めてですけど、ミュージカルが好きな方なんだなっていうのは、話していて感じたんです。きっと、勘違いじゃなければ(笑)。

 

――ミュージカルでは1曲ごとに拍手が起こることも珍しくないですが、私が観た回の『パレード』ではそれぞれ一幕と二幕の終わり、2回だけしか拍手が起こりませんでした。のめり込まざるを得ず、拍手する隙を与えられないんですよね。もともとの作品の作りもありますが、そこも森さんの演出による部分が大きかったのだろうと。ストレートプレイの手法で作られた結果というか。

小野田 拍手がほぼ起こらないのは、初日からそうでした。一幕の頭、みんなでM1をワーッと歌った後はわりと拍手が起こるときもあるんです。一幕の最後もあったりなかったり。内容的に「していいのかな?」みたいな感じですもんね。で、二幕の最後は、芝居が終わって暗転になってもしばらくシーンとしているんですよ。そして明かりがつくと、ワーッと拍手をいただく。「ドキュメンタリーを見せられている気分だ」とおっしゃるお客様が多いんですけど、「これ終わったんだよな? 終わりなんだろうけど……どうなんだ?」という戸惑いみたいなものがあるんじゃないかと。お客さんが一緒にドキドキしてくれているのを感じるのは、やっていて面白いです。

 

――「拍手が起こらないようなミュージカルにしたい」という発言は、よく作り手や演者の側から聞こえてきます。いい悪いではなく、1曲1曲をショー化せずに物語の中で音楽を処理したい、という意図だと解釈しているんですが。でも“拍手したい願望”もどこかあるはずの観客側の事情も含むと難しいのかなと思っていたんですが、演出次第で可能なんだなと。あらゆる意味で、画期的なミュージカルでした。

小野田 ほんと、画期的です。『パレード』ってどうしても曲がいいし、裁判の歌とか結構ショーアップされているものも多いので、拍手に持っていくよう作ることは十分できると思うんですよ。でもそうしなかったのは、今回の『パレード』においては絶対正解だったなと思いますね。

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ミュージカル「パレード」(2017年)

――グンとさかのぼって、小野田さんが現在の“超実力派”へと至った道のりを探りたいです。ミュージカルは“歌、ダンス、芝居”の三位一体と言えど、ミュージカル俳優の多くは歌かダンスのどちらかに得手が偏りがちな傾向にあるような。その点、小野田さんはどちらも一流というのがまた特徴だと感じるのですが、入りはダンスの方だとか。

小野田 母がダンサーで、父は全然違う仕事をしていますが、もともとは母のダンスの生徒でした。そういう環境だったので家族みんなエンターテインメントが好きだったし、自然と身近にあったんですよね。最初はディズニーランドのダンサーになりたくてダンスのレッスンをしていたんですけど、中川久美さんというブロードウェイの舞台にも出演している振付家の方にミュージカルに誘われて。歌うことも好きだったし、出てみたらすごく楽しかったんです。8歳のときでした。

 

――それまで歌も訓練していたんですか?

小野田 全く。移動の車の中やカラオケで歌っていたぐらいで。でもヘタではなかったです。カワイイ声だったし(笑)。ミュージカルに出てみて、体だけじゃなく言葉で何かを発して表現するのは楽しいなと思いました。だから「これをやろう」と思って、そこからずっとミュージカルですね。

 

―― 一生の仕事にしていこうという決意が、そのとき既に?

小野田 そうですね。そしてありがたいことに、お仕事にもずっと恵まれ。子役からやっていると、声変わりとか学業でブランクがあったりってことが多いんですけど、僕はそれもなくて。というのは、目立ちたいとか「あの役をやるんだ!」ってガツガツしているタイプではなくて、なんかのらりくらりな子役だったんです(笑)。楽しそうな仕事があったらやろう、みたいな。今もそうなんですけど、仕事ってご縁だなと常に思っているので、その年齢に合ったいいお仕事をいただいてきたという感じですね。

 

――ちなみに子供の頃、学校ではどんな存在だったんですか?

小野田 目立っていた方だとは思います。ヤンチャで、よく先生にも怒られていましたし。ええまあ、いろいろご迷惑をお掛けしました(苦笑)。

 

――勉強は好きでした?

小野田 (即答で)キライです! お勉強はデキないんで、学業は完全に捨てていました(笑)。そこも黙っているとデキそうって言われるんですけど、全然ガッカリな感じ(笑)。ただ昔からこの仕事をやっていて記憶力は良いので、歴史とかは得意でした。でも音楽の授業なんかはすごく恥ずかしかったし。

 

――え、それこそちょっと歌ったらヒーローなのでは?

小野田 「さすが!」って感じで扱われるのが逆にイヤで。たぶん、仕事な部分を見られるのが恥ずかしかったんですよね。だから地元の友達とは仕事の話とかせずに、バカな話ばっかりしているし。

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――なるほど。その場その場で、いろんな顔を持っているんですね。舞台上だけの印象だと、何でも悠々とこなす、しっかり者の優等生というイメージでした。

小野田 「余裕だよね」みたいなことは昔から言われていて、確かに緊張とかを悟られちゃいけないっていう気持ちはありました。大人に負けたくないっていうのが、子供の頃から強かったんですよね。例えば『アニー』みたいな子供中心の作品の子役じゃなくて、大人の中に子供一人というような現場が多かったので、子供扱いされたくなかったんです。緊張していたとしても絶対見せたくないし、そこからひとつ離れて余裕な感じでいられるようにしていたから、それが習慣づいて今でもそう見えるのかもしれない。
ただ中学生のとき、仕事での顔と学校での顔が自分でもわからなくなってきちゃって。思春期の悩みなんでしょうが、辛かったですね。やっぱりどこか大人の中で気を遣って生きていた部分があって、「なんでイイ子でいるんだろう?」と、ふと思って。イイ子っていうか、ちゃんとしなきゃいけないって自分に言い聞かせているところがすごくあったんです。仕事に関して、相当責任を感じていたのかな。もちろん、“責任”というのは今もそうなんですけど。で、高校生のときに、もっとリラックスして仕事しようって、なんか思ったんです。共演者に「もっと言いたいことを言えばいいのに」と言われて。それまで、「しんどい」みたいなことも一切言わず、ダンスのレッスン中に倒れたりしていたんですよ。小学校の夏休みに、週5週6でダンスのレッスンを詰め込んだりもしていて。

 

――他に誘惑がたくさんありそうな子供の頃に、なぜそんなに頑張れたんですか?

小野田 負けたくないっていうのがあって、やっていないと不安だったから。そしてやっぱり完全に、好きだからです。その当時、例えば『レ・ミゼラブル』のガブローシュ、『ライオンキング』のヤングシンバ、『エリザベート』の(少年)ルドルフ、などの子役の登竜門的な役をやりたいとか思ったことがなくて、具体的な何かを目標にしていたわけでもなかったですし。

 

――確かに、どれも通ってきていないのは意外ですね。

小野田 まず自信がありませんでした。周りには海宝直人くんとか、子役の先輩で上手い人がいたので、自分とは違う世界だと思っていて。「僕はダンスしかやってなくて、歌なんてフザケて歌っているだけだし、無理無理!」って。でも周りにはオーディションを勧められていて、実際は1回だけ『ライオンキング』のヤングシンバを受けました。僕の中でたまたま「もしかしたらイケるかな?」っていうきっかけがあったから。本選にも呼んでいただいて、自分でも歌は悪くなかったと思うんですが(笑)、身長制限もオーバーしていたし、時期が適していなくてダメでした。今思えば、他の役も(オーディションを)受けていればよかったなと思うけど、でも基本、自信がないんです。

 

――そこも意外な感じがします。現在の実力は、その気持ちをカバーすべく重ねてきた努力の賜物ということでしょうか?

小野田 努力……そうですね、研究はしてきました。

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――小野田さんと言えば、若手屈指のミュージカルオタクだと思うのですが(笑)、ブロードウェイ、ロンドン、ウィーン、韓国……世界のミュージカルの中でどれが一番好みですか?

小野田 僕はウィーン・ミュージカルですね。だから若いときは『モーツァルト!』や『エリザベート』とかの方が、ブロードウェイのものより好きでした。ショーの作り方や、言語かな。ドイツ語の歌の響きとか、好きなんです。作品のテーマとしては暗いものが多いんですけど、その中で音楽は多彩なジャンルにあふれていて、ただ明るいだけという作品よりそういう方が好きですね。
あと、19歳のときに「シルヴェスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンクール」というのに出させていただいて、そのときの思いが強いのかもしれない。そのためにハンガリーに1週間ちょっと滞在してヨーロッパの言語をずっと聴いていたので、馴染んできちゃって。それからはそっちの方の作品の映像や音楽にたくさん触れるようになりました。

 

――いま話題に出たコンクールで「リーヴァイ特別賞」というのを受賞されたことは、大きな自信に繋がったのでは? 10代で世界的に評価されて、表現が良くないかもしれませんが、多少天狗な状態になってもおかしくないと思うのですが。

小野田 いやぁ、全然。歌うことは、仕事として真摯に考えているんですけど、「楽しいねー」って感覚の方が強いんですよ。もちろんすごく祝福していただいてうれしかったんですけど、それよりもハンガリーの大きな劇場で歌えたり、『エリザベート』のエリザベート役で有名なマヤ(・ハクフォート)みたいな俳優とずっと一緒にいられたことの方が大きかった。最高でした。僕の中ではそういう思い出です。

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――大きな作品が続いた昨年のことも少し聞かせてください。まず劇団四季『ウェストサイド物語』でトニー役を、『三銃士』でもダルタニアン役として主演を務め、そして『ミス・サイゴン』ではクリスを演じました。

小野田 去年スゴかったですね。ちょっと本気出しちゃいました(笑)。なんて冗談ですが、すごくありがたい年になりました。同時に、やっと大人の階段を上れてきたのかなというのを実感した1年でもあって。やっぱり若いときからやっていると、周りの方にはまだ10代のイメージが残っているので、普通の俳優よりも大人の役をやらせていただくまでに時間がかかるということがあったり。「まだ若いでしょう~」みたいに言われがちというか。だからやっと、トニーやクリスといった、若者だけれど大人の役を担わせてもらえるようになってきたんだなって、とてもうれしかったです。

 

――まず『ウェストサイド物語』ですが、劇団四季の作品ということで、環境自体が大きく変わりますよね?

小野田 団体行動であったりとか、まず朝の訓練から始まるとか、僕は劇団というものに所属したことがなかったですし、やっぱり独特な環境でしたね。劇団四季に関わることが決まってから、すごくいろんなことを考えたんです。やっぱりご覧になるお客様は劇団四季のファンの方が多いだろうと。特に今回の『ウェスト~』は新演出で注目もされていたし。となれば、やるからにはお芝居や発声の仕方など一度、劇団四季を全て熟知しなければいけないなと思いました。劇団四季に外部の俳優が出演するように最近なってきて、外部の俳優がどう受け入れられるかという正念場だなと思ったので。ここで自己流のパフォーマンスしかしなかったら、劇団のお客様に「やっぱり外部の俳優は劇団四季を乱す」とか思われちゃうだろうし、それがすごくイヤだったんです。

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劇団四季「ウェストサイド物語」(2016年)

――郷に入りては郷に従え、という。

小野田 そして、そこをしっかりやっておかないと、逆に自分のパフォーマンスができないと思ったんですよ。だから何ヶ月も前から稽古場に行って、劇団四季の呼吸法や母音法をトレーニングして。その状況が整ってから、『ウェストサイド物語』の稽古に参加させていただきました。やっぱりメソッドやセオリーは、外部とは全然違います。もちろんどちらがいい悪いではなく、これまで求められていたものとは違うものを求められることもたくさんあったので、すごく苦しかったり難しかったりした分、いま役立つことはたくさんありますね。例えば森さんは今回、言葉に関するダメ出しが全体的に多かったんですが、言葉を大事にする劇団四季を経験させていただいたことは、非常に大きかったです。そして『パレード』では石丸さんや堀内さんはじめ劇団四季出身の方々と共演させていただいていますが、ほかの俳優さんたちとやっぱりどこか違いますね。精神的な部分もそうだし、特に言葉の部分にそれを感じます。

 

――そして『ミス・サイゴン』のクリス。小野田さんにはどちらかというと華奢なイメージがあったんですが、GIのクリスを演じてからは体がたくましくなって、イメージが変わりましたね。

小野田 相当ゴッツくしましたから! おととしまではものすごく細かったんですけど、去年1年で大きくしました。で、今も戻らないんです(笑)。

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「ミス・サイゴン」(2016年)  写真提供/東宝演劇部

――『ミス・サイゴン』は個人的にも非常に好きな作品なのですが、小野田さんが演じてみて感じた魅力をお聞きしたいです。

小野田 僕は初めて聴いたミュージカルCDが『ミス・サイゴン』のロンドン版だったんです。この作品は観たり聴いたりしすぎていて、やるものじゃなく観るものだという感覚も強くて。決まって「ヤッター!」というよりは、「しっかり務めねばならんぞ」というプレッシャーの方が大きかったですね。
『ミス・サイゴン』には、常に極限状態の人物しか出てこない。“究極の愛”というのがテーマとして打ち出されていますが、描かれているのは人間の根源で、そこを惜しみなく表現しているところが魅力だと思います。という意味では、常に極限状態の今回のフランキーにも、クリスで得たエッセンスを加えられたんじゃないかと。いろいろつながっていますね。
『ミス・サイゴン』との出会いは、大きな宝です。もともと好きな作品ではあったけど、ここまで自分の宝物になるとは思わなかった。やってみて改めて、ものすごく魅力がある作品でした。個人的にうれしかったのは、僕のクリスを観て「クリス像が変わった」とか「新たなクリスの生き方が見られた」という感想をたくさんの方にいただいたこと。歴史の積み上がった作品の中でそれはいいのか悪いのかわからないですけど、新たな感覚をお客様に感じていただくことができたのはうれしかったし、「やってよかったんだな」というのが僕の中で非常にありました。

 

――では最後に。これもお聞きしてみたかったのですが、小野田さんほどの若さと実力があれば、これまで海外進出を考えたことはなかったのでしょうか?

小野田 せっかく日本人に生まれたので。それとこれもハンガリーでの経験ですが、日本語ってすごくきれいなんだってことを実感したんです。海外モノをやるときにあまりカッコよく聴こえなかったり、いろんなトラップがあるのも事実だと思うんですけど、そういうところも工夫して、「日本で翻訳モノをやってもカッコいいね」って言われるようなことができる俳優でいたい。自分は日本の先輩たちのパフォーマンスを観ながらここまで育ててもらったし、そういうところを崩さぬように。それでいていろんなものの良さを織り交ぜて、よりクオリティを上げた日本の演劇を作っていきたいと勝手ながら、またエラそうに(笑)思ってはいるんですけど。

 

――『パレード』はそういう先輩方と、若者代表として共演している作品でもありますよね。

小野田 子供のときから客席で観ていた方ばかりで、それだけでテンションが上がります(笑)。ちょっとおこがましいですけど、同じ出演者としてお芝居の話をすることができるのも光栄で、身が引き締まる思いです。『パレード』がこの先もしも再演されたとしても、この役はきっと僕ではないでしょう。そしてこういう役こそ、いろんな若い俳優がチャレンジした方がいい。この役をやりたいと思ってもらうためには、僕があのナンバーをしっかりと歌って、きちんと役を務め上げなければ。今後の若い俳優に託すために、またいずれ年齢が上がって僕が今の先輩方のポジションとなっていくためにも、今をしっかり務めたいと思っています。

 

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7月、ミュージカル座「ひめゆり」に滝軍曹役で再登場!
(写真は2015年公演より)

 

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8~9月、「マリアと緑のプリンセス」に新進気鋭の演出家・ビリー役で再登場!
(写真は2015年公演より) 写真提供/ステージドア

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
キラキラしてて、笑顔がすごい素敵な人のイメージ。僕はイケメンじゃありません。“テニミュ”に出たことでその重い十字架を背負った部分はあるかもしれませんが(笑)、全くイケメンではありません!

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
デキる俳優って、甘さと鋭さを兼ね備えている人だと思うんですけど、パフォーマンスを観ていてそう感じるのは、ものすごい大先輩ですが、鹿賀(丈史)さんですね。
同世代は……小野田しかいない(笑)。デキメンでいたいです。

Q.「いい俳優」とは?
ひとつ前で言ってしまったけど、甘さと鋭さを兼ね備えた人。あとはプライベートを充実させている人じゃないかな。何か別の好きなものでプライベートを充実させることができる人はリラックスして、いろんなイマジネーションが働くんじゃないかって。それが仕事に直結すると僕は思います。僕もオンオフはわりと切り替えるタイプで、オフのときはお酒を飲んだりディズニーランドに行ったり、映画を観たり舞台の映像を観たり。これからもそう心がけていきたいですね。

 

 マネージャーから見た「小野田龍之介」

小野田とは、担当している別の俳優と同じ作品に出演していた縁で出会いました。(当時)フリーというのを知って声を掛け、2年ほど前から弊社所属です。惚れ込んだのはやはり歌ですが、礼儀もしっかりしていて明るく爽やかな青年という印象でしたね。担当になってからの一番の印象は“貫禄”でしょうか。若者らしいキャピキャピしたところもあるんですが、仕事に対しての責任感の強さはすごいものがあります。周りから「龍ちゃんならできるよね、当たり前だよね」みたいに言われることが多く、歌稽古でも初日からある程度歌えているので、最初は聴いただけでわかるのかなと思っていたんですが、やっぱりそれまでに一人でどこかにこもって歌いこんで、というのを繰り返しやっているようです。そういう努力を見せることも言うことも全くないんですが。
彼の歌は我々も自信を持ってお届けできますし、本人もそれを生業として考えていると思います。確固たる居場所を築くためには、やはり今後の活動もミュージカルが中心になるかと。ただミュージカル以外でもいただける機会があれば、ストレートプレイや映像などいろいろ露出はしていきたいですね。ベテランの貫禄がありますが(笑)、まだ25歳なので、これからが本当に楽しみだと思っています。

(株式会社アービング 岩崎マネージャー)

Profile
小野田龍之介 おのだ・りゅうのすけ
1991年7月12日生まれ、神奈川県出身。B型。幼少期からダンスを始め、8歳でミュージカルに出演。以降、ミュージカル俳優として活躍。若手屈指の歌唱力を誇り、19歳のときに出演した「シルヴェスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンクール」で、リーヴァイ特別賞を受賞した。
【主な出演作】舞台/「ミス・サイゴン」(2016年)、「三銃士」(2016年)、劇団四季「ウェストサイド物語」(2016年)、「マリアと緑のプリンセス」(2015年)、ミュージカル座「ひめゆり」(2015年)、「TITANIC」(2015年)、「アリス・イン・ワンダーランド」(2014年)、ミュージカル座「カムイレラ」(2014年)、ミュージカル座「アイランド~かつてこの島で~」(2014・15年)、「ザ・ビューティフル・ゲーム」(2014年)、「フットルース」(2013年)、「ディートリッヒ」(2012年)、「CLUB SEVEN」シリーズ(2012・13年)、「パルレ~洗濯~vol.2」(2012年)、「合唱ブラボー!」(2012年)、ニコニコミュージカル「カンタレラ2012~裏切りの毒薬~」(2012年)、「恋するブロードウェイ♪」シリーズ(2011・14年)、「ドラキュラ」(2011年)、「オオカミ王ロボ~シートン動物記より~」(2011・13年)、「モーツァルト!」(2011年)、マリア・マグダレーナ来日公演「マグダラなマリア」~マリアさんの夢は夜とかに開く!魔愚堕裸屋、ついに開店~(2010年)、「Side Show」(2010・11年)、ミュージカル「テニスの王子様」シリーズ(2009・10年)柳生比呂士役、「最遊記歌劇伝」シリーズ(2008・09・15年)、「ルドルフ~ザ・ラスト・キス~」(2008年)、「葉っぱのフレディ~いのちの旅~」(2004・05・07・11年)
【HP】 http://irving.co.jp/talents/ryunosuke-onoda/
【Blog】 http://ameblo.jp/onoda-ryunosuke/
【Twitter】@RyunosukeOnoda

 

+++ 今後の出演舞台 +++

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■ミュージカル「パレード」
公演期間:6月15日(木)愛知・愛知県芸術劇場 大ホール
※東京、大阪公演は終了
>>公式サイト

 

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■ミュージカル座 「ひめゆり」
公演期間:7月13日(木)~7月18日(火)
会場:東京・シアター1010
>>チケット情報はこちら
>>公式サイト

 

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■ミュージカル「マリアと緑のプリンセス」
公演期間:8月24日(木)~8月27日(日)
会場:東京・全労災ホール/スペース・ゼロ
全国公演スケジュール:
8月29日(火)・8月30日(水) 大阪・サンケイホールブリーゼ、
9月2日(土) 神奈川・KAAT神奈川芸術劇場<ホール>

>>チケット情報はこちら
>>公式サイト

 

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■ミュージカル「ナイン・テイルズ~九尾狐(クミホ)の物語~」
公演期間:2018年1月20日(土)・1月21日(日)
会場:愛知・穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
>>公式サイト

 

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